人を投げる感覚を味わってみたくて、柔道を始めました。

柔道を始めたのは小3のとき。実は父も柔道をやっていて、やりたいと伝えたら、父も本気になり、警察署で柔道教室を始めました。みんな保育園、幼稚園から始めているから、小3でのスタートは結構遅かった。父の指導はとても厳しいものでした。最初のころは、みんなについていくのに必死だった記憶しかありません。

中2のとき、初めての全国大会で負けてスイッチが入りました。

中2で初めて全国大会に出て完敗してから、ほんまに気持ちを入れ替えてやらないと、と思いスイッチが入りました。それまでは父にお尻をたたかれてやらされている感じでしたが、それからは朝、登校前からトレーニング。夜は11時くらいまで父の道場で練習する日々。苦痛とは感じませんでした。
中3のとき全国中学校柔道大会で優勝。そのときは、正直負ける気がしませんでした。ほんまに誰よりもやったという自信がそこにありました。もちろん、うれしかったですけど。全国優勝したくて、そのためにずっとやっていたから。高校のときは、1年、2年で2番。あと一歩で優勝に届かない、というのが続いていて、最後は絶対勝ちたいと思って、高3最後のインターハイで優勝することができました。毎年、国際大会にも派遣されていました。

談笑する小林咲里亜さん

大学入学前のメディカルチェックでがんが見つかりました。

2006年、東海大柔道部に入学。入学式の前に新入生メディカルチェックがあり、腎臓のあたりに影が見つかりました。500円玉より大きいくらいのサイズのものでした。たぶん柔道やって出血を繰り返すうちにカルシウムが沈着して、さらにその刺激で出血、カルシウムが付く、それでレントゲンに映ったのではないか、と。「良性だから腹腔鏡手術で取りましょう」と気軽な感じでした。

19歳で小児がん。5歳までしかかからないといわれる神経芽細胞腫でした。

3時間の予定の手術が、7時間に及びました。両親は手術中に「これはがんかもしれない」と言われたそうです。当初4日で退院の予定だったのに、2、3週間入院することになり、退院するときに、通常5歳までしかかからない小児がん、神経芽細胞腫であることを知らされました。医師からは「根治にむけてさらに治療を続けましょう」と提案されましたが、「いや時間ないねん。一刻も早く練習せなあかん」という感じでした。悪いとことったから治ってるって思っていました。

当時の私は、世界ジュニア[*1]優勝を目指していました。20歳以下の大会で2年に1度の開催。私が出られる最後の世界ジュニアでした。国内では中学時代から日本一を競っていた子がいました。代表選手候補はその子か、私か。全国のジュニアの大会で勝った人が世界ジュニアに行けるんです。絶対勝ちたいって思っていました。東京都の予選に勝って、すぐ入院、手術して畳の上に復帰しようと思っていました。

[*1]世界ジュニア柔道選手権大会

退院後、1カ月で全日本ジュニア大会に出ました。決して体調は万全ではなかったけれど、試合に出ました。夜も眠りづらく、三半規管もおかしくなったのか、めまいがすごかったです。試合中も投げたのか投げられたのか、わからないくらい、ぐるぐるめまいがする場面が多かったです。決勝までいったのですが、負けて準優勝。世界ジュニアには行けませんでした。

定期検診で、がんの再発が発覚。

退院後1年もたたないうちに、毎月の検診で再発が見つかり、入院することになりました。腫瘍が急成長していたので、抗がん剤で小さくしてから手術することに。抗がん剤抗がん剤の副作用はきつかったですね。吐き気、脱毛、そしてなぜか10キロ太りました。みんなは痩せていくのに。柔道での減量も関係していたのかもしれません。前回の手術で副腎と腫瘍をとっていたのですが、2回目の手術では左の腎臓をとることになりました。35針も縫う手術でした。
身体は大人なのに赤ちゃんの病気。医師も手探りの治療が続きました。小児科の血液の専門の先生と、大人の泌尿器科の先生がチームになって対応してくれました。入院生活は1年続き、退院後は通院で20回の放射線治療。授業の合間に治療を受けに行きました。

正面を向いて微笑む小林咲里亜さん

今までなんてよく深かったんだろう。
今までの自分に恥ずかしい気持ちになりました。

実は、1年間入院して治療に専念するように言われたとき、内心ほっとした自分がいました。常に勝たなければ、練習しなければと自分を追いこんでいました。テレビでもライバルと比較されて、センスがあるライバルに対し「努力家の小林」と紹介されたほど。それが、土台が違うところに急に立たされて、毎日採血されて、白血球の数値次第で室内からでてはいけないとか行動が制限される生活。窓の外を眺めると、犬の散歩している人がいて、外を歩けることに、いいなーなんて思ったり。

私が入院していたのは、小児科。病気の子どもたちも親御さんも「生きる」という最低限のことに必死で、かつ無邪気。欲がないんです。そんな子どもたちと接することで励まされました。みんな明るいんです。体調に浮き沈みがあってベッドから出られないときや、立てないときもあるし、そうかと思ったら走り回っているときもあります。でも子どもながら、体調の悪そうな子を気遣ったり。病気のつらさを知っているから、自然と周りを思いやることができるんだと思います。これまで勝つことに徹し、日本一、世界一をめざしてきた自分はなんて欲深かったんだろうって思いました。

子どもたちは、友達というより「戦友」でした。

いちばん仲良くなったのは、たっくん。白血病だけでなく色々合併症もあり、とても個性的でみんなが手を焼いていたのですが、なぜだか私は気が合いました。たっくんは小さいころから入退院を繰り返していて、骨髄移植を2回も経験。延命治療状態でした。私の治療の回復期間に合わせてもらって、たっくんのおかあさん、弟と一緒にご飯を食べに行きました。「柔道をやりたい! 病気が治ったら、さりあの試合を見に行く」とよく言っていました。

しかし、私が退院した後、残念ながらたっくんは中1で旅立ってしまいました。それまでよくがんばったと思います。たっくんのおかあさんに「まだ病室では"生と死の狭間"で闘う友達がいる中、たっくんの死を受けて、生きていて申し訳ない気持ちになる」と話すと「さりあには生かされている意味があるんだから、使命を全うしないと」と言われ、ハッとしました。

柔道着を着て稽古を見守る小林咲里亜さん

柔道は命の恩人であり、育ての親。私の人生そのもの。

その言葉を受けとめたとき、精一杯生きないと、と思いました。もし柔道していなかったら、ここまで前向きに病気と戦えなかったかもしれない。これまで柔道と本気で向き合ってきたから、がんに打ち勝つことができたんじゃないか。私、大丈夫という自信があった。柔道のときと同じように本当に負ける気がしなかったんです。
目標を見据えて、それだけの努力をすれば絶対達成できることがわかっていました。この人を投げたいと思う。それだけのトレーニングを積む。できた! という感覚。人生を柔道で学びました。柔道は命の恩人であり、育ての親。私の人生そのものです。

柔道を叩き込んでくれた厳しい父と、支えてくれた母。

入院中、母は何時間もかけ神奈川県の病院と兵庫県の実家を何十往復もしてくれました。父も6、7時間かけて車でお見舞いにきてくれました。遠い中、何往復もさせ、お金も時間もかかって申し訳ないと思っていたけれど、保険保険のお金がおりたことを知り、少し安心しました。
2回目の手術の際、父がひとりで来たことがありました。抗がん剤の副作用で髪の毛が抜けていた私。手術直後、意識がもうろうとしている中、父は看護師さんに「帽子をかぶせてやってください」とお願いしてくれました。父なりの優しさだったと思います。柔道に関しては厳しい父。そんなの初めてで、めっちゃ嬉しかったです。
母は常に寄り添い、支えてくれる人です。治療費や入院費にかかるお金の心配をしていた私の気持ちを察したのか「お金より命のほうが大切だから」と言って、安心させてくれました。

がんは治った後も、なにかと体調不良がつづく病気。

手術の影響で腸が癒着していて腸閉塞になりやすかったり、退院した年にはインフルエンザに4回かかりました。耳もきこえにくいし、腎臓と副腎がないため疲れやすかったりします。がんは、パッと治った、明日から元気というわけにはなかなかいかない病気です。がん保険も最初に1回お金がもらえて終わりではなく、ずっと出るタイプの方がいいと思います。

病気になって得たものも多かった。
命があれば何でもできる。チャンスはあるやん。

柔道への恩返しができれば、と思い、大学3年生の終わり、まだかつらをかぶっている時期から東海大のジュニアの少年柔道の指導をさせてもらうようになりました。今は帝京科学大学で柔道部のコーチをしています。
病気になって失ったものも多かったけれど、得たものも多かった。得たものの方が多かったかもしれません。そっちの方が重要な部分だったなと思うので、あのまま世界一を目指して柔道をずっと続けていたかったという気持ちは、今はありません。生きることとの向きあい方を、言葉ではなく、柔道を通じて学生たちに伝えていけたらと思っています。
病室から見る外の風景が憧れになる感覚。学校に行きたい、友達と遊びたい、外でご飯を食べたい、おかあさんと一緒にいたい。普通の小学生が普通にやっていることができない環境で強く優しく生きる子どもたち。一日一日の大切さ、生きることの本質を見せてもらいました。前まで、結果がでないとダメ、結果をだすために頑張る、という感じだったけれど、がんを経験して、命があれば何でもできる、生きていたらずっとチャンスはあるやん、という気持ちになりました。

2017年5月現在の情報を元に作成

※がんを経験された個人の方のお話をもとに構成しており、治療等の条件はすべての方に当てはまるわけではありません。