「生きていけますか?」と医者に聞いた。

健康には自信があったんです。ところが2009年8月に病院から呼び出し。医者から「安藤さん大変や。十二指腸と胆のうと胆管の交点である乳頭部にがんがある。全部取る」と。びっくりしましたね。しかしデータを見てもあるので仕方がない。10月に手術。自信過剰やったなと思いましたね。

手術して無罪放免かと思っていたら、5年後、2014年に電話があり、今度は「膵臓の真ん中にがんがある」と。膵臓と脾臓、全部とることになりました。膵臓全部取って、脾臓も全部取って、その前に十二指腸と胆管と胆のう取っているんですよ。「生きていけますか?」と医者に聞きました。「生きている人は、いる。でも元気になった人はいませんな」と。仕方がない。切りました。11時間の手術でした。人生って仕方がないことがいっぱい起こるんですよ。

1万歩、歩く。食事はゆっくり。

入院中は、医者、看護師の言う通りにしました。出されたご飯も全部食べました。1万歩歩いた方がいいと言われたので、毎日6時45分に起きて40分歩いています。そうすると1日1万歩、歩けるんです。

食事も前は朝10分、昼15分、夜30分で済ませていましたが、「内臓ないんですから、ダメです」と言われました。朝40分、昼40分、夜は1時間かけてよくかんで食べるようになりました。病気する前よりきっちりしたリズムができて、健康的な生活になったんじゃないかな。血糖値も測らないかん、インシュリンも打たないかん。薬も飲まないかん。でも、ほとんど忘れたことないです。

昼食後1時間休憩。ものを考える時間に。

顎に手をあてて真剣な眼差しの安藤さん

以前は10時から夜8時までノンストップで働いていましたが、昼に1時間休憩をとるようになりました。その時間に、若い頃に読んでピンと来なかった本を読み直したりするんです。そうすると、以前見えなかった部分に気付くことも多い。よかったな、と。ものを考える時間にもあてています。建築の設計でなにができるか。社会に対してなにができるか。前に一歩一歩進んでいこうとするには、考える時間があると結構うまくいくものです。

内臓5つないのに、元気に仕事。

病気で得したこともあるんですよ。近頃、中国から仕事がたくさんくるんです。「私の建物を評価して頼むんですか?」と聞いたら「違います。安藤さんは内臓が5つないのに、元気で仕事をしているのは非常に縁起がいい」ということで(笑)。全力かけて仕事できる間はやってやろうと思っています。病気をしたからといって仕事のやり方を変えるつもりはありません。

がんになって絶望したけれど、よしそれならば生きてやる、と思いました。そこでどうしたら元気よく前にいけるか考えて、結局楽しいことを見つけることに専念するようになりました。「安藤さんは参考にならない」とみんなから言われます。私は私。人は人。人それぞれ、元気よく生きないとおもしろくないと思うのです。仕事も楽しい、自分も前を向いている、自分の心も燃えている。そのために何をするか。考えなければいけない。

大阪の中之島に「こども本の森 中之島」を計画。

建物はいつか朽ちるけれど、心の中に残るものは永久にそこにある。建築の存在意義とは、そこに尽きると考えています。何のためにつくるのか、誰のためにつくるのか・・・。現在、大阪のこどもたちにもっと本を読んでもらいたくて、中之島にこどものための文化施設をつくっています。運営費はみんなに出してもらおうと企業に寄付を募っています。今、社会に必要なものをつくろうという思いからスタートした仕事です。

独学で建築家になりました。

大学の教育も建築の専門教育も受けていなかったので、建築の設計家になりたいと言った時、みんなから「頭がおかしくなったのか」と言われました。そのとき、意地でもなってやると思ったのです。

子どもの頃、成績はだいたい5番でした。下から数えて、ですよ。でも、育ての親である祖母は、「人に迷惑かけず、何事も責任感をもってやりぬくこと」それだけでいい。ともかく覚悟して人生送りなさい、と。この祖母の教えを胸に、今まで生きてきました。

建築家になると決めてからは、大学の建築学科に行った友人を通じて教科書を手に入れて、それを彼らが4年かけるのなら、私は1年で読もう、と。1日に4、5時間寝て、バイトの時間以外はずっと本を読んでいました。昼飯食べず、その分勉強して資格試験も1回で通りました。どんなことしてでも、建築家になってやる、と思っていましたね。
ちょうどね、昭和48年、1970年代の初めに、大阪の「住吉の長屋」とは別に神戸の住吉という所でも住宅をつくっていたんです。その神戸の住吉の家で育ったお嬢さんが、今東京に出てきているのですが、先日、神戸の住吉でつくった家と同じ家をつくってほしいと。最初、同じ家というのにはちょっと抵抗がありました。だけど彼女らが言うのは正しいと思いました。自分達が育って、体の一部になっていると。建築家はこういう責任ある仕事してるのかなと思いました。やっぱり1人ずつの心の中に残るようなものをつくりたいですね。

状況に合わせて生き残らないかん。

にっこり笑う安藤さん

人生はどっちにしても、一か八か。私のように可能性のない人生のスタートからいうと、やってうまくいかなかったらやり直せばいいんです。病気になってハンディがある。そのハンディをとりこんで状況に合わせて生き残らないかん。強いものだけが生き残るのではない。

仕事もそう。ハンディがある仕事の方が多い。現在、パリのブルス・ドゥ・コメルス(旧穀物取引所)という、19世紀の建物を現代美術館としてよみがえらせる計画に関わっています。今、何かを建てる時に更地からということはほとんどないから、何でも再生しないといけない。いつも古いものがドーンとある。その中に建物を建てる。パリの歴史を考える、そうすると違った世界が見えてくる。材料は似ていても建築の仕事は一つ一つが全て違うんです。

人生100年、本当は難しいですよ。

病気を経験して、新しい自分が今いる。何回も生きていいんじゃないですか。100年生きるのは難しいですよ。誰でもそんなうまいこと生きられるわけじゃない。でも自分の可能性は自分でつくるんです。

多くの人が長生きするには努力がいる。大事なのは好奇心です。体力があって、面白いことを自分で見つけていかないと。みんな寝たきりの100歳だったらどうするんですか。人生をさいごまで生き抜く。そのためには1人ずつが好奇心を持って前を向いて、体も鍛えていかないと。楽しむために努力する。あとは、笑いが人間の力をのばす。心から楽しかったという一日を過ごせば長生きできると思います。

青いりんごでありたい。

りんごは青い方がいい。人間も青い方がいい。100歳まで青い方がいい。完成したらだんだん赤くなる。人生最後まで青く。青には可能性があります。人生、可能性を残しながら生きた方がいいと思っています。事務所に青いりんごの絵と彫刻があるんです。それを見ながら20代で建築の設計家になりたいと思ったときの気持ちを思い出しています。その気持ちを生涯持ち続けたいですね。

2018年3月現在の情報を元に作成

※がんを経験された個人の方のお話をもとに構成しており、治療等の条件はすべての方に当てはまるわけではありません。