• がんを受け入れるコツ
  • がんと闘うコツ
  • 自分らしく生きるコツ
  • 趣味や仕事に見出すコツ
  • 大切な人とのコツ
向き合わない
富山県35歳男性
病気に悩む日々が続くこともあるが向き合わず、楽しく、前向きに過ごす。
悩むことに飽きる
富山県35歳男性
考えてもしょうがない。悩みつかれて、飽きてやる。考えない、悩まない。
受け入れる
福岡県42歳男性
癌細胞もわが身の内。いろんな人生、いろんな事あり。人はいつかは死ぬもの。運命・使命を受け入れ、安らかに天寿を全うしたい。
がんと闘おうと思わずに、共存しようと思うこと
神奈川県44歳女性
これは、4年間に5つのがんと闘病した父が日記に記していた言葉です。次々と襲ってくるがんに対して、いつしか父は、「おとうさんはがんと一緒に生きていくんだよ。がん細胞が力つきたら、おとうさんの身体も力尽きてしまうから」と語っていました。最後までがんと真正面から向き合った父の姿は、堂々として潔く、残された家族にとって誇りとなりました。(享年70歳)
悪いほうに想像しすぎないこと。
大阪府36歳女性
がんという言葉のイメージとして、どうしても悪い想像をしてしまいますが、案外悪いことばかりではありません。入院生活や、治療についても、悪いことばかりでは、ありません。髪が抜けるシーンなど、「かわいそう」なイメージがありますが、実際には、そうでもありません。悪いほうに想像しすぎない。たのしい入院生活もあれば、つらくない治療もあります。がんと闘うなどと思わず、がんも自分の細胞の一つ。がんと共に生きると考えましょう。
癌も自分の体の一部であり付き合っていくしかない
岡山県47歳男性
3年前、血尿が出て心配になり病院で検査を受けました。するといきなり癌の告知。「腎臓と膀胱に腫瘍が見つかったので即入院し腎臓は切除、膀胱は温存して内視鏡手術をします。癌の性質は精密検査をしてみなければ分かりません。」このような病気は他人事のように思っていた私には青天の霹靂でした。私は頭のなかが真っ白になりました。精密検査の結果(良性か悪性か)が出るまで10日以上あり、待つ間心配で、また当時やっていたテレビドラマが「白い巨塔」でその影響もあり、悪い方にばかり考えてしまいました。検査の結果は悪性であるも癌の性質はおとなしいもので他に転移をしたりする可能性が低いとのことでした。手術を受け現在に至っています。膀胱内の癌はおとなしいながらも短期間で再発を繰り返し現在まで5回の内視鏡による切除手術を受けています。このがん細胞も自分の体から出来たものであり付き合っていくしかないかなあと思っています。
頑張らないこと
福岡県49歳男性
それまで職場や社会生活において能力を発揮できるよう努力していましたが、病後ふっと力が抜けて「そんなに頑張らなくても良い」と考えるようになり、今は70%を意識して生活しています。そのため体力や気持ちに余裕ができて何事にもストレスを感じることが無くなりました。
「がん」ばり過ぎないこと
愛知県49歳女性
どんなに忙しくても私は「がん」になってから10時と15時には休憩をとっています。体も心もひと休みさせてあげたいものです。
がんを受容すること。
東京都35歳男性
告知を受けてしばらくの間は、治療にかかる費用のこと、仕事が出来ない期間の収入が減ること、万が一治療の甲斐がなかった場合に残された家族の生活のこと、いろいろな事が頭をよぎりました。私には、年金の受給が始まった母と、同じくがんによって足が不自由になってしまった姉がいるのです。不安とプレッシャーに押しつぶされそうで、とても前を向く気力はありませんでした。「なぜ自分が?」という後ろ向きな事ばかり考えていました。散々落ち込んだ後、WHY(なぜ)を追究したところで、原因が分かるわけでなく、まして結果が変わるわけでもない事に気付きました。そして、WHAT(なにが)自分の中に起きているのかを真摯に受け止め、HOW(どうやって)向き合っていくのかを考えることに思考をシフトしていきました。「自分はがんになった。」という事実を受け止めるのに2週間掛かりましたが、その日からがんと闘う決意が固まったのです。
頑張ることなく楽しく生きる。
宮城県54歳男性
平成7年12月に、連れ合いが「乳がん」で他界しました。子供は当時中2の長女、小5の長男が今は元気に生活しています。当時の妻はとても頑張り屋で「孫を見るまでは死なないぞ!」と常々自分を励ましている状態でしたが、願いはかないませんでした。以来我が家では「いくら頑張ってもかえって、張りすぎては切れやすい」と、こじ付け「頑張れ」という言葉をなくしました。(一生懸命はありますよ。)平成16年私自身も「胃がん」が見つかりましたけど、気楽に摘出手術をしてもらい、今はおいしいものを楽しく食するよう心がけています。昨年10月19日京都で、偶然観光バスの隣の席に小学生2人のお子さんを持つ女性と一緒に寺めぐりをしているうちに彼女も同種の病を持っていることを知り、「お互い頑張らずに楽しく生きようね。」と声をかけました。
まっ!良いか!成るようにしか成らないよ。
長野県66歳男性
1987年(47歳)で直腸癌と分かり、直腸と大腸の一部を切除し、人工肛門になりました。自分の不運を嘆き一晩泣き明かしました。
1996年再発、大腸を20センチ残して切除。
1998年再再発、大腸全摘出。
でも、人間って強いんです。今も元気で生きています。
「成るようにしか成らない」って言いながら。
(アフラックさんには三回ともお世話になりました。がん保険に入っておいて良かったと感謝しています)
時々、闘病の話(武勇伝)を人に聞いてもらう。
大阪府39歳女性
私は2人の幼子を懸命に育てる平凡な主婦でした。白血病と告知された時は、自分だけ別の世界に連れていかれたような孤独を感じました。でも、それにも増して孤独を感じたのは7ヶ月の治療を終え、退院してきたときでした。昨日まで、生きるために皆が必死に闘う戦場のような所にいたのに、外の世界があまりに平和だったからです。「私もこっちの世界の人になりたい。1日も早く元気な自分に戻って、この7ヶ月のことはなかったことにしたい。」と思い、焦る毎日でした。
そんな矢先再発がわかりました。最強の治療である骨髄移植後の再発であり、病状はかなり深刻でしたが、どうにか治療を終え、また家にかえることができました。今度は、「もう無かったことにはできない。人生の一部として大事にしていこう。」と思いました。それから数年たった今、時々、子どもたちや親しい人に闘病の話をします。「ママすごいね。」なんて言われるととても励みになります。
ちょっぴり先のことを考える。
福島県38歳女性
私が癌になった一年後、父が癌で亡くなった。突然のことで先のことを考えると不安になった。でも、不安だけでは生きていけないことに気づいた。だから、残された家族といっしょに父の分まで楽しく生きていくために、「ちょっぴり先」のことを考えるようにした。ずっと先の事を考えると不安になってしまうことがある。でも、ちょっぴり先なら頑張れる。明るいことも考えられる。家族のためにも私が落ち込む事はできないんだから・・・
考えすぎないこと、頑張り過ぎないこと
福岡県41歳女性
小さな幸せを大切にして、感謝の気持ちを忘れずに、充実した日々を送ることが、良い人生に通じると思う。毎日が宝物です。
大げさに考えないこと
大阪府26歳男性
私の祖父が大腸癌になって手術をしました。
本人もがんと知っていたのですが、「なーにたいしたことないさ」と余裕がありました。
周囲もそんな祖父を見て必ず治ると安心していましたし、手術後5年経過した今でもがんは再発していません。
大げさに考えて気が滅入ってしまうと癌に勝てません。
病は気から、それを教えてくれた祖父でした。
相手にしない
徳島県34歳男性
強い人は向き合い生きて行けるでしょうが、わたしは向き合えば負けそうなので、相手にしていません。だから、手術前と変わらぬ生活をしています。これといって節制することもありません。周りは、もう少し養生すればと思っているでしょうが、温かく見守ってくれてます。たった一度の人生、楽しく生きないと損ですよ!!人間、病気では死にません。寿命で死ぬんです。
くよくよ考えない事
山口県45歳女性
私が宣告を受けたのは、11年前のことでした。何気なく病院に行き検査を受けたところ、肉腫を除去しなければならないとの事。何!私が・・・まさか!泣きました。でもくよくよしたってどうすることもできない。先生にお任せしました。2度目はレーザー治療。しかし、病気になったことで、人の心の痛みもより一層感じるようになりました。また、ストレスがたまり再発しそうにもなりました。それからは、病気と仲良く付き合っています。先生が子宮を残してくれたので、子供も出産することができました。私の人生の一部。今も私の中でほんの少しのガン細胞が、眠っていますが、これからも仲良く付き合っていくつもりです。未来は判らないけど明日の為に、今日を大切に!
頑張らない
東京都60歳女性
がんは珍しい病気ではありません。私だけが不幸でもありません。治療には好奇心を持って。体の中の事は医師にお任せ!頑張ってもらって、本人は普通に今まで通り生活をする努力をする。明日までか?先のある人生かは神のみぞ知る命。末期がんでも今は生きているのだから、出来る事を出来る範囲内で無理せず楽に流れに添って行く。
あまり気にせず平常心で生活
神奈川県62歳男性
2年5ケ月前に検診を受けた際、胃の印環細胞ガンの1期と告げられ10日後に入院、3日後に手術を受け胃の3分の2を摘出しました。仕事がある為、退院後一週間で仕事に復帰しました。歩くのも困難で杖をついてるお年寄りにも追いつかれる状態でしたが、1ケ月で夕食後に公園まで散歩に出かけ、3ケ月でほぼ正常に歩けるようになりました。現在は普通の方と並んで歩いても引けを取りません。仕事もバリバリこなしております。夜のお付き合いも出来ます。あまり深刻に考えずに前向きに生活しております。ただ年に2回定期検診に通っております。早期の為、転移もなく幸運を感謝しております。
がんばらない
栃木県50歳女性
子供の時から競争社会で勝ち抜くことを目標に頑張ってきました。努力や苦労が美徳だと信じて。13年前に進行癌になって不思議だったのは、ほっとしている自分でした。もう頑張らなくてもいいんだ。そう思うと肩の力が抜けて、残された時間をいつくしむように暮らせるようになりました。
今まで走り続けてきた分、人生を丁寧にゆっくり歩くようになると、花も山も空もよく見えるように。もちろん、家族も、友達も、社会も、地球も…
時々、がんばらないように頑張っている自分に気づくと、さすがにおかしくて笑ってしまいます。
特別な病気じゃないんだと認識する事。
山口県40歳女性
「乳がんです。」と診察室で聞かされた時は頭が真っ白で自分の事として受け止める事が出来ませんでした。待合室の椅子に座って吹き抜けの中庭の空をただずっと見上げていました。まさか自分が癌だなんて。「ねぇ、私癌だって!!」誰彼構わず引き止めて伝えたかったのをよく覚えています。私は17歳の娘と二人で暮らしています。幸い内臓への転移はありません。癌の宣告から手術まで3週間の間普通に振舞っていた娘が言った言葉でした。「今は普通の病気よ。」と。
肩と顔の力を抜いて深呼吸をすること
島根県37歳女性
思わず眉間にシワが寄りそうな瞬間に行うクセをつけています。日々のイライラやあせりなど。そうしたことを感じた時、どうしても顔は険しく肩には力が入り、それと同時に呼吸が浅くなっています。気持ちを切り換えるのは簡単ではないので、まずは形から変化を。心から身体に伝わった全ての緊張を解くために、逆に身体から心に弛緩を伝える。そうして心身ともにほぐすようにしています。
薬と向き合って生きて行く!
兵庫県30歳女性
女性の大事な一部を失ってショックでした。服用もずっと必要です。でもそれを受け入れられました。神様が私に乗り越えられると思い授けたと考えたら受け入れられました。乳がんですが。
ありのままを受け入れる
神奈川県49歳女性
「このありのままを受け入れる」には長くかかりました。私自身の事です。両親も癌で亡くなりました。そして自分も今向き合っています。自分が今の自分から逃げるのでなく、ありのままを受け入れる、そして信頼のおける、共に病気と一緒に歩んでいけるドクターを見つける事だと思います。私は12年目で共に歩んで下さるドクターを見つけました。心がまず軽くなりました。私の疑問を私が納得いくまで説明して下さいました。その診療の時はいつも「笑い」があります。「さあ!また頑張るぞ!主人の為にも!」と思えます。普段何気ない木々の青さや、風の心地よさを感じられるようになり、前向きに頑張れるようになりました。
がんである自分を好きになること!
長野県47歳女性
がんになったら・・・怖いです!辛いです!悲しいです!悔しいです!そんな時は泣いてください!涙が枯れるほど、目が開かなくなるほど、ぼんやり自分の歩く道が見えるまで!叫んでください、声が嗄れるほど。心の叫びを思いっきり思いが誰かにとどくまで!ぐちってください、心の中のドロドロを。心がカラッポになるまで。そして、がんを受け入れることができるまで!振り向いてみてください、すぐそばに、愛する人が・・・支えてくれる仲間がいるから。自分一人ではありません。安心してください!ありのままの自分でいてください。がんである自分も自分なんだから。その向こうには、なにものにも負けない、強い自分がいるから!そして、自分を好きになってください!
がんも自分の人生の一部
栃木県51歳女性
私の弟は白血病で、今年の1月に48歳の若さで亡くなりました。3年間の闘病生活でした。私立高校と大学生の娘2人を抱え、経済的にも大変心配しましたが、偶然、若い頃に加入していたがん保険のおかげで、最高の医療のケアを受けることができました。それまで国際ビジネスの第一線で、仕事ばかりの弟でしたが、皮肉なことに、病気になりやっと家族との時間が持てるようになったのです。そして、最後はすべてに感謝して安らかに旅立ちました。
私もがんの経験者ですが、弟のようにがんも自分の人生の一部だと受容して、残された時間を丁寧に生き通す姿に感動しました。また、それを支えてくれた保険のありがたさも痛感しました。最後まで尊厳を失わなかった弟は、父親として娘たちに大きな人生のお手本を示したのではないでしょうか。
癌に感謝する!!
福岡県42歳女性
癌の闘病記などを見ると、感謝とかおかげでとかいう言葉があるのは知ってましたが、正直言って、絶対に無理しているって思ってました。でも、いざ、主人が癌になって思ったのは、私も、やはり、癌のおかげで、癌に感謝という言葉でした・・・。
もちろん、癌告知されて、すぐにそういう結論になる訳ではありません。癌という病気をきっかけにして、今まで真剣に考えていなかった命や死ということを深く深く考える必要に迫られたからです。癌を恨んでも嫌っても逃げても、何も解決しないということがわかってからは、ふっきれたというか、前向きになれた気がします。
そして結論は、「癌のおかげで、いろんな事を考えられたし、気付けたし、ある意味感謝だよね・・・」ってことでした。それと、癌細胞にもし意識があったとしたら、嫌われたら余計に暴れるかもしれないけれど、感謝していたら、おとなしくしてくれるかもしれないっていう思いもありました。
私だけ・・・と思わない
埼玉県41歳女性
何で私だけ・・・・と思ってました。しかし、入院したらみんながガンと闘っていました。私だけじゃない・・・と。特別ではない、大した事ない、みんな罹るものなんだ、と思った瞬間気が楽になりました。(母の言葉です)
あっけらかんな生活。サンマには胃がない、ぼくも。
兵庫県65歳女性
1年前胃を全摘出した。サンマには胃がないという。ぼくも胃がない。モーツァルトの音楽を聴き、自分を励まし。・・・ストレスがいちばん悪い!!
とにかく、あっけらかんとした大人(たいじん)の暮らしを。
笑顔で過ごすこと
神奈川県47歳女性
癌告知を受けて、家族・友人に支えられてきた事に改めて感謝です。片意地を張らず物事を素直に受け入れ、頑張らない自分になったら、身体も心も軽くなりました。優しい気持ちで一日を送れる事は幸せです。病で失った将来の事より、毎日のプラスを笑顔で積み重ねていきます。もっともっと幸せになります。
病気を恨まないこと
奈良県25歳女性
私は24歳で乳がんになりました。でももっと辛かったのは、20歳の時に彼氏をがんで亡くした事です。その当時はがんという病気が憎くて憎くて仕方がなくって、毎日泣いてばかりでした。でも今自分ががんになって気付いたことは、がんになったからといって病気をただ憎んだりすることじゃなくて、「今」というかけがえのない時間を大切に生きなければいけないということ。泣いても笑っても同じ1日。なら、笑って過ごしたほうがいい。だから、いっぱい遊んで、笑って、楽しい毎日を過ごしています。もううじうじ泣いたりすることはありません。彼も、最後の最後まで諦めずに懸命に生きていました。だから、私も決して諦めずに、これからも生きていこうと思う。
あらゆる動物に寿命がある。人間も同じです。
大阪府64歳男性
自分で自分の寿命を決めたらどうでしょう。私は、50歳から人生を5年刻みと考え、5年間の寿命を有意義に過ごしている。人間も動物であって、当然寿命がある。この寿命を人間は、自覚するべきと考える。
自分を大切にする
愛知県30歳男性
自分が、がんだと告知されて動揺しない人はいないでしょう、でもそんな時自暴自棄にならないようにしたいもの。冷静に今後を考えたい。だから自分を大事に。それは周りの人も大事にするということだから。
同じガンのひとの本など読む
新潟県46歳女性
自分も子宮体癌と乳癌を一年で二回手術しました。インターネットや本で同じ癌の病気の人が明るく元気に生きている様子を感じ、自分だけではない頑張ってる人がいるとおもったら勇気・元気・幸せを感じることができました。病気になり考え方や幸せをいっぱいいっぱい、頂けたのです。現在2年目になります。
真実を受け入れ語り合う勇気を持つこと
滋賀県30歳女性
日本はまだまだがんという言葉に拒絶反応を強く持っている。だから家族の希望で病名や予後を言わないケースが沢山ある。でも、がんという真実から目を背けるのではなく、それに立ち向かう勇気を持ち、がんを受け入れる勇気をほんの少しでも良いから持って家族や友人とそのことについて語り合うことが大切である。そのことによってがんと共に生きていくことができるのではないだろうか。
笑うこと、感謝すること
兵庫県46歳女性
どんなに悩んでも避けられないし良くもならない。笑っている時は、腹式呼吸出来てるし、頭の中もリセットされてる。病気になって感謝できるようになったことは、人間として大きな成長だったと思うし。
「私で良かった」と思うこと
大阪府45歳女性
告知された時はどうして私が...と何度も思いました。
でも、これが最愛の子供たちや主人だったら...。そう、私で良かったんだ!家族の為にも、そして勿論、自分の為にもまだまだやることが沢山あると思ったら、不思議と辛いことも乗り越えることができるようになってきました。時々くじけそうになったら、この言葉を呪文のように心の中でとなえています。
バカになること、でも無知にならないこと
兵庫県31歳女性
「がん??なんとかなるさ」とバカになること。
でもなんとかなるために自分の病気を知っておき、無知にはならないことが私とがんの生きるコツです。
癌って、普通の病気でしょう。
大阪府58歳男性
「癌です。でも治りますよ」と先生のさりげなさを装った(?)お言葉。ガ~ン!なんでわたしが...? ンッ、治るの? ならいいか。とすんなり納得してしまいました。後はお金の心配以外なんにも考える必要はないでしょう。長いこと生きていれば病気のひとつやふたつ罹りますわね。三週間の入院は、なにせ据え膳でしょう。のんびりと楽~にホテル暮らしのような気分で過ごしました。退院後、二週間に一度の抗癌剤の点滴治療の日が近づくと、治療のことよりも、もうすぐ特別休暇の日だからと嬉しくなりました。だって、治療は午前中の三時間だけ、午後は自由に使えるから。映画を観たり、普段めったに行かない図書館を覗いてみたり、マチネのミュージカルを観に行ったこともありましたね。今は経過観察中。再発の不安...? 考えたことはありません。もしそうなっても、大丈夫でしょう。生まれてからずっと、この世界はわたしに優しかったから。
現実を受け入れ、すべてを0に。そして、すべてに前向きに!!
兵庫県61歳男性
癌になってしまったら、誰しも思うのは、その辿りつく結末は一つ。冷静になり自分の癌は、どういう状態なのかはっきりと認識し、すべてを一旦、0(ゼロ・無)にして考えてみる。
無理をしない
青森県46歳男性
生活面・仕事面等において決して自分に対して無理をせず、笑いたい時に笑い、泣きたい時に泣いて自分をさらけ出す事。
すべてを、おまかせいたします。
千葉県46歳男性
ガンの告知を受けた時、当然ながら初めての経験。主治医に「すべてを、おまかせいたします。」そう申し上げた瞬間に気持ちが軽ーくなりました。妻は隣でないていましたが、その時だけで、その後はいつも私の隣で笑ってくれています。先生ありがとう、妻よありがとう。
がん患者生活を楽しむ。
神奈川県41歳女性
人生初めての病気が「乳がん」だった。治療後も温泉に行けるようにと「温存手術」を選んだ。抗がん剤の副作用で髪が抜けるから、人生で初めてのショートカットを体験した。髪が抜ける前からカツラも着用してみた。色素沈着しないように、可愛い日傘も買ってみた。初めての体験だらけで、落ち込む暇がない。次はどんな体験が待っているのだろう。
この夏で術後3年。3ヶ月に1度の主治医の笑顔がとても励みになる。「どうですか?あっ元気そうだね^^変わらないね!よかったよかった^^じゃあ今日はどんな検査をしようか^^」
最近の課題は、放射線治療の日焼け跡がまだ多少残っていること。シミ取りクリームでも塗ってみようかな??
自分を許して
宮城県37歳女性
がんばらない自分があってもいい。
何もなくても。何かあっても。
そんなこともあったと 笑っていられる。
死と向き合ったなら。
そして今日は プレゼント(present)だから。 
時に忘れ、時に忘れないこと
千葉県40歳女性
がんであることを気にして生活していては、夢も希望もありませんし、第一精神的にも暗くなり、健康上もよくありません。普段の生活では、がんであることを忘れ、気にしないようにします。しかし、完全に忘れてはいけないのです。定期的な診察や検査はもちろんですが、普段の生活でも、がんであることを忘れず、気にしなければならないと思います。
気にしないで
千葉県39歳男性
がんとうまく付き合って生きていく。がんは病気と考えずに。いまいろいろな薬もあり、予防法もあり医療も進歩しています。これからもまだまだ進歩して完治も可能になるでしょう。がんを苦にせず忘れるくらい普通に生活できるのです。
泣きたいときには、思いっきり泣こう
山口県38歳女性
病気になって涙が枯れるまで泣いた。退院出来たとき嬉しくて泣いた。涙って、少し気持ちを落ち着かせてくれる。次の日から頑張ろうって勇気をくれる。
弱音を吐くこと
埼玉県37歳男性
父は6年前肺がんで他界した。父も私も初めてガンという奴と向き合った。今でも鮮明に覚えているが、息を引き取る直前に私の声に喉が一度だけ息をした。本当はすごく辛かったと。私はそんな父の声が聞こえたような気がした。生前父は絶対に弱音を吐く人ではなかった。それはガンと宣告されてからも変わらなかった。ところが最後に入院した夜だけは様子が違った。おふくろにもう一度だけ会いたかったなぁと父は呟いた。私の祖母は心臓が悪く叔母の家に寝たきりの生活を送っている。私はまた一緒に家に帰って会いに行けばいいと思っていた。父が死ぬことはないとどこかで信じていたのかもしれない。しかし、父は家に帰ることはなかった。祖母と会うことも叶わなかった。父が私に初めて見せた弱さ。もっと弱音を吐けばよかったのに。ガンと向き合う難しさはわからない。でも弱音を吐いて向き合うことは大切なことだと思う。父親は大きく、そして強かった。
特別な毎日をたのしむ!
千葉県36歳女性
「がん」になる。ものすごい経験です。思い出すと涙が出ます。でも、通常経験できない気持ち、痛み、治療、医師、病気を通じて知り合った人たち、周りの支え。全て癌になってこそ知り得た、新しい世界でした。そうやって全てを受け入れ、今生きている自分がとてもいとおしい。なかなかできない特別な経験をしているんだと楽しむことで乗り越えられたと思っています。
病院帰りには、必ず公園で道草する
岩手県30歳女性
病院帰りには、多少ならずとも気分がふさぎ込む事もあります。そんな時、私は必ず「公園や河川で道草する」ことにしています。(小学校の時は道草してると怒られたけど)これからの人生、道草するのも悪くないですから。
今、生きている
大分県59歳女性
入院中に癌で入院している皆でよく話していた事ですが、癌でも今は生きてる。癌でなくてもいずれ人間は死ぬのだから、今日を明るく楽しく生きよう!癌は特別な事ではないよ・・・この言葉を8年たった今も胸に刻んでいます。
がんになってよかったと思えることを探すこと
埼玉県74歳女性
ものごとはいいことばかりでも悪いことばかりでもありません。がんになったことの中にも、手術できないほど進んでしまっていることの中にもいいことはあるはずです。入院していた時に手術をしたことで衰弱した人を何人も見ました。ああ手術ができなかったことで、私は体力を消耗せずに済んだという具合に。いい先生にも巡り会えました。それもプラスです。出不精の私が電車やバスを乗り継いで1人で通院できるようになりました。たまには電車に乗るのもいいなあと思います。これもプラスです。まだまだいいことありそうです。はけなかったスカートもはけるようになりました。誕生日が来たこともラッキーと思えました。こうやっていいことを数えながら来年の誕生日を迎えたいと思っています。
生きること
山口県21歳女性
私は、がんと主治医から聞かされた時はウソだ。と思い、自分にいいきかせた。でも、ずっとずっとこの病気をひきずっていてはいけないと思い、何にもわすれてがんと向き合って、一人じゃないまわりからの勇気や励ましで必死に生きようと思いました。
笑顔でまーいいか
群馬県49歳女性
思いもよらず大腸癌、それもステージ3。私は看護師。主人、子供の健康には十分気をつけていたのに。なのに私が?主人は泣顔、子供達も泣顔。家族で太陽の私。笑うしかない。ママは大丈夫。患者さんの気持ちがわかるよ。これもチャンス。すばらしいナースになる為に、まーいいか。やるっきゃない。何とかオペも無事終わり、2年が過ぎようとしています。(アメリカンファミリー入っていて良かった。抗癌剤治療で終わっちゃたけど本当に感謝です。ありがとう)
幸せさんありがとう
千葉県65歳男性
がんという友だちにめぐりあえてぼくは幸せです。この友だちがぼくに人生の謙虚さと生きることへの感謝の心を教えてくれました。こんな幸せを与えてくれた友だちにただただありがとう。
奇跡を信じる
栃木県53歳女性
「奇跡という言葉は本当に奇跡が起きたからある」という文章を新聞で読み勇気づけられました。
神様よりいただいたご褒美だと思っています
奈良県62歳女性
考えて、答えが出ないことは考えない
愛知県46歳女性
素直になる。
福岡県66歳男性
生老病死、万物の哲理として素直に受け止める気持ちが大事と思います。
がんは不肖の子だ。
福島県66歳男性
ここ3年に3度、身体にメスを入れた。今、4回目の決断を迫られている。人間に良い人、悪い人があるように、がんにも、良性、悪性がある。現れ方も百人百様。思えばがん細胞は哀しい定めのもとに生まれて来たとも言える。元は同じ細胞を駆逐し、やがて拠って立つ親を食いつぶす、それは自らの死を意味するのに・・・。出来の悪い子供ほどかわいい。抹殺する訳には行かない。あやしながら、ご機嫌を伺いながら共生して行こうと思っている。
自分が、がんであることをオープンにし毎日を新しい日にする。
東京都71歳男性
私は、会社でも、知人にも自分が肝臓がんであることを入院時からオープンにしている。今やがんは特別な病気ではなく、がんであることを隠すことは、自分自身をより苦しめるだけである。病気をオープンにすることで、みんなが理解してくれているし、自分も楽になった。自分の余命はどの位か分らないが、がんと宣告されて改めて、毎日が、かけがえのない日々であることを感じた。
今は、仕事に、趣味に、家族のために、がんばろうと思えるようになり、それが出来ていると思う。言うならば、それは、がんのおかげかもしれない。残された人生、人の倍をがんばる、楽しむつもりでやれば、例えば、余命3年とすれば、6年生きた事になり、私の年では、男性の平均寿命生きたことになる。私は今、「日々これ好日」の考えで生きている。
ありのままの自分を受け入れること。
静岡県66歳女性
生きるのにさまざまな障害があることを手術の後感じました。最初の内は、スーパーで買い物をし、品物を入れる時も、他の人のように早くは出来ないし、隠れるように行動していました。右の乳をブロックという手術法で除去した私は重い物も持てませんが、買い物は、2回に分けて行くなどして、自分の体にあった方法をしています。私は、他の人に自分が、がんの手術をしたことを伝えています。なぜなら、自分がしこりを見つけたことで、がんが発見されたからです。15年近く生きていますが、せめて自分の出来ることは、触れること。自分自身で注意して予防できたらと思っています。
ガンは大親友と思う
福岡県41歳女性
ガンは私にとって大切な友達、付かず離れずの関係、時にはけんかもするし、泣いたり笑ったり、楽しんだり、今まで知らなかった人との出会いや、経験、一休みすることの大切さ、感謝の気持ちを教えてくれたり、人生について話し合ってみたりと、一生付き合っていく大親友です。
好きな人の子供を抱いていると思って大事にするのよ
京都府75歳女性
術後「何故私だけが・・・」の思いもあり、「寝ていて3年の生命だったら2年でいい、起きて仕事をしよう」と半分自暴自棄になり、医師の反対を押し切って退院。復職して、結局定年まで。薄氷を踏む歳月だったけれど、あるときから病と寿命は別だと考えられるようになり、病気を好きな人の子供と思えば邪険にもしない自分を見出せるようになってきました。病気とは死ぬまで共存共栄だと思います。後悔しても始まらない。泣かさないように。怒らさないように。誰にも泣き言も言わないで自分の心に抱きしめて満36年。今では年一度の検診に、転移のないことを喜びながら満75歳が過ぎました。死ぬまで闘いであっても、これは気力の勝ちだと思います。自分に負けないことが最良の治療法だと断言します。
ケ・セラ・セラ なるようになる
福岡県44歳女性
離婚し、子供を1人で育て、子供が小6の家庭訪問の時に担任の先生から、「大丈夫、素直にまっすぐのびのびと育っていますよ。」と言われ、先生が帰られた後、嬉しくて涙が出ました。その数日後、乳がんが見つかりました。手術が終わり、せめて娘が高校を卒業するまで、生きていたいと思いました。思えばそれまでの私は頑張れ頑張れと自分に言いつづけて生きて来ました。なるようになるとは思えず、ならなくてはいけないと、自分を追いつめていました。自分の生き方が自分の身体をいじめていたと、つくづく思いました。まだまだ、ケ・セラ・セラといかないけれど、時々、口ずさんで、忘れないようにしています。娘はこの春高校を卒業します。
現状をうけ入れて、身辺の整理をする。
栃木県73歳女性
家の掃除や整理をするよりも出かけて遊び回りたい生活でした。C型肝炎から肝硬変になっても生活態度は改められず、ついにガンの宣告をうけました。なかばやぶれかぶれになった私を、娘は励ますどころか叱りつけたのです。今まで怠けた分、最期はきちんとして行くようにと。びっくりしましたが、見栄っぱりの私は他人に見られたくない、古い衣類を捨てるなど、身辺整理を始めました。作業はなかなか進行しませんが、気分はかなり安定し、ガンの進行もストップしたのです。もし、病状が悪化したとしても、現状と向きあって、あせらないで過ごせると思います。
ガンを友達として付き合う
富山県62歳女性
ガンで主人を亡くしました。発病後三年半程後悔のないよう一日一日を大切にし、好きなことに行動的に頑張り生き生きと過ごしました。私もガンと宣告されても友達と思い素直に付き合って行こうと思います。毎日夫婦でウォーキングしていましたが今は一人で健康のため思い出のコースを歩いています。
ガンと仲良くして、病気に負けない事
和歌山県73歳女性
大腸ガンを三回手術して、いよいよ人工肛門になりました。装着になれるまで、時間がかかり、なかなか思うように出来ず、よく失敗しました。ウォーキングは、大変いいのですが、腹筋運動をすると大丈夫!!当初は、パンツをはいていたけど、失敗が多くて、紙おむつのパンツにしたら、冬は暖かくて、失敗してもすぐに捨てられると思うだけで、心にゆとりが出来、紙おむつ大成功!!おすすめです。96才の姑さんと75才の夫と73才の私、老人家族ですが、40日間の入院中は、姑さんが、家の中を、きれいに整理整とんしてくれて、退院後は、置き場所が分らずてんやわんやの、うれしい悲鳴でした。放射線治療を25回、今日から抗ガン剤投与が始まりましたが、今のところ、吐き気もなしで順調です。洋服は、いつも赤い服を着て、毎日前向きに、ガンと仲良く、またアルミ缶ボランティアをする事に、生きがいを感じています。
人生でのひとやすみ
福岡県58歳女性
頑張って来たから、神様がごほうびの時間をくださった。夫や娘達、友達と楽しい話をしたり、音楽を聞いたり、おいしい物を食べたり、素直になり楽な時間を過ごします。
主治医の先生を信頼し、情報を収集し前向きに生きようとする。
岩手県65歳女性
進行がんを宣告された主人の手術を手掛けてくださったのは、まだお若い三十代の先生でした。そのためもあり当初の頃私達家族には多少の不安があったのは事実でした。けれども手術結果の説明を初め、治療の方針方法など丁寧にかみ砕くように話されるのを聞いているうちに、誠実に対処してくださるに違いないとの信頼が湧いて来たのです。子供達も勧めましたのでセカンドオピニオンを申し出た時も、嫌な様子を見せず紹介の労を取ってくださいましたし、定期検診の際も超多忙でいらっしゃるのにこちらの声に耳を傾けられ、適切な治療を施してくださいます。術後半年が過ぎましたが目下のところ安定の状態とのことで、これからも先生の御指示に従い二人三脚で参りたいと願っております。また新聞雑誌インターネット等で最新の情報もなるべく多数集め、サプリメントの利用も心がけ、閉じこもらず旅行観劇なども積極的に行い気力も充実させる所存でおります。
今を受け止めて前向きに生きたい。
三重県50歳女性
私が癌と診断されたのは、平成十五年の一月でした。何気なく胸に触れて「しこり」に気づき、すぐに病院で検査を受けて乳癌でした。私は、職業が看護師という事もあり比較的しっかりと医師の説明を聞き、手術を覚悟するまで2週間余りでした。2週間の入院生活を送り始めて自宅で入浴した時、胸の傷を見て泣きました。女性であるには変わりないのに淋しい想いがあり言葉には言い表わす事の出来ない心境でした。親友、家族以外に病名は公表してなかったので、すっきりしない時も笑顔でいるしかなかったのです。しかし、この病気になり人の痛みをすんなりと受け止める穏やかな心をこの手に与えて頂きました。現在は老人施設で頑張って、ハッピーを皆様にお分けしています。どうか前向きに人生ゆっくりと歩いて行きましょう。
無理、がまんをしないこと。
群馬県59歳女性
病気はもっと自分を大事にしなさいというサインだと聞きました。なぜガンになったか、良く考えるとずいぶん自分を押さえがまんをし、無理をしていた事に気づきました。今は嫌なことは嫌、駄目は駄目とはっきり云えるようになりました。そして、少しでもストレスを感じないようにしたり、ささいなことでも大声を出して笑うようにしています。食事面でもガンにいい食物ってけっこうあります。なるべくそういう物を無理なく食べるように心掛けています。病んだことによって少しでも病んだ人の心の傷を共有できるようになれたかな?と思ってます。お元気でーお元気そうで、などと声かけられるのはたまらなく嫌です。もう普通に生きていたいです。
無理せず、自然のままに、生活する
岩手県57歳女性
ガンを治そうとは思わない。ガンと共存しながら、うまく折合いをつけて、日頃の日常のまま、生活し、まわりの人に感謝をしながら生きるよう努力しています。
「ただ、リスクが高いだけ」と思うこと。
東京都47歳女性
只今、乳がん投薬治療中。手術、再発や転移の死への恐怖。主婦が倒れたことにより起こるゴタゴタ。「お母さんが死ぬ」と思い、心がズタズタになった子ども達(当事、私は45歳、子どもは小学校三年生・五年生・中学校二年生だった)。生きるのが辛かった。苦しかった。それでも生きている。死を意識しているからか、ちょっとした家族団欒や四季の移ろいに幸せを感じるようになった。人間、いつ何があるかはわからない。そう、私はそのリスクが少し高いだけ。そのリスクと引き換えに得られた感性があるように思う。(家族は、ちっとも変わらないと笑うだろうが)病気になり「生きる質」が高まったように思うのは私だけ。いやいや、きっと違う。
泣きたい時は泣き、笑いたい時は笑う。頑張らない。
兵庫県38歳女性
生まれて初めて入院したのが癌の摘出(しかも両胸)。手術の為入院した時、体裁をとりつくろって、看護師さんに笑顔で「頑張ります。」と言ったところ「頑張りすぎて病気になったんだから無理して頑張らなくていいのよ。もう充分。」と言われたのです。それ以来私は何かというとその言葉を思い出し、できるだけ頑張らない毎日を送るよう心掛けているのです。
ガンは私の人生の一部である
秋田県46歳女性
ガンと向き合うまでは、時間が必要でした。励ましの言葉に何度うなずいた事か。でも、心に光が差す事はありませんでした。告知を受け真っ白になった心と頭の中。その時が、人生の再スタートでした。自分の死を初めて真剣に考え、私の人生観は一変しました。「経験した者にしかわからない」まさにその言葉通り。「頑張れ、負けるな」そんな事わかってるという感じでした。術後の目覚めの瞬間、痛み、苦しみ、辛さは忘れません。同時に「何で私が・・・」という思い。でも、病院で出会った人達、様々な出来事で「生きる」事を考えました。「何故生かされたのか」という思いの中で、ガンから学んだ事の多さに驚きました。今の自分があるのはガンのお陰です。病気と上手に付き合いながら、生きる喜びを伝える事が何より嬉しい。「生きる希望」は、自分の命のそばに必ずあります。私は直腸ガンで、術後二年が過ぎました。今は、再発の兆候はなく元気に生活してます。
医者を信頼。くよくよしない。気にしない。
山形県81歳女性
私は74才で乳癌になりました。そんな年になって乳癌なんてあるのかと皆にいわれました。でもあったんです。幸い優秀な医者に恵まれ、まず入院診療計画書をいただき面談、詳しい説明を受け、その医者の人柄に、心から信頼する気持ちになり、左乳房の全摘出手術を受けました。毎日の回診のとき、外の先生方に手術のあとがとてもきれいだ、きれいだといわれ、ますます医者に対する信頼の念が深まり、私の信念、くよくよしない気にしない、と明るく考え、回復の意思を強く持ち、全快7年になろうとしています。現在は、お医者様と支えてくれた家族に感謝しながら、元気に地域の福祉ボランティアの会長として15年、楽しく活動しています。ちなみに私は81才。
なぜがんになったのか?を考えず、これからどうするのかを考える。
神奈川県59歳女性
なぜがんになったのか?を考えず、これからどうするのかを(家族や主治医と共に)考える。13年前、人間ドックのオプションで受けたマーカー検査で卵巣がん3期B。がんにならない食生活や、がんにならない12ヶ条を、きちんと守ってきたのに、という思い。でもなってしまったからにはこれからどうするのかを考え、他の人は他の人、自分は自分で、主治医、家族と共に、5年生存30%未満と割り切り、今、13年目迎えています。身体は病気でも心は元気で、前向きに生きること。
ガンであることを忘れた私
千葉県67歳男性
胃潰瘍検査で細胞を摘出して一週間後、私に外科医から「胃ガンですので手術しましょう」との電話。私は「胃ガンと宣告してくれたんだから完全に治る」と確信しました。大豆一粒位の大きさのガンを取り、胃の6分の5を摘出しました。入院中、食事の際は、以前から勧められていた食事の際は30回よく噛んで食べるように心掛け、退院時には消化剤のみをいただき、医者からの指示もなく一度も通院していません。
以来二十五年経ちましたが、後遺症も、周りの人が心配してくれた転移もなく、何より自分はガン患者であったことを忘れてしまいました。事前にガンであることを伝えてくれたことへの安心感と医師の治療への絶対の信頼感、さらには自分でも不思議な位の楽天主義の性分が月日が経つにつれて自分がガンであったことを忘れてしまったのでしょう。「病人」とは「病んでいる人」のことでしょうから、病そのものよりも、人の心の置きどころみたいなことが、ガン治療の効果を左右するのではと思いました。
くよくよせず、あるがままに・・・。
そして、前向きに!
滋賀県57歳女性
乳がんになったことは不運ではあったけれど、不幸だったとは思いません。誰でもが経験できないようなことを経験できたことは幸せ。「みんなで入ればこわくない」をスローガンに仲間たちと温泉も楽しんでいます。大切な仲間を何人も喪ってしまったけれど、「患者に寄り添う医療を」と願いながら逝った友人たちの想いを伝えていくこと。私の使命と思っています。
「がんと共生し克服するノウハウ」を勉強し、同病の知恵を学ぼう!!
千葉県73歳男性
もう15年前のことです。通勤の帰途、ちょうど到着した地下鉄電車に乗ろうと階段を急ぎ足で下りていた私のみぞおちに、駆け上がって来た中年の男性のがっしりした左肩がぶつかりました。「大丈夫ですか」との問いに「大丈夫です」と答えて、急いで発車間際の電車に乗り込みました。直後、目の前が次第に暗くなって来たので、停電かと怪しみましたが、周囲の乗客は平気で新聞や雑誌を読んでいます。その後、急に気分が悪くなったので次の駅で降りホームのベンチに座り込みました。それからはラッシュが過ぎるまでベンチで休み、大量の下血で消耗した体を労りながらやっと自宅へ夜遅くたどりつきました。
翌朝、病院で内視鏡による検査を受けたところ、胃の上部に出血個所があると判り、貧血治療のためそのまま入院、その後の病理検査でがん細胞が発見されたとの告知があり、体力の回復をまって胃を全部摘出する手術を受けました。
不幸中の幸いは、衝突のショックで患部が切れて出血し、これが胃がんの早期発見につながったことで、さらに幸運だったのは、同室の人が胃がんの再発(残胃がん)で再入院していて、自分の1年余りの体験を親切に話してくれたことでした。特に役立ったのは、胃を切った人に役立つシリーズ本が発刊されており、その本の出版社が「医師と患者の話し合い・患者同士の助け合い」を合言葉に胃を切った人のクラブを設立し、会報を発行しているとの情報でした。
出来るだけ気にすることなく忘れて、能天気で過ごすこと、です。
兵庫県39歳女性
それが出来るのならどんなに楽か、と思われるかもしれませんが色々悩み考えてばかりの一日ではもったいない!ストレスも多々あるけれど病気をしてからの方が以前よりもずっと一生懸命に生きているように感じます。健康な時には食べて寝て仕事に行って遊んでと、わりと何も考えずにやはり不健康な生活を送ってしまっていた私ですが、病後ではほぼ真逆の、特別なおもしろい味は無いけれど規則正しい生活を考えて心がけるようになり、考え方も何でも吸収しよう的な感じ方・捕え方をするようになり、良い意味での貪欲になりました。免疫力アップにもなる?!私は2002年末に手術があり、五年となりますが、何か訳の解らない焦りがあった時もありますが何とか前向きに能天気に過ごしてきました。これからも「がんと共存」しつつ、でも闘っていきたいと思います。
年を重ね、笑い話しにする事
東京都47歳女性
あたり前の話しなのです。誰だって自分がガンになるなんて、思っていないはず...でも、なってしまったら、向きあい付きあっていくしかない。そう思えるまで、長い時間は、かかりました。安心を得る為の検診、そして思いもよらないガンという告知、不安を抱えた入院、辛い中での手術、苦しかった治療、退院しても、完治ではないという現実、先の見えない通院や検査、そして何より、再発という不安...。周囲への苛立ちや嫉妬、そして自己嫌悪...でもそんな中で生まれた、愛情、友情、信頼、初めて気づかせてくれた“時間”という最大のプレゼント(生きているという幸せ)。失った物もあったけれど、得る物もたくさんあった日々...やっとそう思えたのです。そしていつの日か年を重ね、「あんな辛かった日々が嘘みたいだね。」と主人と笑いながら、お茶を飲む...そんな日を夢みています。
自分が、がんになった事を悔やまない。
香川県48歳女性
がんになった事は、しかたのない事。いつまでも、くよくよ悩み、考えるよりも、これから先の事を前向きに考えて生きていく事のほうが、体の為にも絶対に良い。
がんを受け入れ
がんと共に生き
がんに感謝する
神奈川県44歳女性
私は、病気を通して素晴らしい主治医と出会うことができました。お世話になった先生や看護師に少しでも恩返しができればと、病院の清掃の仕事を始め、素敵な仲間と出会えました。私を支えてくえる沢山の友達もいます。がんになって一日一日が大切でキラキラ輝いています。今、毎日がハッピーです☆こんな気持ちにさせてくれたがんに感謝し、これからも前向きに生きて行きます!!
いい意味で、ひらき直りとなげやりが必要だと思います。
福島県46歳女性
私は乳がんになって5年が過ぎました。しこりが気になり病院へ行った時は乳がんの疑いだけでした。二週間後やはり悪性のがんでした。私は切除すれば治るんだと思っていました。何となく気楽にしてました。となりの病室で入院していた人の所にお見舞いに来た人に「玉川温泉がいいよ、行ってみな」と言われてから、ここ5年間、年3~4回定期的に行ってます。乳がんは、切除すれば治るんだと思っていたら大まちがいだった。日にちがたてば、たつほど、今は恐怖になることが一日一回はあります。しかし、このひらき直りがまたまた、一日に何度もあるのです。ひらき直りと、なげやりとは、ちょっとにてると思います。でも、両方持ってるとすごく楽です。「コツ」とは言えないけど、いい意味で、ひらき直りとなげやりが必要だと思います。
「がん」になったからこそ気づいたことと感謝の気持ちを忘れずすごす
神奈川県45歳女性
がんと分かり、私だけが死ととなりあわせでいるような気がして、何をしても、見ても考えても泣いていた時、誰でも同じく、明日の命の保証はないのだと気づきました。「死と向き合うことは生と向き合うこと」という言葉の意味が実感できた瞬間でもありました。それからは周りの人たちのあたたかい励ましに支えられ、庭の片すみでひっそりと咲く花の美しさ、家族とすごす時間のかけがえのなさなど、深く気にとめなかったたくさんのことに気づき、生かされているということに感謝の気持ちをもてるようになりました。病院のベッドの上で決意した「資格を生かしてもう一度働く」ということ、以前から興味があったヨガやアロマテラピーなど、静養生活の中で実感できたこともたくさんあります。気分よく台所に立てただけで幸せ。健康でも不平不満でいっぱいだった過去の私より、がんと向き合っている今の私の方が好き。これからもそうでありたいです。
ガンにかかった私を別の私が客観的に見守り平常心を保つ
神奈川県84歳男性
ガンに対抗するのは至難。それより不安や傷みに耐える私の対応の様子を別の私が観察することで平常心を保つことが出来た。結果ガンはいつの間にか離れていった。言葉を換えれば自然体がよいのではないか。
がんばりすぎない、でもあきらめない。
うまく共存すること
福井県39歳女性
私の友人が乳がんになり手術を受けました。すでに腕のリンパ節にも転移があったため、手術後にはつらい化学療法(抗ガン剤治療)を受けました。副作用に苦しみながらも懸命に治療にのぞみ、今は社会復帰をしています。しかし、乳ガンは再発率が高く、またすでに転移があったとのことから常に再発、転移という不安にかられながらの毎日です。今度再発したら・・・と時々今後のことを話して涙を見せます。そのたび私もとてもつらくて一緒に泣いてしまうのですが、最近では友人とよくこんなことを話しています。「がんばらないのではなく、がんばりすぎない。あきらめるのではなく、あきらめない。病気(ガン)と共にうまく生き抜こう」。それ以来、友人はとても充実した日々を送っているようです。
病気の事は考えずに
イメージで行きたい所に
旅をします。
千葉県61歳女性
私は眠りに付くまでイメージで「今日は湯布院で美味しい物を頂き、離れの和室でマッサージを受ける」、「明日はニセコのコテージでアロママッサージ」などとイメージして最高の気分で眠りにつきます。イメージは自由、なりたい自分、また行きたい所、どこにでも行けます。楽しい事を思い浮かべ快感ホルモン満載、病気も飛んで行ってしまいそう。
手術が出来ない私は、ガンちゃんと呼んでいつもガンちゃんの居る場所をなで、あなたの気持ちもわかるわよ。居てもいいから暴れないでネ。とお友達になってます。入院中は病院食に飽き、手を加え、レンジやオーブントースターを使用してアレンジし美味しく頂いてます。入院生活も楽しくなる様にして、リースを作ったり、家族写真を飾ったりしております。入院中も前向きに希望を持ち今出来る事、これからしたい事を考えると楽しくなります。
病気の事は現実として受け止め、先生にまかせて体に良い事をして、病状の深追いは自分ではしない方が良いと思います。きりなくふくらんでしまいます。また、周りに優しい方が居てくれると心が癒されハッピーな気持ちになります。そのためにも人にやさしくを心掛け、皆がハッピーな気持ちになれるといいなと、いつも思っております。
生きるコツ3原則
「くさるな、グチるな、くらべるな」
静岡県48歳女性
主人がガンと診断され闘病生活が長く続き、どうして私達がこんな目に遭うのだろう・・・と人生に対してひがんでばかりの日々でした。でもいくら愚痴ってみたとしても生活が変わる訳ではありません。現実にまっすぐ目をすえて明るく生きて行くことが大事です。他人と比較しないこと。これが一番です。
落ち込む自分を認めてあげる
千葉県51歳女性
がんの手術をして9ヶ月。手術後、リンパ節に転移のあったことがわかった。再発が不安になる。いつもいつも不安であることは、言えない。毎日暗い顔をしていたら、家族も嫌だろうから。でも、そんな自分を認めてあげたい。不安になるのは、あたりまえ。心配するのは普通の証拠と自分に話しかける。弱い自分を認めてあげると楽になる。今日生きていることを感謝する気持ちになる。
前向きプラス志向で生きる
東京都56歳女性
昨年大腸がんの手術をしたが、転移(肺)してしまった。抗がん剤の治療の為病院通いしています。往復4時間かかりますが、そののりかえの時、休息、ごほうび込み、Tシャツ買ったりバッグ買ったり喫茶店で好きな物をたのみます。余命宣告もされましたが、私は先生に「日本一、この抗がん剤で長生きします」といいました。明日新しい薬が出来るかもしれないし、今を楽しんで生きてます。やりたいことは、すべて、やる、歩けることは幸せです。