1955年、アフラックは米国ジョージア州の小さな都市コロンバスで創業しました。1974年には日本に進出し、日本初となるがん保険を発売。今日、アフラックはがん保険・医療保険保有契約件数No.1[*1]、日本で一番多くのお客様に選ばれている保険会社にまで成長しました。
がん保険のパイオニアとして「がんによる経済的負担から人々を救いたい」という創業当時の想いは今でも変わりません。この記事では、アフラックの歴史と「生きるための保険」への想いの軌跡を辿ります。

[*1]令和3年版「インシュアランス生命保険統計号」より。

がん保険に対する想い

アフラック創業者のエイモス3兄弟のモノクロ写真

創業当時、アフラックの創業者であるエイモス3兄弟は、小口の生命保険を訪問販売していましたが、1958年、他社との差別化を図るため、がん保険を世に送り出しました。
そのような中、1965年に彼らは父親を肺がんで失ってしまいます。家族のがんと向きあった3兄弟は、よりいっそうがん保険を世の中に広めていこうという想いを強くし、アフラックはがん保険に特化する道を選ぶのです。
治療により多額の経済的負担を強いられる「がん」を対象とした保険がなかった当時、がん保険は画期的な保険として市場から歓迎されることになります。

アフラックの想いと日本進出

大蔵省より事業免許が交付されたときのようす。額縁に入った免許を両手に持つアフラック創業メンバーの写真

1970年、当時社長のジョンB.エイモスは大阪万国博覧会の開催中に初めて日本を訪れます。そのとき風邪予防のためにマスクをしている多くの日本人を見て、その健康や衛生に対する意識の高さに驚きます。「これだけ健康に対する意識が高いのであれば、がんの苦しみから人々を救いたいという想いも、日本人に届くに違いない」アフラックは日本進出を決意しました。

しかし、「がんは不治の病」といわれていた時代。当初、複数の生命保険会社に提携を打診しましたが、がんの話題すら避けたがる風潮もありました。がん保険への関心は低く、提携交渉は不調に終わったのです。

それでも創業メンバーは、「がんによる経済的悲劇から人々を救いたい」という変わらない強い想いで認可取得に向けて邁進します。1974年、日本進出を決意してから4年の月日が経った頃、ついに大蔵省(当時)より事業免許が交付され、日本初のがん保険が誕生したのでした。

ここから日本での、アフラックの歩みが始まったのでした。

がん保険をはじめとする「生きるための保険」の進化は続く

アフラックのダックの写真

現代では、がんは不治の病ではなくなりました。がんの告知率は伸び、治療して治す時代となっています。
しかし、時代ごとにがんに対する意識や医療環境が変化しても、アフラック創業当時の想いは変わることはありません。

「がんによる経済的悲劇から人々を救いたい」という想い。

今では、"「生きる」を創る。"というブランドプロミスとして、受け継がれています。

たとえ、がんをはじめとするさまざまな病気と向きあうことになったとしても、自分らしく充実した人生を歩んでいただくために。アフラックはがんと向きあう方々を最も長く支てきた企業として、これからも日本の地域社会に寄り添った保険会社であり続けます。