• がんを受け入れるコツ
  • がんと闘うコツ
  • 自分らしく生きるコツ
  • 趣味や仕事に見出すコツ
  • 大切な人とのコツ
夫との笑い
兵庫県36歳女性
子供を持てなくなった今、夫と二人でこれからの人生を歩んでいく事になりました。「子は鎹」の「子」のない私達ですが、我が家の「鎹」は「笑い」である以上、この人と楽しく人生を過ごせるのではと思っています。
未来の話をすること。
茨城県33歳女性
5年後、10年後などの未来について話すことで、「こうなっていたい」という前向きな気持ちになれるから。がんである父にとって、私の娘(孫)の成長は本当に楽しみでした。娘の話をすると、自然と笑みが浮かびました。父が思い描く娘の未来の中には、父自身もいたようです。それが「生きるちから」になっていたと思います。
皆と笑いながら、毎日楽しく過ごす。
東京都28歳女性
5年前の夏に、伯父がガンで亡くなりました。伯父が入院している間、伯父の病室には絶えず人が見舞いに訪れていました。伯父の妹のおばさんや、伯父の妻のおばさんや、私の母や私や・・・。なので伯父は、病室で孤独な思いをすることなく、毎日伯父の病室を訪れる女性達と、仲良く楽しく会話をしながら亡くなっていったのです。ガンで入院しても、毎日笑いながら、皆と楽しく笑顔で会話をしながら過ごすということはとても大切なことだなあと思いました。私も伯父のように、入院しても病室で、毎日楽しく、皆と笑い合いながら楽しい話をして過ごしていたいなあと思いました。病気でもなんでも、最後の最後まで、笑いというのは、笑うということは、笑い合うということはとても大切なことなんだなあと感じました。毎日皆と楽しく笑いながら過ごしていれば、全然淋しくないしガンもどこかに逃げていくってもんです。
人工関節なのに夢の中では息子と飛んだり跳ねたり
大阪府39歳男性
骨肉腫になり人工関節をいれました。幼稚園児の息子がいますが、一緒に走ったりして遊ぶことが出来ません。でも夢の中の自分は元気に走って息子と遊んでいます。目が覚めるとガッカリします。でもがんばって生きていくことが大切だと思っています。いつかこの事を息子は分かってくれると信じています。 
がん仲間と同窓会を開く事
兵庫県50歳女性
お互いの近況報告をし、患者同士でしかわからない悩みを話したり、慰め合ったり、アドバイスし合ったり、アホな事言って笑ったり、時にはつらい結果になった仲間を知って落ち込んでいますが・・・。そして別れ際に、また元気で会える事を約束します。家族もいいけど、仲間は大事な戦士です。
お話しすること
秋田県41歳男性
現在妻が入院しています。仕事帰りに病院へ寄って、お話しすることが日課になりました。今日1日の出来事(笑ったこと、怒ったこと)、息子が昨晩しでかしたこと、娘のバスケットボールなどについて。できれば「ゲラゲラ、お腹のそこから」笑わせたい。もしかしたら「笑う」ことによって病気が完治するのではないかと期待しながら。
ピンチはチャンスに変換
新潟県58歳男性
仕事一筋40年まさかの病気がくれたゆとりの時間。毎週通う源泉の湯を楽しみ、妻と交わす感謝の言葉は、病気がなければ一生味わえなかったかもしれない。満たされた生き方や、他の人を励まし勇気づけられるのも病気の経験を通してこそ出来る事。明日も足踏みしないで一歩前をモットーに。
家族との時間を大切に、楽しみを共有する。
群馬県48歳男性
自分独りだと物事を悪い方に考えがちになってしまいますが、家族となるべく一緒の時間を過ごす事で、楽しく前向きに考えられるようになり、人間本来の免疫力のアップにも繋がると思います。僕にとって、残された時間を家族と過ごす事が大切なことです。
ペットと仲良く過ごす。
山口県66歳男性
私にとってのペットとは、猫を指すが、この猫と物静かに過ごすことである。猫は決して飼い主にへつらわないが、あの物静かな、気高い生き様と温かい毛の感触が、がんであることの苦しさを少しだけでも癒してくれると信じて、猫と仲良く生活をしていきたいと思います。
人との関わりが生きがい
東京都43歳女性
私は四度の告知(肺ガン:二度外科的手術・二度放射線治療)をされましたが、運良く今も家族や友人と過ごす事が出来ています。一時は元気な人と会う事に苦痛を感じ引きこもる一歩手前になる事もありました。「このままでは病気に負けてしまう、人と触れ合おう、話をしよう!」と思い電話をしたり、人との関わりを持とうと地域や学校の出来る範囲の役員仕事を受けたり、人との関わりが舞い込んでくる活動を始めました。「自分を少しでも必要としてくれている」と言う実感を感じながら今も過ごしています。私の姿を見て「私もがんばらなくちゃ!」と言われて、また逆に励まされています。家族のサポートはもちろんですが、今は何かの機会に出会う人達との関わりを大切に生きています。せっかく助けられたこの命、何かに役立てながら自分を表現、生きていこうと思います。「人はひとりでは生きていない」と実感しています。
がんは100%悪者ではないですよ
北海道42歳女性
がんを持ったことでいろんな事を想い、考え、悩み、そして気付く事ができました。それまでの自分からほんの少し「変わる」きっかけにもなったと思います。
病気にならなければ出会えなかった、同じ境遇の気のいい仲間達。
がんになった事はある意味不運ではあったけれど、それ以上のキャンサーギフトをたくさん貰いました。
誕生日
埼玉県39歳女性
1ヶ月も早い早産で産まれた甥はなんと私と同じ誕生日。これから先も元気で誕生日を一緒にお祝いできることを願ってます。君が産まれてから周りは笑顔でいっぱい。がんと闘ってることを忘れてしまう。何よりも君の笑顔と成長が一番の癒しであり薬です。
お母さんのマッサージとお姉ちゃんのつぼ押し
東京都42歳女性
お母さんのマッサージは正直言ってへたっぴ!お姉ちゃんのつぼ押しは、お店が開けるほど上手!
でも、私にとってはどちらも最高のコミュニケーション。
「もっと右を押して」「あ~、そこそこ」「気っ持ちいい~」
言葉を交わしながら伝わってくる手の温もり...。
なにも言わなくても感じる優しい心...。
本当なら私が、70歳になった母の肩を揉み、仕事で疲れている姉の足を揉んであげなきゃいけないのに...。
お母さん、お姉ちゃん、いつもありがとう!
あたたかく優しい手のお陰で、私は頑張れるのよ。
一緒に頑張ろうねというあたたかく優しい心が、私の生きる勇気につながっているの!
子供になる
愛媛県32歳女性
周囲の優しさにたくさん甘える。もうりっぱな一人の大人だけど、両親&兄弟&彼&友人・・・良き理解者にはしっかり甘えてたくさん愛情をもらう。心から健康になれるような気がする。
毎日顔を合わせ楽しく会話することです
長崎県55歳男性
88歳で突然脳腫瘍となった母です。それまで病気をしたことがなく健康そのものでした。ある日異常な言動が起こり、病院で診てもらうと当初は脳梗塞との診断でした。2週間後精密検査の結果、脳腫瘍と診断されました。生き延びてもらいたいとの気持ちは当然ありましたが、高齢と身体への負担を考えると手術はせずに治療する方法を選択しました。病院生活の母を励ます為にも毎日顔を合わせるようにしました。最後の日まで母が笑顔であったのが、何よりも救いです。
気を紛らわすこと
福岡県22歳男性
僕の母方の祖母ががんで入院していたときに、僕を含む周りの人間が祖母の気を紛らわすことで、祖母がとても明るくなったからです。
ニコニコ笑顔でいること。
愛知県30歳女性
病気になって、最初は不安で不安で泣いてばかりいました。ある日夫が「主治医の先生を信じて頑張るしかない!俺がついてる!」と言ってくれました。その言葉は私にとってとても心強いものでした。その日から泣くのをやめていつも笑顔でいようと決めたのです。今治療が終わってからも毎日笑顔で過ごしています。
同じ病気の人と話をすること。
鳥取県31歳女性
病気のつらさに共感してくれる人、不安や痛みを本当にわかってくれるのは、同じ病気の人たちだと思います。同じ病気で一緒に入院していた人たちとは、退院後3年以上たった今でも、会って一緒に食事をしたり、家を訪ねたりしています。あのときの気持ちを一緒に話していると、今こうして生きていられることがどんなにありがたくてすばらしいことかを実感します。その気持ちがまた、生きていきたいという想いにつながっています。
王さん
鳥取県42歳女性
王さんが癌報道された時、「あぁ、お気の毒に、かわいそうに」と他人事だったのに、まさか自分が王さんと同じ癌を告知されるとは思いもよりませんでした。家族からの励まし、見守ってくれている事に感謝して過ごしていますが、今の私にはブラウン管を通して見る王さんの活躍されている姿がとても励みになるし、「王さん生きている。私も生きてる。」と思うだけで、安心感と勇気、生きる希望が湧いてきます。
我儘に生きる事
長崎県49歳女性
本人は家族の愛情を痛いほどわかります。自分の病気よりも、家族を思う気持ちの方が大きいのです。正直に、素直に、自分らしく我儘に生きる事だと思います。
泣きたい時は泣いて、甘えたい時は甘える
京都府29歳女性
癌である自分に家族や友人はとても優しく励まして見守ってくれています。癌になった私を一番心配してくれている両親には、落ちこむ姿を見せたくないので、強がることが多いですが、本当に辛い時には心許せる人の前で泣いて、弱音を吐いて甘えることが時々あります。それが心の支えになっていると思います。
戦友をもつこと
群馬県34歳女性
同じ病気と戦う仲間ができて励ましあい、慰めあい、共感しあいながら過ごすうちにガンと向かいあう勇気をもらいました。
信頼できる看護師さんを見つける
神奈川県44歳女性
医師という特殊な職業の人間に、患者の家族として常に低姿勢で接してきました。が、或る日信頼できる看護師長から『先生からのお話しは、全部耳に留めなくて良いですからね』と助言され、胸にあったモヤモヤが晴れました。
幼稚園児の息子にお前の嫁さん見るまでは・・・
大阪府39歳男性
骨肉腫になった自分ですが、何とか息子の嫁さんを見るまではがんばって生きたい。その息子はまだ幼稚園児。でも父ちゃんはがんばるぜ。
希望
愛知県25歳女性
身近で癌になった人がいます。退院後も月に一度は通院が必要です。薬を飲まないと日常生活が困難になってしまいます。それでもがんばって社会復帰しました。ここまでこれたのは家族とその周りにいた友人の優しさが彼に生きる希望を与えてくれたのでしょう。輝いた人生を送るには目標もしくは夢を持つことが大切なことなのかもしれませんね。
家族とのコミュニケーションを沢山する事
兵庫県66歳男性
癌になれば現在でも治らない事がおおいです。私も昨年2つ違いの弟を大腸癌で亡くしましたが最後に入ってからも家族とのコミュニケーションが一番大事ですし、人間は最終的には天国に召される訳ですから残される家族の為にも一番必要な事だと実感しました。弟は63歳で亡くなりましたが、まだ結婚していない女の子がいましたので婚約者と相談して弟の意識のあるうちに式を挙げました。もっと生きられたら勿論一番良いのでしょうが、癌にかかって残りの生命が少ない人でも残される家族の為に、少しでも良い思い出が出来るようにするべきだと思いました。
笑って過ごす
福岡県47歳女性
ストレスが一番の大敵ということもありますが、家族や友達と、楽しく笑えるように心がけていると、楽しいことって、身近にいっぱいあるのに気がつきます。がんだからって、落ち込んでもしかたがないし、今を悔いのないように、明るく生きていけたらなぁと、思っています。
生きていることに感謝し、生きていることを楽しむ。
栃木県61歳男性
昨年胃癌摘出手術を受け、死は遅かれ早かれいずれ訪れることを実感した。それ以来、生きていることを愛しく思うようになり、生かされていることに感謝する気持ちとなりました。生きている間は感謝を忘れず、身近な人、特に妻と共に楽しく過ごそうと決心しました。
手と手をつないで
北海道32歳女性
私に子宮癌の疑いがあり結果が出るまで、内心恐怖と不安でたまらなかった。そんな時、普段から無口な夫が買い物のとき手をつないでくれた。夫の何気ない行動に、言葉ではない何かが手から伝わってきた気がした。手を通し心が繋がった気がし、嬉しかった。
病室に、孫の写真を飾ること。
神奈川県62歳女性
肺がんで入院していた主人。当時1歳の初孫の写真を病室に飾っていました。闘病のストレスでイライラしがちでしたが、孫の写真をみると気持ちが和むようでした。お見舞いにきてくださった友人とも、孫の会話になると笑顔をこぼしていました。
生きている限り、がんという病を受け入れて生きることだけです。
東京都64歳男性
兄は愛妻を胃がんで若くして亡くしましたが、男手ひとつで4人の幼き子供達を育ててきました。頑強な身体でした。その兄がいまから3年前、兄68歳の時に突然身体がだるくなり、床を這いずるので急遽入院することとなりました。即入院し検査した結果、胃がんとのこと。転移が進んでいるが、抗がん剤は様子を見ながら打つとの医師の言葉を信じて治療をお願いしました。兄は健康人と同じように振る舞い、点滴を打たれたら疲れが取れたのですぐにでも退院できると豪語してました。突然、看護師から電話があり、病院に駆けつけました。そして医師の言葉を聞いて愕然としました。がんは胃から大腸まで転移しており、末期症状であり、今晩にも危ないとの発言には驚きました。兄よ自らの力で胃がんを克服し、立ち上がれと僕は叫びました。この時、僕は、ただ、今という時を生き切ることが一番の幸せであることだと感じました。
自分の病気を話すこと
大阪府44歳女性
職場でも、子供の友達の親にでも、とにかくほとんどの方に自分の病気を話している。そうすることで、こうしてガンと生きていることを知ってもらい、職場でも、うまく休みを通院の時に考慮してもらい、普段は通常どおり勤務する。それが、うまくガンと共に生きるコツだと思っている。単身赴任の夫には、普段の生活まで言えないし、助けてくれるのは多くの近所の友達だったり、職場の人だったり、実家の母だ。上手に自分をコントロールしながらガンと生きている。
小さなことにありがとうって思えること。
北海道28歳女性
4年前悪性リンパ腫という癌にかかりました。私はまだ24歳でした。仕事に追われ人を責めることしかできなかった自分。
癌にかかったことで今までがどんなに幸せだったか知ることができました。毎日家族におはようが言えること。好きなものが食べられること。自分の足で欲しいものを買いにいけること。小さなことにありがとうと感謝する気持ちがあれば、この先も再発なくやっていける気がします。
4年経ち、私はその当時は友達だった今の夫と結婚し、遠い今の地に嫁ぎました。夫とともに毎日を家ですごせるこの時間をかみしめています。
子供の笑顔
埼玉県34歳女性
小さな私の二人の宝物。ほんとにまだまだ小さいのに、私の病気のことは伝えてはいないのに、なんとなく異変を感じているようです。お兄ちゃんは私の髪の毛を買ってきてくれると言ってくれる、怒ってばかりいる私なのにやさしいと言ってくれる。それも、はちきれんばかりの笑顔で。チビちゃんは物心付いたときにはすでに私は癌で、それが普通の状態で、私の全てを受け入れてくれている。いらいらして怒ってばかりのお母さんだけど、あなたたちにはほんとに力をもらっています。子供の笑顔があるから私は強くなれます。子供の笑顔を守るのが私の役目。
諦めない~余命3ヶ月から4年目の挑戦~
北海道39歳女性
保育所が大好きな娘が最近「ママといる」と言う。今日も休んだ。私は抗がん剤の副作用で娘を散歩にも連れて行くことができない。でも「優奈、ママといる」と言う。私が大変そうにしていることを確実に理解している。お昼ごはん、娘が「ママ、優奈ちっちゃいおむすびでいいよ」と言った。気をつかっているのだ。私は泣きながら小さな「おむすび」を2つ作った。娘のお気に入りのピンクの皿にのせ、娘に食べさせ、私はすぐにまた横になった。隣で娘が一生懸命食べている。我が子が健やかに育ちますように。。。心から祈った。少し目をつぶると、私の耳のとなりで天使の呼吸が聞こえた。頬の横に「ごはんつぶ」のついた娘が寝ていた。悔しくてたまらなくなった。もっと生きたい...強く思う。まだ諦められない...諦めない...最期まで。
家族が、仲間がいます
群馬県50歳女性
何気に受けた内視鏡検査で見つかった進行胃癌(スキルス)。その時思ったこと。看護師である自分は無理矢理でも理解し受け入れるとしても、家族に仲間になんと告げようか?けれど、そんな不安は簡単に払拭されました。一様に戸惑った表情を見せたけれど、術前から本当によく支えてくれました。今現在十分とは言えないけれど、職場に復帰して白衣で過ごせる様になりました。そんな私を家族も仲間も皆、みんな応援してくれます。かえって真実を告げる事で叱咤激励を受けられる毎日です。仲間って家族って本当に有り難い存在です。再発・転移の不安は消えないけれど今この時を笑顔で過ごせることに感謝です。胃全摘手術を受けて10ヶ月経過した今、癌という病気と向かい合えるようになりました。抗癌剤治療もなんのそのです。今後はこの貴重な病気体験を必ず看護の現場で・・・そう決意しています。家族・仲間の応援に応えるためにも。。
明るく楽しく前向きに!
兵庫県25歳女性
今から約2年前に旅立った母。本当は弱いのに私の前ではいつも笑顔で前向きでした。母の楽しみは私の成長だったからかもしれません。小さい頃からよく一卵性?といわれるほどの親子です。母子家庭での寂しさを感じさせないように、社会で一人前に私が生きていけるようにと自分の人生を犠牲にまでして49年生きてきたんだと思います。10ヶ月の闘病生活、私が中学生の頃から長生きしないかもといってました。毎日いつも一緒にいれた10ヶ月は楽しかった?立派になれてるかな?早く結婚して家族が出来るといいな。沢山聞きたいことはあるけど、今も一緒にいてくれてるよね?母が出来なかった事、私は「明るく、楽しく前向きに!」これからもがんばります☆
自分を必要と思ってくれる人がいることを知ること
千葉県58歳男性
再発、手術後に痛みと抗ガン剤の副作用で弱気になっていたとき、妻と高二の次男坊が「あまり難しく考えずに、そこら辺にいてくれるだけでいいよ」といってくれました。こんな命でも自分がいるだけで安心してくれる家族がいるなら、もうひとがんばりして、病気と闘っていかなければと思い直しました。
相手を想う言葉をかける事
鳥取県44歳女性
乳がん宣告された時、意外と冷静だった。するんと受け入れられた。初期だから大丈夫。先生の言葉が安心を与えてくれていたのか。ある日、会社での会話の中、ある人に「若いと進行が早いよな。」と言われた。冗談のつもりだったんだろうが、この一言が私の心を一変させた。体調まで悪くなった。激しい胃痛に襲われた。転移しているのかも。体中にがんが転移しているかもしれないと思った時、生まれて初めて自分の死を身近に感じ、恐くなった。幸い、私のがんは本当に初期のもので、放射線とホルモン剤治療で今は元気に、普通に暮らしている。
相手に与える一言は、限りなく不安に落としいれる事もあれば、とても安心感を与える事もできる。先生や友人からもらった暖かい言葉に救われ、私も相手に安心感を与えられる言葉を発したいと思う。
夫に抱きつくコト
福井県46歳女性
朝、キッチンで必ず牛乳を飲む夫にそっと抱きつきます。夫もそっと抱き返してくれます。たったの2、3分ですがそれだけで気持ちが落ち着きます。明日もこうして抱きついて抱き返してもらうんだと思うとしっかりと生きなくてはという気持ちになります。
家族とたくさん話し関わる事
東京都36歳女性
私は母と姉を癌で亡くしました。そして私も癌になり治療をして今生きています。母が癌になったときに初めて、母の、家族の大切さを身にしみて感じました。友人に慰めてもらってもやはり一番は家族と話しをしたり笑ったりすることで気持ちが元気になりました。母が亡くなる前日に意識がもうろうとする中で(多分無意識で)何度も何度も「ありがとう・・ありがとう・・」と繰り返し言っていました。姉が亡くなる数時間前も私に対する最後の言葉が「ありがとう・・」でした。多分私が母や姉の立場だったとしてもきっと最後の言葉は「ありがとう・・」だったと思います。なので家族とたくさん話し、笑う事がコツと言えるかわかりませんが良いと思います。
ガンの家族と普段どおりに接し、心の中は元気100%で
愛知県62歳女性
看護師である私の夫が初期のガンであることが判明。夫は昔気質の人でしたが不安そうな様子がチラチラ見えました。娘の手前もあり普段通りの夫に対し、私も普段通りでいました。それでも私は元気でいなきゃと心に思い、世話は看護のプロの腕の見せどころと働きました。
沢山の人と接すること
東京都48歳女性
同じ病気で頑張っている人達と話して勇気をもらったり、健康な人達と屈託の無い話をして少し病気のことを忘れて笑ったりと、色々な人達から優しさ、エネルギーを頂いて私の生きるエネルギーチャージにしています。もちろんそれをそっと見守っていてくれる家族にはいつも感謝です!!
友達とのランチと家族のやさしさ
滋賀県45歳女性
友達に囲まれパワーをいっぱいもらい、がんばる勇気がわいてくる。また、ばあちゃんの毎朝作ってくれる弁当おいしいよ。朝早くからありがとう。
家族と一緒の時間を過ごす
千葉県37歳男性
私が小学校6年生の時に、父が胃がんで入院して3ヵ月でこの世を去りました。それまでは残業で夜の帰宅は遅く、朝は早く出かけるので食事を一緒にとった記憶はありません。入院時、母はとても苦労し、葬儀の前日には疲労入院してしまいました。日々生きていることが当たり前だと思うと、つい家族との時間を蔑ろにしてしまいがちで、ややもすると自分の好きなことが出来ずに不機嫌にさえなります。しかし家族一緒に過ごせる時間など人生のごくわずかな時間だと思います。私は子供が3人います。家で相撲をしたり、公園に行ったりと一緒に過ごせる時間を作る努力を絶えずしているつもりです。失敗はやり直しが出来ますが、死はやり直しが出来ません。
ラジオを聴く。たくさんの人達とつながる。
埼玉県36歳男性
よく聴いていたラジオ番組に、闘病中のことや、いまの心境を包み隠さずメールで送ったら、たくさんの人達から、応援のメッセージをいただきました。そのおかげで、いまでも前向きに闘病生活を送っています。
欲張らないで・・・
東京都46歳女性
夫が半年前に胃癌と診断されました。周りの人々に支えられ、入院、手術、療養を経て、今は再発予防の抗がん剤を飲みながらですが、元の生活に戻っています。癌がわかった時、「このまま癌がわからなければ、来春はなかったかもしれませんね。」と先生に言われました。先日、夫と二人で箱根で一泊する事ができました。露天風呂に入りながら、夫が「極楽だなあ。でもあの時癌がわからなかったら、今頃本当の天国にいってたかもしれないなあ・・・」とつぶやきました。「ゆっくりのんびり生きていこうね。こうして温泉にこれたのも癌のおかげだよね。もう一度貰った命・・・一緒にまた貴方の横を歩いていけるのなら他に何もいらない。」と私は心のなかでささやきました。
思い出を一緒に作る
東京都28歳女性
ガンということを宣告されるとやはり本人は辛いものだと思います。私は、ガンにかかった方と過去に一緒に居た事がありましたが、やはり生きている間におもいっきりやりたい事や思い出を作りたいと言われました。思い出を作る事もガンの治療を受ける事もお金が掛かる事で、ガンにかかった人には、ガン保険には入っておくべきだよ...といわれた事があります。今は亡き人になってしまいましたが、私は色々な事を教えてもらい悲しいことではありましたがいい時を一緒に過ごすことが出来ました。
少しでも一緒の時間を増やす
神奈川県28歳女性
ガンは、本人が一番辛いけど周りの家族も辛い事。ガン=死。そういうイメージが強いけど、一緒に闘う事が大切だと思う。逃れたいけどやはり与えられてしまった運命。健康でいられる事が何よりだけど、一緒に過ごす時間を少しでも増やしたり思い出を作る事が大切。私の周りで、約1年半、乳癌になり亡くなったおばがいます。もっと思い出が沢山欲しかった...悔いを残さないようにやりたい事をやったらよかった...そう最後にあったときに言ってました。なので、身近な家族がガンになった場合は少しでも一緒にいる時間を作りたいと思います。
快復したあとの、楽しみを持ち続けて頑張ること
栃木県69歳男性
私は、約1年半前、胃癌で胃の全摘出手術を受けました。見舞いに来てくれた孫娘が「来年は、成人式を迎えるの。だから、じいちゃんと一緒に、お酒をのみたいな。それまでに、元気になってね。」と励ましてくれました。産院から退院してきた時、座布団の上に寝かされていた孫娘も、はや二十歳。その孫娘と一緒にお酒が飲めるなんて、まるで夢のようです。よし、癌などに負けてたまるかと、退院後も、通院とリハビリに励んでいます。孫娘の成人式には、体調が十分でなかったため、一緒に飲めませんでしたが、孫娘のお酌で飲める日を楽しみに頑張っています。(若い頃、貴社の「がん保険」に加入していて、助かりました)
どんな話でも聞いてあげる事
大阪府44歳男性
どんな些細な話でも その人の気持ちになって聞いてあげる事 
生きている素晴らしさを教えてあげる事だと思います
それらは時に素晴らしい力を発揮します
抗がん剤 後遺症との付き合い方!
兵庫県30歳女性
がんになる前に子供に恵まれたのでそれは救いです。しかしこのがんで私は子供の産めない身体になりました。しかしこの子がいてくれるお陰で私は救われています。抗がん剤は副作用との闘い。今も辛いですが子供の顔を見ると救われます。後遺症はお腹の凄い傷、しかし子供がママとレイラの勲章だと言ってくれます。子供にどれだけ学ばされ励まされるか。
夫を思い切り愛すること
奈良県41歳女性
がんと診断されてから入院中・退院後もずっと私の気持ちが落ち込まないよう温かく励まし見守ってくれる夫。そんな夫に感謝すること、夫を思い切り愛することが自分の活力源にもなると知りました。これからも周囲が鬱陶しがるくらいラブラブでいてね。
自分の気持ちをはっきりと伝える
奈良県62歳女性
家族にも医師にも自分がどうしたいのかキチンと話しておかないと、それぞれの気持ちがすれ違ってお互いに良かれと思ってすることが、相手の気を害することも多々ある。大きな病を抱えた状況ならなおのこと、今後、将来の貴重な時間を大事にするためにも気持ちを素直に話して欲しいです。
二人三脚
鹿児島県35歳男性
先生との信頼関係。夫婦の信頼関係。家族との信頼関係。患者がいくら一人で頑張っても、ガンは治らない。先生と二人三脚。妻とも二人三脚。両親とも二人三脚。
父とがんとの闘い
愛知県45歳女性
父ががんにかかり本人と家族の平和な毎日が変わってしまいました。病気の進行を止める事は出来ませんでしたが保険で十分な治療が出来ました。
愛する者が待つ場所に戻りたいという気持ち
神奈川県35歳女性
私の母は、すい臓ガンと肝臓ガンと肺ガンを、7年患って今年のバレンタインに旅立ちました。それまでの闘病生活で、何度も「今夜が峠です」と言われてきましたが、母は「愛する猫が待つ家に帰りたい」「猫にイイコイイコしてあげたい」という気持ちで頑張って生きてくれました。辛抱強く母の帰りを待っていた猫がいなかったら、とうの昔に旅立っていたことと思います。
最期は病院で息を引き取りましたが、「次は無いよ」と言われた退院も、猫と一緒にいたいという母の願いを半月という短い期間でしたが、本人の第一の希望を優先にしたことが何よりの「クオリティ オブ ライフ」だったと思います。
強がらず、素直に甘える。
神奈川県43歳女性
結婚7年目の妊娠でしたが、出産直後からの入退院を繰り返し、子宮も卵巣もがんで全摘出。その後皮膚がん上咽頭がんなど、5年間は病院通いの日々でした。自分は大丈夫、乗り切れる、負けない!絶対に勝つ!前向きな言葉で自己暗示をかけていても、やっぱり素直に夫に甘えました。思っていた以上に優しかった夫の励ましに、二人で泣きました。夫も不安だったんだと思います。「一人じゃない」それだけで安心できたのです。その時テレビで流れていたダイアナロスの歌の詩に、何度も自分を重ねたりもしました。ひがんだり落ち込んだりいらいらする自分でしたが、この詩で優しさや明るさを保っていられたと思います。息子も15才になり、あんなに悩み不安な日々は、もう思い出に変わりました。素直に甘えて、重い荷物を半分持ってもらえたことに「感謝」しています。
夢を持つこと
埼玉県43歳女性
母が乳がんになった時 母の人生を思いました。
家族のために働き 定年になったら乳がん発症。
そしてうつ状態に。
何に対してもネガティブになって・・・
母は手術がうまくいき 今はなんとか元気に明るくなりました。
そんな母を見ていて 常に夢を持ち前向きに生きていきたいと思いました。
年に関係なく やりたいと思ったときにやれる力を持ちたい。
もし私ががんになっても そんな前向きな気持ちを持ち続けられたら・・・と思っています。
この母にしてこの娘あり
群馬県35歳女性
33歳の時乳癌発覚。でも、10年前の我が母の多重癌の闘病姿を見ていたので深刻にならずに済みました。どんな時でも明るく元気でくじけない。甲状腺癌発覚半年後に直腸癌が見つかってもなんのその!お気楽、前向き、働き者なハハです。あの姿を見せられたら、嘆いてなんて居られないでしょう!私も見習って明るく過ごしてます。正直病気であることをも忘れてますね。ブログも書いてますよ。人には「あまり深く考えない性格なのね」と呆れられてます。でも人生楽しまなくちゃ損ですよね♪
監督に専念
新潟県43歳男性
早期発見のため切除のみですみました。傷を見たときは「人生終わったな・・・」と3日間泣きましたが、幼い娘が見舞いに来たときに「この娘のためにも・・・」と不思議な力が湧きました。自営のためエースで4番を自負していましたが、現在は監督業に専念し未来のエースと4番を育てる事を念頭においています。何と運の悪い人間なんだと悲観した日々もありましたが監督に専念してからは心のゆとりが出来たようです。
気遣いはかえって迷惑
茨城県30歳男性
がんになり、一番ショックになるのは本人ですが、周囲の家族も同様にショックです。周囲は気遣い「大丈夫、痛くない、がんばろうね」と元気づけたつもりでの言葉は、本人にとっては、かえって心を閉じさせてしまったり、イライラになってしまいます。
そこで、ありのままを伝える事です。本人は家族に病気の事や、今の不安を話し、そして、家族はそれを聞くことにより、今何を考え、何をしてほしいのか?が解る様になり、病気になってからの生活をよりよくすることができると思います。
点滴とちょっとお酒で水分補給?
島根県51歳女性
最期の日々は在宅で...、一ヶ月といわれた命は半年を得て、父は穏やかに家族の暮らしに寄り添ってくれました。もともとお酒好きだったので「飲みたいだろうな」とは思っていました。ある点滴のない夜に、ついぞ寝過ごした私が気付かぬうちに冷蔵庫まで歩けたのです。そして朝、ベッドのそばに缶ビールが3本。「おまえが飲んだのか? とうちゃんも飲みたかったなあ。」もちろん私は飲んでいません。父のとぼけた自由な在宅介護の楽しいひとコマでした。
自分に嘘をつかない
山口県82歳女性
告知をされなくて本人も家族もお互いが嘘をついて相手の顔色を伺っているよりも、素直に気持ちを伝えられたら悔いが残らないと思う。
感動と感謝
神奈川県55歳女性
我が身よりも私を大切に支え続けてくれる夫を育てた亡き舅が「感謝の日暮し忘れるな」と、度々伝えてくれていた言葉を今の闘病で心から理解できるようになりました。人々、生物、植物、に感動し、様々な場に出会えることにも素直に感謝です。舅に「ありがとう!」の日々です。
栄養のバランスを考えた手作りの食事を心がけること
三重県54歳男性
S字結腸癌にかかって手術してから、丸5年、家にいる時はいつも家内が栄養バランスのとれた食事を作ってくれます。仕事柄、外食が多く、運動もあまりしない私にとって、前日カロリーの多いものを食べた翌日は、庭で栽培している野菜等を使って料理してくれて、自然食で食事を楽しみます。家内には、感謝の気持ちが一杯で、自然からもらったエネルギーで癌を克服しています。
いっぱい泣いて周りに受け止めてもらうこと。
神奈川県44歳女性
私は乳がんと告知されたとき、結婚も出産も出来なくても生きていたいと泣きました。そしてこれからの生活に支障が出ると思った結果、家族、友人、仕事場、あらゆるところで自分の病状を知らせました。それによってみんなが私を助けてくれると信じたからです。今、みんなの支えによって私は生活を送っています。周りに話して、病状をわかってもらうことでラクになれたと思います。
禁酒禁煙、でもちょっとだけ晩酌
東京都46歳女性
あれほど愛煙家だった父が、胃ガンの手術を終え退院後、ピタリとタバコをやめました。でも、退院して半年ほどすると、毎日ちょっとだけ晩酌は再開。たまに夫を連れて実家へ帰ると、夫を相手に美味しそうに晩酌する父です。でもちょっとだけです。
がんに負けない自分を信じ、前向きパワーでいきましょう!
東京都55歳女性
「えっ鼻血?!」まさかそこからこんな想像を絶するストーリーが始まるなんて、思いもしませんでした。顔のど真中鼻の奥に何とがん!それもほとんど例のない珍しい場所に...。
これには暗くなれない病の私もさすがに落ち込みましたが、「泣いてたって始まらない!」と前進モードにスイッチを切り換え、前向きパワー全開で大手術...今こうして元気に生きています。
顔の真中は空洞で嗅覚もなく、失った物は大きいですが、とんでもないがんを越えてから見る世の中は、一段と明るく楽しくなりました。がんに負けない自分を信じ、前向きパワーを持ち続けた事!それを支えてくれたのは、何でも話せる信頼出来る医師と、いつも近くにいてくれた家族や友達、そして保険に入っていたというとっても大きな安心感...それらがすべて1つになって、最悪のがんストーリーを最高のハッピーエンドにしてくれたのだと心の底から感謝しています!
がんでもその人らしさを大切にし家族のケアも行う
福井県29歳女性
がんの告知率は年々増加しているが、告知後や終末期になると痛みをとるという事を中心に考えてしまう。その人のQOLを知ること、症状をマネジメントしながらその人らしい生き方をサポートする事が私たち医療者には必要と感じた。患者だけでなく、その家族のサポートを行い、患者・家族が一番良い方法を考えていくことが医療者の役割と考える。
いつまでも言うことを聞く
福井県31歳女性
母は私が中2の時ガンで他界しました。その時、中学生で何も出来ず父に連れられお見舞いに行くだけでした。そして、他界した後に何か出来たのではないか、母とこんな事したかったと後悔しました。そして、去年祖母がまたまたガンで他界しました。祖母がガンと聞いたときに私は、母のときの様に後悔しない様にと思い、頼まれた事等は出来るだけ行動しようと心がけました。最後、入院生活になった時も父と叔母と私で交代でついていました。薬で幻想が見えるようになってもここで反抗してはいけないと思い叩かれてもつねられても我慢しました。今は、後悔していません。祖母はもっともっと私に言いたい事はあったと思いますが、私は最後まで祖母の言うことをとりあえず聞けたかなと思っています。
家族が協力し、励ましあう
長野県41歳女性
年老いた親が癌闘病中です。一緒に過ごす時間をとり、悩みを聞き、励まし、治った時の夢を語り合い、元気な時は短時間でもいいから外へ親を連れ出す・・・
家族同士で携帯を使い頻繁に情報交換もしています。「今日は具合が悪いようだ」「毛が抜けたのを気にしていた」等患者に関する報告から、癌最新治療情報まで。
「癌のお陰で家族の絆も強まったみたいで良かったわ」と親の言葉を聞いて、私達もはっとさせられました。これからも一致団結してがんばりたいです。
沢山おいしいものを食べる
神奈川県25歳男性
がんになった父を、好物のすしを食べに誘った。笑顔で完食したので、きっと良くなると、確信しました。
仲間と語り合う事を大切にしています
長野県47歳女性
患者会の仲間・病室で出会った仲間。年齢・性別・環境がまったく違うけれど、たった一つの共通点で結ばれたステキな仲間。泣きながら語ったあの日、涙で滲んだ手紙の文字、長い長いメールのやりとり、仲間だからこそわかりあえる気持ち。励まし合い、時には叱咤激励する時も、笑顔をありがとう!涙をありがとう!優しさをありがとう!“がん”というキーワードで結ばれたステキな仲間と語り合う事です!
季節を、楽しい事を、おいしい物を感じさせてあげて、一緒に普通に会話をする事
愛知県48歳女性
母の時はただ顔を見せて、アルバイトで手にしたお金で好きなイヨカンを購入し、持参。自分で使えるお金を少々まくら元へそっとしのばせてあげる事しかできなくて。父の時は、お酒を(大好きなのに)とめられていたので、せめて、好きなサシミを時々買って食べてもらい、一緒にテレビを見ているだけ(そばにいるだけや)。イトコの場合は・・・・ずっと入院(母もでしたが)だったので、町のビル街では見られない桜を持って行ったりコッソリ寿司や、イチゴ、ゼリー、を持って行きました。かわいそうに・・・・ではなくて、本人は死期を知っていたので、普通に病気の事も話し、ケンカもし、ダメ出しもし、食欲がない(落ち込み)時は無理して病院食でなくてもいい!と思い、食べたい物を持参しました。一番は会って、楽しい時間をすごしてあげる!少しでも忘れられるように・・・・・
毎日違うステキな便せんや封筒で、手紙のやりとりをすること。
宮城県52歳女性
手紙をもらうことはとても嬉しいものです。女性はいつまでも少女でいたいと思っています。だから友人に手紙を書きました。手紙は生きた証のような気がします。
自分の通う病院の待合室で新しい友人を探して友人になる。
東京都56歳女性
同じ乳がんの方がほとんどいないので、声をかけてあげると、ほとんどの方が、パッと明るくなって自分の悩みを話して下さる。「他にも自分と同じ悩みの人がいた。」ということでほっと安心してくれるようです。
本人の所での明るい雰囲気作り(無理をしても)
埼玉県64歳男性
私のむす子のよめさんの父親(60才)が現在ガンとたたかっております。一日おき位に、まご二人(4才2才)をぜったいにつれて病院に出向き、まご二人にはいいきかせ、かん者さん本人にはふだんと変わらぬ調子で話しかけ、元気だった時のことのおもいで話をたんじかんですませ、それを、必ず二回程くり返して、病室を後にします。そうしていますと、本人は、気分がやわらぎ、いたみくるしみから、だいぶ快方しつつあります。気持ちだけで本人は元より身内全体がわずかでも明るいきぼうに向かって行っております。
家族の笑顔薬
沖縄県39歳女性
つらい治療やたくさんの薬を飲むより家族の笑顔にささえられる事が一番の薬だと思います。
大いに笑う。大いにけんかする
大阪府50歳女性
私と主人は再婚ですが、私の息子や娘の子供は「じいじ」と主人になついています。どんなにしんどくても孫の顔を見ると笑顔になると言います。子供の無邪気な笑顔は、ときに落ちこむ心を大変なごやかにいやしてくれます。私と主人が大いに笑い仲よくしていると、娘達もよく家に来てくれ孫達も楽しそう。その為には時には弱気になる主人と、時にはけんかしながら励まし、テレビのバラエティを見て大きな声で笑いころげたり病気をふっとばそうとがんばっています。2月19日は手術日です。病気もかわいい子供の笑顔やびっくりするくらいの私達の笑い声で退散すると信じています。
感謝して生きる。
兵庫県51歳女性
救ってもらった命、医療関係者にも、薬剤にも、スタッフにも配偶者にも、直腸癌になった叔父、救ってもらった命、叔母との時間を大切に、すべてに感謝、美味しいお茶を飲んで散歩、ゆったりした時間と叔母との会話、すべてに感謝、今までの命、これから残りの命、見る目が変わった自分に感謝、「ありがとう」という言葉に感謝。周りすべてに感謝。
友人夫婦と四人で遊ぶこと
熊本県52歳女性
8年前、突然子宮がんの宣告をうけ、やはりきたかという思いが頭の中を横切りました。25年前、実母を胃がんで亡くしていたからです。幸い発見が早く転移の心配もいらないといわれました。それからのわたしは、残された人生を悔いのないように生きようときめました。今まで子育てに追われて夫婦で旅行をした事もなく食事に行くことも滅多にありませんでした。なので、まず、友人夫婦を誘って趣味の骨董市見学の日帰り旅行に行きました。その後、この友人達と4人で旅行したり映画を見たりと行動範囲を広げていきました。おかげで、夫婦二人ではけんかが絶えなくても4人一緒だとなぜか笑顔で時が過ぎていきました。現在、私は週二日プールで1時間ほど歩きます。がんと向き合っていることを常に頭おいて精一杯明るく生きていこうと思います。
自分ひとりでくよくよしない。あきらめないで。
滋賀県40歳女性
七年前、慢性骨髄性白血病を発病しました。当時、子どもたちは一才と五才。生まれて初めて、「死」を意識し、途方にくれていました。主人は私に言いました。「病気は、しかたがない。でも、ここから治療を始めよう。ドクターや現在の治療を信じて続けていけば、完治の可能性は十分にある。この病気はこの治療法で、五年生存率何%と言われるけれど、関係ない。世の中には、私たち以上に病気と闘っている人、家族がたくさんいる。子どもたちのためにも、頑張るぞ!」。その後、入院中の「絶対に治して、社会復帰したい。」という思いも叶い、元気に暮らしています。子どもたちは小学校二年生と六年生になりました。抗ガン剤で髪の毛が抜けてしまった時も普通に接してくれた子どもたち。応援してくれて感謝しています。もちろん主人にも。
家族で支え、互いに目標を持ち、持病に感謝し、笑って生きる
徳島県72歳女性
夫は大腸がんで手術をしました。四級の身体障害者です。術後15年になりますが、ずっと不安をかかえて生きてきました。再発の恐れは頭から離れません。便秘が続いたり、腹痛が起こると夜も眠れません。その時は「きっと良くなる 病には負けられぬ」と、不安を川柳に託して書き綴ります。定年後は司会、キリスト教の集会等と一週間休むことはありません。時には親しい友と飲み会にも出かけ楽しんでいます。でも、体調が悪くなることが度々あります。夫は暗い顔になり家に灯が消えたように思います。その時は二人で好きな讃美歌を歌って祈ります。「神様、夫に笑顔をいただけますように。」すると、夫の心は落ち着くのです。「神様は、まだ天国へ来るのは早いと言ってるよ。」「そうだね。」なんて、元気を取り戻して平常心になり山を越えるのです。
私にとって妹の愛情一杯の手作り料理が、命の源です
宮城県57歳
生命力の豊かな野菜を私に食べさせようと家庭菜園を始めた妹。抗酸化作用、がん予防、血管の保護、血行促進、免疫力維持など。パワーアップできるように、野菜と魚を中心にした手作り料理。妹のお陰で体に溜まった毒素が溶け出るような気がします。毎日前向きな気持ちで、病気と向き合っています。
友をもつこと
岩手県40歳女性
抗ガン剤の副作用に苦しみ、死の恐怖に押しつぶされそうな病院での毎日。しかし今元気を手にしているのは共に闘い苦しむ友がそばにいてくれたからこそだと思う。お互いの体調を考え、時には差し入れをもらったり、あげたり、退院しても、どこか心は通じ合いメールをしたり手紙を書いてつながっている。苦しさを共有した仲間に再会しては、少し弱気になっている自分にまたパワーをみなぎらせることができる。年齢を超えた友、病気と闘った友がいるからこそ私はまた前に前に歩んでいける気がする。
頑張っているね
埼玉県49歳女性
(私自身ではありません、母の看病をしていました。)初めはわからずがんばってとか、がんばれとかはげましているつもりが、母の口から「何を頑張ればいいのよ」と言われてから、がんばっているねとみとめてあげることを教えてもらいました。
他界した両親の墓に出向いて語ったり祈ってくる。
栃木県60歳女性
私が医者からガンを告知された翌日の朝早く電話がかかってきました。母からでした。「きのう何かなかったかい。夜中に「お母さん」と叫ぶ声がして目がさめたんだよ。でも遅かったのでいまかけたんだけど・・・」私はびっくりすると同時に親娘の絆ってこんなに深いものなのかな・・・と心がふるえました。ガンについては最後まで母には言えませんでした。「母より先に死ぬわけにはいかない。」これが私の一番の願いであり、生きる支えとなりました。私の手術一年後、母は他界しました。大腸ガンからスタートした私は今、新しいガンと闘っています。両親の墓に出向くと心が落ち着きます。特に母には何かを語りたくなります。母の好きだった花をたむけ、手を合わせると、朝一番に電話をかけてきた母の声が、いつもよみがえってきます。「お母さんありがとう」毎日毎日が母への感謝で明け暮れています。
前向きに笑って、毎日を家族のために過ごすこと
富山県52歳女性
今年の1月19日、悪性の乳がんと診断され、それも中期!頭の中は真っ白!!何故、私が?とどれだけ思ったことか・・・でも時間が経ち、心を切り替え、このままの自分ではダメだと思い「自分は絶対がんに勝つんだ!!生きるんだ!!」という強い意思を持ち、前向きに家族のために笑って毎日を過ごそうと思った。
孫の成長を生きがいにして。
神奈川県63歳女性
市の集団検診で子宮ガンが見つかり、すぐに大学病院に紹介されまして、精密検査を受けました。その日のうちに、入院日、手術日を予約して帰りました。自分では全くあれよ、あれよと、とんとん拍子に事が運んでいくのでびっくりしました。でも結果は順調でした。結果がよかったのも孫(当時1歳4ヶ月)のお見舞いがどんなに励みになったことか、本当にうれしかったです。帰るときはお互い涙、涙でした。かわいい孫の為に病気に勝つことでした。今年で3年目に入りましたが、順調でありがたいことです。孫の成長を生きがいに頑張っていきたいです。
妻は、病に勝って戻ってきました。これからも笑顔で暮らそうな。
茨城県67歳男性
去年の11月に胃がんの告知がありました。妻と二人でこの告知を聞きましたが、二人とも「病気は絶対治そう」と心で思っただけで、何も話は出来ませんでした。1月4日に入院、手術は1月6日でした。110日間で退院し、今に至っています。今はただ感謝の言葉だけです。この病気になって心配してくれた人たちや家族の心があったからこそ病気も去ってくれたと思っています。アメリカンファミリーの保険にも二つ入っていたこともありがたかったことです。たった一度きりのもったいない人生、妻と一緒に生きていこうと思う今日この頃です。ただ、「ありがとう」「ありがとう」の一言です、妻に。
ユーモアを忘れない
愛知県47歳女性
去年、他界した父は亡くなる直前まで周囲に気遣いを忘れませんでした。「おい。癌のせいで頭がガンガン痛むのか?」「ワシの癌は肝癌じゃなくて頭癌(トウガン)だ。トウガンは好きだけどな・・・」そんな冗談を言って家族や看護師の人たちを笑わせてくれました。本人も“笑う”ことで死の恐怖や苦痛を紛らわせていたのかもしれません。後に、“笑う”ことは免疫力を高め、癌細胞を抑制する作用があると知り、「なるほど・・・」と納得しました。
今、生かされている事に感謝
愛知県62歳女性
心の中では、いつも不安をかかえていますが、今こうして元気でいられるのも、主人、家族、友達、どれほど助けられたことか!これからは私が皆さんに少しでも恩返しをしたい。どんな小さな事でも生きる喜びにつながります。毎日毎日“感謝”“感謝”
夫にだけわがままを言います、甘えます。おいしいものを食べに行きます。
新潟県53歳女性
乳がんです。リンパ節転移あり、がん治療のフルコース(抗がん剤・手術・放射線)をしました。現在も、闘っています。
ガールフレンドと一緒に食事をしユッタリ散歩することです。
福岡県78歳男性
あれから(ガンの手術から)死の恐怖に怯えながらも一年二ヶ月があっという間に過ぎました。最初の目標は、一年ガンが再発しなければ良いと思い、副作用に苦しみながらも放射線の治療や抗ガン剤の投与を受けましたが、そのうちこの病気は天に任せて自分で治してやろうと思う気持ちが湧いてきました。月一回の主治医の検査や診察も楽しくなってきたし、今の私は田舎から月四回羽田空港を利用しておりますが、活気に満ちた空港に降り立つとヨーシ生きてやるぞ、と希望を奮い立たせるのです。それに近代日本発祥の地、銀座の探索と究極の料理の楽しみがありますし、高級感の溢れた気と健康な大勢の人々の気が、闘病を続ける私には良いようです。皇居の緑の森を仰ぎ千鳥ヶ渕の桜の下をゆったり散歩すれば、病気のことをしばし忘れることが出来ます。私に残された月日は多くないので、ガン細胞と共存しながら楽しく生きていきたいと心に祈念する近頃でございます。
気の置けない友人や家族とおしゃべりをする。
佐賀県65歳女性
私には明るい友人がたくさんいます。電話をくれたり、会いに来てくれます。その時はよく大笑いします。他愛のないはなしをしてストレス解消。家族+雑種の犬も私を大切にしてくれます。みんなに感謝!!いつも笑って暮らそうと思っています。
お互いに、がまんしない事。つらい時は、一緒に泣く。
栃木県48歳女性
がんと生きるには、一人ではとても乗り越えられないと思います。私の主人は平成18年12月に亡くなりました。二年四ヶ月のがんとの闘いでした。病気がわかった時点で手術は無理、残っているのは、抗がん剤等の治療だけでした。その時から私と主人の生活は変わりました。主人一人では、がんと向き合って共存しながら闘っていく事はあまりにもつらかったのです。そしてどんな時でも一緒につらい治療と闘い、時には泣いたり、時には笑ったり、一つの事を二人で共有して励まし合ったりして、濃い人生を歩いて行っているのだとお互いに話していました。本当はつらい時には二人で抱き合って泣いた日々も沢山あります。泣き終わった後は、また二人でがんに立ち向かっていこうと。がんばっているのだからこれ以上はがんばらなくていいよ。でも諦めないでいこう。主人は亡くなる7日前まで会社に行き、前向きにがんと闘ってきてくれました。
あるはずの無い坂、まさかを2人で!
愛知県60歳男性
「まさか俺がガンとはなぁ」「先生達には一生懸命やって頂いたのにまさかこんなに治療期間が長引くとはなぁ」「えっ、まさか一年で肺に転移なんて・・・・」日頃、妻に苦労を掛け続けて来た私の口ぐせは「年老いてからだよ、俺達が夫婦らしくなるのは・・・・」でした。今そんな夫婦がまたしても“まさか”に迷い込み、でも何とか追い上がってます。やっと夫婦仲良く力を合わせ、こんな坂滑り落ちてたまるか!と。ここまで「待ちに待った私の為に絶対長生きしてね」の妻の言葉に上を向いて涙する私です。
「次男が二十歳を迎える日までは
とにかく生きていよう」と思うこと
福島県41歳女性
小学校の子供二人を残し、自分がいなくなった未来を想像しなければならない現実は、とても切なくて辛いものでした。お金をいくら残してあげられるだろうと考えてばかりいた日々。「生きてるだけでいいよ」と言ってもらえたありがたさ。命懸けで挑んだ出産だったのにあっという間に大逆転、子供達は私の命を救ってくれました。一緒に生活出来る幸せを毎日噛みしめます。本当に必要としてくれる人達がいるから、もう怖い物はありません。
私にとっての特効薬は家族、友人、店のお客様の励ましでした。
愛知県59歳女性
抗ガン剤治療で入院した時に病院のなかで皆がガンの怖い話ばかりしていて気が滅入ってしまいました。前向きな姿勢でいないと病気に負けてしまうと思います。それと目標をもつ事。私は1日も早く仕事(喫茶店経営)に復帰しようと頑張りました。励ましてくれた数多くの人達に感謝しながら。
明るい表情、ストレスをためない。
京都府36歳女性
2年前、父がガンで死亡しました。その1年前、告知され、本人も知っていました。私はなるべく実家へ行って、農業を手伝ったり、一緒に食事したりしました。死ぬ前日も親類の人たちをよんでごちそうして楽しそうに食べて、飲んでいました。死んだと言っても近所の誰も信じてくれませんでした。最後まで元気で明るかった父です。
人と交流し、教えられ感謝すること
神奈川県60歳女性
青天のへき靂と驚き、神や仏を恨み悲嘆にくれ、と、ガンを告知された人、お決まりのコースを辿った私は、仕事の中でガンを忘れようとしてきた。でも、今、ずっと好きだったお菓子を作り、またあらたに、お料理教室を始めた。体にいい物はガンもはねつけるからと人に伝えている。伝えているつもりが教えられることばかりだ。三人寄れば文殊の知恵と言うが、いい情報が沢山入ってくる。人に友に、家族に感謝して3年がたつ。
目標を持って毎日を過ごす
福岡県49歳女性
私の母は四十代で乳癌、七十代で胃癌、そして胃癌の手術後五年で再発しました。乳癌の時は私たちも中学生だったので「この子供たちが大きくなるまでは死なれん」と私たちが高校を出るまで、就職するまで、そして結婚し孫ができるまで、と毎日希望を持って過ごしました。次は孫が大きくなるのを楽しみにし、四人の孫に机を買ってくれ、中学・高校へ入るたびに四人共にお祝いをくれました。その孫たちも成人しました。「次は結婚してひ孫を見られるかねえ」と言っていた母は、孫の結婚式に出席し、ひ孫を見ることもできました。「今度はひ孫に机を買ってやりたいね」と目標を持ち、毎日感謝しながらすごしています。
家族と小旅行をする
三重県49歳男性
旅行することにより気分が晴れ、家族との会話がはずみ、前向きな気持ちで生活を送ることができます
同じ悩み(病気)を持つ友達を持つこと
東京都57歳女性
病気の痛み、不安感など、話をすることで半分になり、何よりも一人じゃないんだという安堵感で気が楽になる。孤独感が一番つらいので・・・
姉の顔を見ながら、ユーモアを交え、たくさん話をする事です。
大阪市51歳男性
私の姉は3年前に脳腫瘍の為、52才の若さで亡くなりました。病気が分かった時、私に出来る事は、少しでも一緒に過ごす事だと思い、子供の頃の楽しかった思い出や、3才しか離れていなかったので、よくケンカもしたので、その時のヤリトリなどを笑いながら、時には当時の事を思い出し、本当に腹を立てながら、語り合い本音をぶつけ合いながら、亡くなるまで、おしゃべりが出来た事は今になって思えば本当によかったと思います。頭が痛いので、普段はおとなしく、だまっているが、私が行った時は楽しそうに笑って過ごしている時間が本当に貴重だったと、姉のダンナに後で言われた時は、私も少しは役にたったのかなァと思いました。
いっしょにこれからも歩いてゆこうと思うこと。
滋賀県47歳女性
生きている時(いま)いっしょにいろんなものを食べて、おたがいに思いをしゃべって、時間を大切に過ごすことだと思います。それが思い出となり、私の生きてゆく心の支えになると思うから。
常に恋すること。
東京都50歳男性
ガンの発生はストレスからと言うが、ストレスの影響を柔らげるためには、恋することが一番。妻を含め、誰かを好きになり憧れる気持ちを持つと、胸が高鳴ります。その高鳴り、トキメキがあれば、ガンにも勝てる気がします。
あなたと子供達とずっと生きたいから、がんばっていく
大阪府45歳女性
(理由1)末期のガンなら、もうあとがないし、あきらめモードも強くなってくるけど・・今はまだ大丈夫、でももしかしてすぐ近くに忍びよってきてる病気に命を持って行かれるんじゃないかと不安と恐怖の日々に、その中でもやっぱり私の愛した主人と子供と1分でも1時間でも長く接していたい、いっしょにいる時間、同じ空気を吸っている時を持ちたいと思ってやってこれた。絶対あきらめない、へこたれないという気持ちの素がここにあります。(背骨の骨転移がありベッド上で寝たきり生活を送ってほんとに辛い毎日ですが、心の支えは家族です)
(理由2)病室ではげまし合ってきたたくさんの入院患者さん同士、遠く離れた土佐の地で各々の家族の話を聞きながら涙をたくさん流した日々、でもその友達も何人も亡くなっていく。次はもしかして、という不安を毎日持ちながら、でも患者さん達と誓った、みんなで生きよう、がんばろうという気持ち、その心底には、いつも家族の声と顔と言葉がありました。
私の場合それは妻の愛に縋る事です。
和歌山県72歳男性
国民的歌手三波春夫さんがなくなられてから五年の歳月が流れました。師と敬い兄とも募った三波さん、その人生は本当に頭の下る思いが致します。亡くなられる前後して私にも前立腺がんという有難くない病魔が発見されたのでした。一刻の猶予もなく医師から手術を勧められました。やはり一番先に耳にした長男、そして二番目に聞いた長女、妻は最後に私に打ち明けました。妻は「全て医師にお任せしようね」と結論に達しました。その言葉一つで私は意を決し手術台への人となりました。術後数週間ベッドから方時も離れなかった妻「がんばってね、あんた一人の体じゃないんよ。」その言葉に何度励まされた事でしょう。退院後、妻同伴の通院は5年目に入りました。注射内服はその数知らず、妻の介護は「時には厳しく、時にはやさしく、そしてあなた一人の体ではない」この妻の行動と言葉に支えられてきました。もう5年前の私とは違います。生活も以前に戻りました。俳句川柳の作句、唱歌、演劇にとその情熱は留まる事を知りません。がんと生きるコツは「妻に縋る事」只それのみです。
いつも笑顔で、人に明るく接すること。
兵庫県67歳男性
妻は、私が病院へ見舞いに行くと嬉しそうにしながら「元気だから、毎日来てくれなくてもいいのよ」と言っていました。見合い結婚だった彼女は、看護師さんから「勝部さんは、恋愛結婚でしょう」と話かけられたことも嬉しいようでした。私が、いつもにこにこしながら(本当は悲しく辛かった)病院の周辺を妻と二人で話をしながら仲良く散歩しているのを見て、そのように思われていたようです。何となく暗い雰囲気の病院で、私の笑顔は妻に生きる勇気と明るい希望を与えていたのではないでしょうか。
妻と会話をする
三重県49歳男性
1人で悩んでいても解決しないので妻と楽しい会話をして気晴らし。ストレス解消し少しでも治る様心がける。
父と接する時間をなるべく多く持つこと!!
広島県53歳女性
とにかく父は働く事以外には何も楽しみはなく・・ずっーと農業をやって来ました。老いても自分に出来る事、草刈や冬には雪かき・・家族の負担を少しでも・・といつも考えてくれています。私達四人の子供達が父と一緒に農作業する時の父の嬉しそうな顔の表情で和やかさを受けます。やりたい事は止めないようにして、兄妹で話し合い、実家に行って接する機会をなるべく多く持つようにしています。
先生との良い関係
滋賀県46歳女性
主治医はやっぱり主治医でした。4年半内科の先生に診てもらいました。人間同士だから行き違いなどもあったと思われますが再発の不安などを乗り越えられたのは一番私の身体、性格をわかっていてくれた主治医の先生の言葉でした。先生との良い関係で癌を乗り越えようとしています。
何かを一緒にすること。
大阪府16歳女性
祖父ががんの時、一緒に栗をむいたり、歌をうたったり等しました。このようにがんのつらさなどから離れて一緒に何かをして楽しんだりすることで、不安を少しでも緩らげることができ、残りの生活が祖父にとっても私にとっても充実したものになりました。
正直に語り合うこと。
愛知県35歳女性
初期の脳腫瘍が見つかった父はかなりのショックを受けつつも即手術でした。家族も父も初期のものとは言え、脳の手術ということで覚悟をしながらでした。もしも死んでしまったら、もしも障害が残ったら・・・?私たち(母、私、妹)とも医師とも父はほとんど話すことなくの手術だったような気がします。私の家族は会話不足、お互いが照れ屋だったとも思います。手術は成功、病後も良好、再発もせず、父は別の病気で亡くなりました。亡くなる前はすっかり脳腫瘍のことは忘れていたようでしたが、父を亡くした私としては、あの時もっと父と話しておけば良かったとか今だに思えてなりません。十代、二十代の気恥ずかしさがあったのかもしれませんが結婚し子の親となってみて、父のことを知りたいと思えるのは私だけなのでしょうか。
自分の都合のいい時
病人になって家族に甘えています
秋田県56歳女性
農家の主婦ながら会社につとめ、地域の行事や実母の看病、進路に悩む息子達の力になろうとただ走り回っていた四十八歳の時、集団検診で胃ガンがみつかりました。肉親に励まされ入院した夜、白い天井をみつめつつ、「何も考えなくていい、何もしなくてもいい、だって私は病人なんだもの」とつぶやきながら涙をながしました。それは、胃を全摘する辛さではなく、何ごとも自分がやらねばと、気負って頑張って生きていたことを断つ、解放感の涙でした。今、私は家族に対して我ままになりました。夫も姑も私を大事にしてくれます。「ちぇっ、母さんは都合のいい時、ビョーニンになるんだからァ」といいつつ息子達は手伝ってくれます。んだんだ!だって母さんは病人だもンと笑いながらゆっくり歩く日々です。
私の母にとってのコツは息子が開業した医院で受付を手伝うこと。
兵庫県52歳女性
74歳の母は、5年前に大腸ガンの手術をした。手術後はとても順調で、毎日息子の医院へ歩いて通い、受付を手伝っている。歩く事により、両下肢の筋力低下の予防となっている。また、受付をするという役割をになっているということで、本人の自信にもつながり、気力のアップもはかることができていると思う。母にとって、日々患者さんと接することは生きがいになっているようだ。
相手が喜ぶことを探す
愛知県56歳女性
ガンと向き合う時とは、二人の関係を見つめ直すとても貴重な「神様から与えられた時間」だと思います。限りがあることを初めて真剣に意識して、今までの思い出をたどり始めます。あなたはどんなことが好きだったのか。あなたはどんなことを喜ぶのか。あなたの見たいもの、聞きたいもの、行きたい所、したいこと、話したいこと、できる限り思い出し、可能な限り実現させてあげて、悔いのない日々が過ごせるように「心が満足すること」を、ひたすら考えて尽くしてあげて下さい。
ともに・・・友と
埼玉県46歳女性
ずっと走り続けて来たから、少し休憩、そんなタイミングだったのだろう。病気に対しての知識がなかった私は、告知の時でさえ、看護師さんが拍子抜けする程、冷静だった。手術が決まった時も、切ってしまえば終わりだと思っていた。病理の結果後、主治医と治療方針を話した時、初めて長い闘いになる事を知った。乳がん・・・こんなに沢山、同じ病気の人がいる事に驚き、一ヶ月の放射線治療の中で、一緒に闘う仲間も出来た。ホルモン治療中の「ウツ」を支えてくれたのは、同病の友だった。生きてきた環境はもちろん、年齢も違うけれど、病気という絆で繋がって、まだまだ先は見えないけれど、確かにあると信じている、その先のGOALへ・・・ともに闘う友と。
病気の事を忘れ、家族と笑って楽しく過ごすこと。
香川県45歳女性
「病は気から」と云うように、病気を患っていても、心まで患ってはいけないと思うから。人間、誰しも有限。ガンになったから、より一層、家族や友人と大切な時を楽しく過ごしたい。泣いて悲しく過ごすより、笑って明るく過ごしたほうが楽。入院中に看護師さんから聞きました。「余命三年、と言われたおじいちゃん、笑って、大らかに生きて十年目よ。」笑いが心の栄養剤かも!!
心がワクワクする生きる目標を持つこと!!
愛知県42歳女性
4月から、高3と高1になる息子がいるのですが、その子どもたちと、一緒に、進路を考えたり、話をすると楽しい。また、同じ職場の人たちが、私を、待っていてくれている。早く復帰して、仕事をしたい。それが私の目標です!
夫と娘、そして私の幸せな未来を想像する。
山形県32歳女性
つらい治療や不安な入院も私達3人家族の幸せな未来のためと思い、1年後・3年後・・・と長い目で病気とつき合いたいと思います。
仲間と支え合いながら前向きにくらす。
宮城県69歳女性
私は九年前に乳がんで右側全摘いたしました。「これからの人生、一人、家の中でポツンとくらしてはダメよ、何か好きなことをしなさいね、でもムリはいけませんよ」と病院の看護師長さんに退院のときにいただいた言葉。手術の一年前に講した「読み聞かせボランティア」、その仲間達の声掛けに誘われていっしょに活動の輪に入った。図書館のおはなしのへやで、幼いこども達に絵本や御芝居を読み聞かせ、児童館では両親共働きで放課後をここですごす児童を相手に読み聞かせ、老人ホームでも好きなことをさせてもらっている。仲間の支えはもちろんだが、こども達や老人ホームのお年寄りからたくさんパワーをもらえる喜び、高価な薬よりはるかに私の薬であり生きる「力」である。前向きに自分らしく、私の道を歩いていこう。がんはきっと逃げていくだろう。
家族の支え合いが大切
兵庫県40歳男性
私の父が約10年前に肺ガンで他界しました。寂しい事です。ショックでした。まだ六十三才でしたから、若いです。父の病気がガンで、あと一年の命だと、主治医の先生から聞かされた時は、あぜんとしました。健康自慢の父親でしたから。でも、現実をつきつけられると、私も兄弟も母もうろたえていました。でも、悩んでいても何も始まらないので、家族同士で話し合い、父の看病に当たる事にしたのです。私や弟や妹も会社の仕事帰りに病院へ立ち寄り、世話をしました。無論、母が一番看病しましたが、私達もきたるべき時に備えて、一生懸命、看病しました。絶対、後悔しない様に。やがて父は旅立ちましたが、私達は充分幸せだったと思います。満足しています。父も感謝していると思います。やはり、誰かがガンに倒れた時は、家族の助け合いが肝心だと思いました。
本人の有りのままの訴えを傾聴し、否定はしない
神奈川県31歳女性
家族の希望で告知をせず、最後まで病名を知らずに息を引きとられた患者さんがいました。癌が進行すればするほど、意思疎通が出来る方と接する事は忍耐でした。癌の話をされるとその場から離れたくなりました。しかし、本人の話を聴き、反復をする事で心が軽くなったようです。本当は今の自分の思いを聴いてほしいのですね。
みんなに情報公開
福岡県58歳女性
初めて手術をした時には、誰にも知られたくなかった。しかし退院する時には、「こんな私の経験が、役に立つのなら皆に知ってもらおう」と気持ちが変化しました。10月19日が、手術日だったので一年間無事にすごしました。と私の近況報告の葉書をだしています。もう続けて9年になりました。
最愛の人と一緒にいること。
神奈川県35歳女性
彼は、昨年私が入院した病院の医師です。私の担当となった彼は、手術前から退院まで温かく見守ってくれました。退院後すぐにお付き合いが始まり、がんに対しての不安や絶望感・将来のビジョンなどを私の気持ちが治るまで毎日黙って聞いてくれています。そんな彼には感謝の2文字だけでは表しきれない思いでいっぱいです・・・。今では一緒に住み、彼の為に食事を作ることが最高の幸せとなりました。病気も驚異の回復力で良くなり、手術後すぐにスタートした抗がん治療も秋で終了です。「病は気から」昔からいいますが、気を病んでしまうと治るものも治りません。私は彼によって、落ち込みがちな気を病ませずに済んだと思っています。そう・・・病気は悲しくツライことばかりではありません。時にステキなステキなとびっきりのプレゼントを運んでくれるんですネ。
絵本の読み聞かせ・・・
ゆっくりと静かに。
東京都42歳男性
闘病生活は辛く不安なもの。少しでも、心と身体が安らぐように絵本を読みきかせている。70歳の母親が40歳の娘に・・・。まるで幼子に読み聞かせるように・・・。「大丈夫、心配いらないよ。みんなそばにいるからね」「大丈夫、安心しておやすみなさい。お母さんここにいるからね!」
できる限り家族と食事を共にすること
埼玉県63歳男性
がんで胃を摘出したあとの病院の食事のまずさと、たったひとりで食べる淋しさは家族に味わせたくない。見舞いに来る家族のありがたさと共にひとりひとりの健康状態を把握できることと、かつて残業残業で夕食を一緒にできなかった事に対する自責の念から、会話は少なくても美味しくいただけるものだ。
友達と話すこと。
岐阜県52歳女性
病気の事や、子供の事を話すことで、心の不安や色々なストレスを発散させることができます。また、一緒に友達とバス旅行をする。日常のわずらわしさから、解放されてとてもゆったりした気持ちになれてほ~とします。時間と余裕のある限り楽しい時間を過ごしたいと思います。また、命ある限り精一杯生きたいと思います。
日課の母との電話
愛知県36歳女性
私はガン患者歴7年、母は27年の大先輩。不安なことがある時も母と話すと元気がでます。まだまだ母に比べれば、私は「ひよっ子」・・・頑張るぞという元気をいつももらっています。
主治医を信頼していること
群馬県56歳女性
肺がんの手術をしてから9月24日で4年になります。私がこんなに元気で明るくいられるのも、この4年がとっても短く感じられるのも、主治医のあなたのおかげだと思っています。仲の良い友達のようにお話してくれるので、つい甘えて八つ当たりしてしまったり、わがままを言ったことも何度か有りました。入院中に仲良くなった人が亡くなった時は診察室で泣き出してしまいましたよね。そんな時もどんな時も先生は優しく接してくれました。あなたへの大きな信頼が私の大きな安心となっています。再発の心配がほとんどなくなった今、私の心の中は先生への感謝の気持ちでいっぱいです。
子供達の5年ごとの成長した姿を想像しながら生きる。
香川県48歳女性
まだまだ私を必要としている子供達。その子供達が5年後にはどんなふうに成長しているかを想像しながらまた、成人した時の姿を考えながら生きていくと、どんなにつらい事にも頑張る事が出来ます。
家にこもらず外に出る。多くの人と会話する
東京都64歳女性
娘が乳ガンの告知を受け、家族の驚きと悲しみは大変なものでした。幸い早期でしたので温存手術を受け、今は元気に社会生活を送っています。二年後、今度は私に肺ガンが見つかり娘と同じ主治医の先生に肺の三分の一を切除する手術を受けました。今は抗ガン剤治療を終え経過を見ながらの生活です。ガンになって感じるのは、気分の浮き沈みがあり、時としてうつ状態になる事です。そんな自分を変えるにはと考えた時、家にこもらず外に出てみようと思いました。以前介護職をしていたので経験を生かして介護ヘルパーを近くの事務所で始めました。無理をせず一人だけ担当させて頂きましたが、訪問すると待っていて下さる利用者の方との会話で元気をいただいたり、前向きに生活を送れる様になりました。家族との生活、仕事に関係する方々との触れ合いから生活に張り合いを感じるようになり、外に一歩出た事、よかったと思っています。
主人に感謝
今、生きている事に感謝
熊本県45歳女性
昨年の夏、検診を受け始めて二年目の事でした。「子宮頸部上皮内癌」と診断されました。私達夫婦は、結婚十年目で、娘が二人、主人の両親と同居、主人には、いつも両親がついていたので夫婦としての信頼関係がうまくいかず、主人の事を心から信頼できませんでした。ところがこの病気を受け入れられない私に対して、主人が一番に理解して受けとめてくれました。診断後の通院も全部付き添って、主治医の説明もいっしょに聞いてくれました。とても心強く、うれしかったです。手術後も夜中付き添って、毎日、見舞いにも来てくれました。退院後、腹部の傷を見て、子宮を失った喪失感に悩み、落ちこみ、泣いていると、「今は、そばにいてくれるだけでいい。」と言ってくれました。この病気をきっかけにして、やっと信頼できる夫婦になれました。術後九ヶ月になりますが、今も主人に感謝の気持ちでいっぱいです。これからは、この気持ちを一生忘れずに、生きていきます。
誰かの為に、生きたいと思うこと
東京都49歳女性
まさに青天の霹靂でした。只々、重度の知的障害を持つ娘を必死に育てていた私が乳ガンに・・・。上の子供達もその時中3と小6で、まだ親の手が必要な歳でした。手術後も休む時間は全くなく、大変と思う余裕すらありませんでした。8年が過ぎ、もう大丈夫?と思っていた矢先、骨転移が見つかりました。いよいよ自分の治療に専念せざるを得ず、娘は施設に預ける事になりました。言葉が理解できない娘は相当寂しかったのでしょう。面会に行っても逃げる様になってしまったのです。ショックで私はウツ状態に。追いうちをかけるように骨転移が広がり、抗ガン剤治療が始まりました。でもドン底まで落ちて沸き上がったのが「絶対に良くなって娘を迎えに行きたい」という強い思いでした。神様に通じたのでしょうか。薬は劇的に効き、体もだいぶ回復しました。今は娘を連れ帰る日を楽しみに、日々明るく感謝で過ごしています。
幼い娘たちのためにも頑張ること
京都府40歳女性
病気がわかり、現実を受けとめるのが怖くて辛かった。治療自体もそれはしんどかった。何度となく心身ともに倒れそうになりました。だけど、そんな時いつもこう思い、自分を奮い立たせました。まだ小さな2人の娘たち・・・私は、まだずっとこの子たちの傍にいてあげなきゃいけない!そうすると、自分でも信じられないくらいすごい力がみなぎるのです。現実と向き合い、苦しい治療にも頑張り通せました。自分とそして愛し子のために・・・私の命は、自分のためにだけでなく愛する夫と子どものものであるのだから・・・。
子供になった私と夫
福岡県56歳女性
ホースを握る力が私の怒りのすべてと、夫の背中に向かって勢いよく飛ぶ水、背中には届かず宙を舞い地面をぬらす、そんな時に虹ができた。「虹よ父さん!」と大声の私はホースを持ったまま立ちつくす。夫も全速力で走っていたのに止まった。「逃げ足早いねぇ」「おまえの顔も恐いぞお、本気で怒っている」と夫が笑うが私は真剣だった。夫の背中に水をぶっかけたいと願ったのだ。私が病気をして以来二人で走ったのはこの日が初めて、子供の頃の兄妹喧嘩を思い出し二人で笑った。病気以来私はしょっちゅう子供に戻っていると言う夫が急に憎たらしくなりホースを向けて水をかける、夫はびっしょりとなり私に抱きついて来た。二人びっしょり、びっしょりとなって大笑いの子供が二人、いつの間にか夕焼け小焼けのメロディチャイムが五時を告げていた。夕食の準備に取りかかる元気が沸きでてきます。
夫が生豆から煎り、手動ミルでひきいれたコーヒーを毎朝食に飲む事
兵庫県68歳女性
私は三年余り前、突然医師から末期肺癌で余命一ヶ月と告げられた。その時は二、三ヶ所転移もみられ、副作用が強く抗癌剤も使えず何も手の施しようがなく終末期医療の話さえ出ていた。主人は子供とお葬式の段取りをした。それまでは健康そのもので、あまりお医者様のお世話になる事はなかった。入院中主人は毎日自分で作った弁当を持参し、病室で一緒に食べてくれていたのだが、そんなある日ステンレスの水筒に、私が欲しがっていた煎りたてのコーヒーを持って来てくれた。その味のまずかった事。金属臭がして、あの煎りたていれたての芳醇なコーヒーはほど遠かった。もう一度我が家で日常の中であのコーヒーを楽しみたいと強く思った。その後分子標的薬と、主人はじめ子供達の献身的な看護、全国各地に居る大勢の友人達の励ましを受け、奇跡的に退院、現在再々発しながら、水中ウォーキング、コーラス、毎朝のコーヒーを楽しみながらお姫さまをやっている。
携帯メールに心をこめて
新潟県61歳女性
妹が乳ガンになって10年になります。母が旅立って数ヶ月のことでした。心の支えを失い、追い打ちをかけるようなでき事でした。姉の自分が明るく妹を支えなければと強く心にきめました。遠方に住んでいるのですぐには行けないもどかしさがありました。時間を見つけては顔を見に行くようにしました。妹は立ち上がることができないくらい、心身を弱らせました。入退院をくりかえしましたが、今は安定状態で毎週通院をしていますが、見ちがえる程元気になり、精神的にも落ち着きをとり戻しています。家族の為にほほえましい程気をつかっています。メールでの心をこめての送受信、時には、母のように、父のように優しく包みこむように、姉の立場で、妹の様な立場で、先生、医者、看護師、友達の様にメールのやりとり。食事つくりの最中にも、作り方、味の話しになったり、生活、健康、趣味等何でもメールで伝えあっています。
家族の団結で、今まで通りの自然体で日常を暮らすこと。
京都府56歳女性
主人が、平成十八年四月に癌告知をされて治療の中頑張れているのは、家族が何事もなかったかのように自然体でいる事で、主人も余計なプレッシャーを取除くことができて、癌と向かい合い闘っています。一口に言ってこれは本当に家族一人一人が厳しい状況だとは思いますが、主人に生きる希望と力を持ってもらうには、家族での団結しかないように自分達にも言い聞かせています。告知より一年が過ぎましたが今後も先が分からない中で、目がさめれば朝という日々を送っていくのでしょうが、主人の為に何が一番いい方法なのかと家族でだした答えなのだから、これを信じて前を見て前進あるのみです。 
美味しい料理を作って、家族に楽しく食べてもらうこと。
埼玉県42歳男性
お料理教室に通っていた彼女は、料理がとても上手である。天ぷら、とんかつ、スパゲッティ、青椒牛肉、カルパッチョ・・・、何でも手早く、美味しく作ってくれる。食材選びはお母さん、荷物運びはこの僕が、下ごしらえはお姉さん。みんなでちからを合わせて作った料理が、家族の絆を強くする。彼女は、病気のために食べることは出来ないけれど、みんなが美味しそうに食べる姿を、嬉しそうに眺めている。「とっても美味しいよ」「また作ってね」「次はイタリアンがいいな」みんなの言葉が彼女の生きる勇気につながっている。「私も元気になったら、おなかいっぱい食べるからね!」彼女は微笑みながらそう言って、ベッドの上からピースサインを送っている。
ともかく私に関わって下さった全ての方々に感謝!感謝!!!
東京都53歳女性
三年前の五月に喉頭癌が見つかりレベル4との事。放射線、抗がん剤も効果がなく8月に声帯をも取る。11時間以上の手術の結果、身体障害者3級の身となりました。その時の悲しみと絶望感。50才でしゃべれなくなり痛く辛い副作用と7割以上の死も覚悟をもしていましたが、あにはからんや、「生」への執着は強く、色々な事を試してみましたが、翌年には、左首に転移、抗がん剤治療の為に再入院をしました。無神論者でしたが死を意識したせいですね。全てが有難く、今も涙もろくなってしまいましたが、決して諦めていませんよ!
とりあえず冬を乗り切ろうよ
福島県53歳女性
真夏の初めての手術、そして退院、自宅療養中の秋、静かに横になってテレビを観ている主人の後ろ姿に向かって投げかけた言葉は声に出すことによって自分自身の心にも言い聴かせたかったのです。主人のひと事は「そうだなぁ」でした。46才でした。1年365日と考えるととても長く感じられ、1年を生き抜くことの大へんさを感じ、この寒い冬を乗り切ればなんとかなるという強い思いからでした。翌年1月再入院、5月に旅立ちました。「おまえの為に頑張る」という主人のことばを思い出しながら書かせていただきました。
家族や身近な友人に甘える
東京都46歳女性
33才で胃癌のため胃の摘出手術をしました。それまでは、家事、育事、仕事と何でも1人でやってきました。術後状況が一変しました。一人では何もできません。夫や小学校低学年の息子たちに家事を分担しました。友人たちには本当に助けていただきました。動けない私に代わって息子を遊びに連れ出してくれたり、食事の世話をしてくれたりと、病気以前には考えられないほど周囲の方たちの善意に甘えました。「甘えじょうずになる」こと。それが私にとってのコツです。。