がんのこと

「がんを経験された方のお話」 秋田県 ユキさんのお話

「がんを経験された方のお話」 秋田県 ユキさんのお話

がんを経験された方々の貴重な体験談を語っていただくシリーズです。
※がんを経験された個人の方のお話をもとに構成しており、治療等の条件はすべての方に当てはまるわけではありません。

子宮頸がんだとわかったのは、29歳の誕生日でした。彼が毎月の治療費を助けてくれました。
遠慮してた私に、「結婚すれば俺の好き勝手に支えられるだろう」とプロポーズ。
「病気になっても、悪いことだけじゃないんだよ」
そう言って笑う彼といると、ああこの人でよかった、と思います。

29歳の誕生日は、最悪の誕生日。がんになるなんて思ってもみなかった。そういえば、可能性はあったのに。

ブログを通じて知り合った彼は、同郷の秋田出身です。私は彼といっしょに暮らすために秋田から彼が住む愛知へ引越し、テレホンアポインターの職につきました。新しい土地での新生活。運よくお給料も増え、喜んでいました。病気が発覚したのは、ふたりの暮らしが始まって半年が過ぎた頃でした。

確かに可能性はありました。たびたびの不正出血。でも不正出血以外の体調の変化がないから、と私は放置してしまいました。もっと早く手が打てたかもしれなかったのに。思い返すと、チャンスはいっぱいあったんですよね。

29歳の誕生日に、子宮頸がんの疑いが告げられ、その1週間後、七夕の日に、正式に告知がありました。現代の医療では、子宮を残す手術も可能になっていること。しかし、私の場合は「子宮全摘」という選択肢しかない、ということ。ショックでした。結婚する予定であることを伝えると、先生からは「命を優先して考えてください」と言われました。子どもが産めない体になってしまうんだと思うと涙がぽろぽろとこぼれました。産科と婦人科が一緒になっている病院で妊婦さんや赤ちゃんの姿がどうしても目に入る。つらかったです。

「もっと泣いていいよ。子どもがいなくても、ユキちゃんがいればいい」
彼の言葉に覚悟がきまりました。絶対治してやる、と。

彼には幸せになってほしかったんです。同い年で、まさに草食系男子という言葉がぴったりの見た目なのですが、すごく面白い人。ふたりで将来の話をすると子どもの話も出ていたので、欲しいんだろうな、って。だから別れようと思いました。でも彼は「好きな人が病気になったら支えたいって思うの、普通でしょ。俺が病気したら別れるの?」と。私も「別れません」と。二人でがんばっていく決意ができました。

まずは検査、検査の日々。彼はそのまま愛知に残り、私は秋田にもどって、入院しました。

彼に仕事を休ませるわけにもいかないし、それに婦人科の病気なので、母と姉の方が気兼ねなく頼れたのです。母は泣いていました。「健康に産んであげられなくて、ごめんね」と。私、子どものころから、病気がちだったんです。でも小さな病気をちょくちょくしていると、大きな病気にならないんじゃないか、という変に自信めいたものもありました。がんって、がんになるまで他人事なんですよ。いざがんになるまで、誰にでも等しくその可能性があることに気づかない。

がんになってから、同級生にがん検診をすすめました。「絶対行っておいたほうがいいよ」って。そのうち二人にがんが見つかり、早期発見ということで感謝されました。

毎回請求書を見てびっくり。病院のATMに駆け込んで、下ろすことも。
やっぱり、病気をするとお金がかかる。

子宮全摘出手術と同時にリンパ節も切除。卵巣は1つだけ残しました。この年で2つともとるとホルモンバランスが崩れて、更年期障害が重くなる可能性が高い、ということでした。それに、将来医療が進歩したときに子どもを授かる可能性を残しておきたかったのです。

点滴での抗がん剤は、アレルギー症状が出てとりやめ、放射線治療を受けました。退院後の今は、錠剤の抗がん剤を2年間の予定で服用中です。排尿障害や腹痛などの後遺症もありました。がんはとって終わり、ではなくその先にいろいろ枝分かれして不具合が続くことがあるのです。

実家で一緒に暮らす母は、持病があるため働けません。姉家族に頼るわけにもいかず、傷病手当と彼からの仕送りに助けられています。入院中は、看護師さんが請求書を持ってくるたびに、がんって本当にお金がかかるなあと感じていました。今でも通院するときはお財布に多めに入れておいても、会計でお金足りるかな、ってドキドキしてしまいます。

※窓口での負担額は事前に所定の手続きをすることで自己負担限度額までにすることができます。
また医療費が高額になった場合、高額療養費制度の利用により払い戻しが受けられます。

※がんを経験された個人の方のお話をもとに構成しており、治療等の条件はすべての方に当てはまるものではありません。

同室だった友達が私の結婚を泣いて喜んでくれました。

プロポーズはインターネットのテレビ電話で。突然でした。もっとロマンチックなものを想像していたので、笑ってしまいました。「結婚すれば俺の好き勝手に支えられるだろう」と仕送りをしてくれる彼のやさしさに甘えさせてもらっています。結婚直後に通院したとき、同室で親しくなった友達とその娘さんに偶然会って報告したら、病院の待合室の椅子で自分のことのように泣いて喜んでくれました。

抗がん剤治療が終わったら、愛知の夫のもとに戻りたいです。会社の女性の上司は「病気をしたら、人にやさしくなれるよ。人の気持ちをくんであげられるから、指導者の仕事ができるよ」と言葉をかけてくださいました。病気のときも支えてくれたご恩返しの気持ちもありますし、まずは仕事に戻りたいと思っています。

病気をしたからって、人生諦めたくないんです。今病気ではない人も、病気の人もそれぞれにかけがえのない人生、それぞれのチャレンジを続けられる社会であってほしいというのが私の願いです。

ときどき、2週間ほど愛知の主人のところに滞在して家事をしています。主人は「病気になったから、結婚できたんだよ。悪いことだけじゃないんだよ」と言ってくれます。家事ってやってみると、あれもできる、これもできるって自信になります。毎回いっぱい料理つくっちゃいますね。会える日を楽しみに、じゃあ洋服買おうかな、とか次どういう髪型にしようかなとか、ネイルどうしようとか考えるのも嬉しい時間です。今度会ったときに、主人の髪をカットしてあげるのも楽しみのひとつ。そんな些細なことに幸せを感じられるようになったのも病気が教えてくれたことかもしれません。

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