40過ぎから、健康志向だった。
のどの違和感も、老化だと思っていた。

40歳を過ぎたころから、オーガニックなものを食べ、整体やマクロビオティック*なども少し取り入れて、健康にはずいぶん気をつかってきたつもりでした。煙草も50歳でやめていました。2013年の12月からのどに違和感を覚えていましたが、たぶん老化現象のひとつだと勝手に思って、ほったらかしにしていました。百万にひとつもがんとは疑っていなかったですね。

*食事は穀菜食を主体とし、牛、馬、豚、鶏のような動物性食品を禁止とする健康法。

翌年3月に人間ドックで精密検査を受けましたが何も言われず、でも、どんどん違和感が大きくなってきたので6月にかかりつけの医者で診てもらいました。抗生物質でも腫れがひかず、専門医のところに行って生体検査をして、がんという診断結果がでました。その後、詳細な検査を受け、ステージⅢに近いⅡの中咽頭がんという診断をされました。

それまで健康には少し自信があったのですが、一気になくなりました。オーガニックなものを食べようが、何をしようが、なるときはなるんだな、と思いました。絶対がんにならない生活の仕方なんてない。がんになるときは、なる。それが生きることだ、と後になって思いました。

ご自身の経験について語る坂本さん

仕事と命、どちらが大事?
治療に専念することに。

仕事も忙しい時期でした。日本でこっそり治療しながら、仕事も続けるというやり方など色々いくつも選択肢を考えたうえで、ニューヨークで治療に専念することにしました。主治医のインド人の先生に「仕事と命とどちらが大事なんだ?」と言われたこともあり、中途半端な形で仕事に関わらない方がいいと判断しました。ニューヨークに引っ越してから30年近くたつのですが、初めて大きな病院に行きました。

その病院では治療が終わった後の生活も考えて、治療方針を選ぶことができました。ぼくのような仕事だと、仮に手術して声帯を傷つけてしまうと支障がでる。そこで手術を避けて、放射線治療を2カ月あまり受けました。入院ではなく通院で治療できたことで、治療中のQOL*もバランスをとることができました。漢方や鍼、それから自宅でできる食事療法も行いました。

*quality of life 精神面も含めた生活全体の豊かさのこと。

最初は痛みもなく、安心していたら3週目くらいから痛みが始まりました。ツバを飲み込むのも痛くて、食べる、飲む、が辛くて大変でした。でも放射線科の中国人の先生が「私があなたを治すから、治るまでは別れないから」と。責任もって治療するからという意味だったと思うのですが、大変心強かったです。

これまで仕事で旅ばかりしていたので、ニューヨークに住んでいたものの3カ月以上ニューヨークに留まっていたことがありませんでした。何カ月も続けて自宅にいたのは初めてで、それも新鮮でした。ハロウィンがあり、感謝祭があり、冬になって、と季節の移り変わりを見ていると新たな愛着がわいてきて、ここに住んでいるんだなと実感しました。

がんという病気が知りたくて、本を読んだ。

自分なりに調べてみたら、がんは人間がもっている「免疫」という防御システムを巧妙にだましていくものだと知りました。がん最大の原因は「生きている」ことそのものなのだと思いました。
生きていると細胞に「エラー」が起こることもある。

「生きていれば、なる。生きていることがリスク」という捉え方もできます。生きていることの中には病気が内在しているのです。がんというのは不思議なもの。ちょっと自然の神秘を感じてしまいます。

笑顔でいると筋肉の信号が脳にいって、エンドルフィン*などいいものが分泌されると聞いたので、治療が辛いときは笑うことを心掛けていました。放射線室に入るときもニコニコしたり、一人寝ながらニコニコ笑っていたり。人から気難しそうというイメージを持たれやすいんですが、普段からわりと笑っています。

*脳内で働く神経伝達物質の一種。鎮痛効果や気分の高揚・幸福感などが得られる。

口元に手をあてて語る坂本さん

がん保険のありがたさは
なってみないとわからない。

実は以前にアフラックのがん保険に入っていたので、ずいぶん助けられました。日本で入ったのですが、海外でも保障してもらえました。支払いはすごく早くてよかったです。アメリカの病院でも手続きの説明もわかりやすく、簡便な手続きでかなり早く振り込みがありました。

使うかどうかわからないものにお金を出すのは「不確か」なこと。でも今回保険に入っていてよかったと実感しました。本当に「保険」とはよく言ったもので、将来使うかはわからないけれど、あれば本当にありがたいです。必要なときは来るんだ、とがん保険のイメージが変わりました。

がんになってそこから慌てて本を読みあさるというより、事前にがん保険に入っておき、入った当初は自分と関係ないと感じても、そのときに少しがんのことを知っておくということはとても大事です。

治療後、最初に食べたオムライスに、ジーン。

治療中はのどの痛みがなるべく少ないよう流動食的なものをつくってもらって毎日食べていました。日本人でよかったと思うのは、和食にはおかゆ、山芋、もずくなど、どろどろしたものが多いこと。あんかけの茶碗蒸しも食べやすく、毎食つくってもらっていました。当時は回復してカツカレーを食べるのが夢でした。東京の好きなお店のカツカレーの写真を送ってもらってスマホの待ち受けにしていました。

口の中の痛みで酸味の強い果物が食べられなくなり、驚いたことにバナナでさえ痛みがありました。最後に残ったのはスイカ。スイカに生かされたようなものです。スイカさん、ありがとう。

最後の週の治療が終わってからさらに痛みが増し、2、3週間食べられず、最初に食べたのはオムライス。ジーンとしました。普通のことができるありがたさをしみじみと実感しました。念願のカツカレーは3カ月後に食べましたが、憧れが強すぎたのか、ちょっと拍子抜けでした(笑)今は基本的には野菜中心の食生活ですが、たまにお寿司を食べたりもします。

がんくん、ありがとう。
ぼくの中には、感謝の気持ちもあります。

がんを経験して、人生の時間には限りがあることを実感しました。若いときは、リミットがあることは考えないで無駄に時間を過ごしたりするし、それはそれで贅沢で素晴らしいことなのですが、残りがはっきりしてきた人間には余計なことをしている暇はないと思っています。

治療後1年くらいゆっくりする予定でした。もともと山田洋次監督と約束したものだけはなんとかやって徐々に仕事に戻っていこうという計画。でもイニャリトゥ監督から『レヴェナント:蘇えりし者』の音楽提供のオファーがありました。治療が終わって半年もたっていない時期でした。まだ体力も精神面も全然回復していなくて悩んだ末、以前から彼の才能をかっている者としてこれをやらないわけにはいかないと判断し、仮に再発してもいい、くらいの気持ちで臨みました。

結果、自分の仕事としては不本意な仕上がりでした。今まで失敗経験がなくここまで来てしまったので、『レヴェナント:蘇えりし者』は本当に悔しくて、こんなに悔しかったのは生まれて初めてでした。誰もが一度や二度は感じる悔しさをぼくもやっと味わって一人前になれたのかなと思います。

屋外で、ジャケット姿で遠くを見つめる坂本さん

がんを受け入れる気持ち。あらがおうとする気持ち。
両方あって、いい。

2011年の地震で津波にあったピアノと出会い、感じたことがありました。どこかにいたら地震が起きて、津波が起きて水をかぶるかもしれない。それは誰も止めることができない。同様に、生きていれば、病気になって、命を失うかもしれない。それもまた、自然の摂理の一つ。津波、ピアノ、自分の身体、がんが自分の中で一つにつながって『async』というアルバムづくりに影響しました。

病気になって治りたいと思うのも、人間にとっては自然なこと。別に音楽なんてつくらなくてもいいのにどうしてもつくりたくなっちゃう、というのも。大きな都市をつくるとか、ビルをつくるというのも、きっとそういうことでしょう。人間とは特殊な動物だなあと思います。

がんは自分の中の自然を自覚させてくれました。受け入れるしかない。でも、あらがおうとするのも素直な気持ちなので、それも受け入れる。両方あっていいのではないでしょうか。生きるとは自然からもらった時間をまっとうすることなのでしょう。自然の摂理と、人間としての自分。その両方が織り込まれているものをつくりたいと思っています。

変に音楽に救いなんか求めたりしない方がいい、というのがぼくの実感です。実際、治療中、とてもそんな余裕はなかった。だからこそ、音楽をつくったり聴いたりすることは、なんてしあわせなことなんだろうと思います。それは普通のご飯が食べられるしあわせに似ている。一膳の白いごはんのようなもの。それくらいありふれたものであることが、しあわせなんだ。

2018年11月現在の情報を元に作成

※がんを経験された個人の方のお話をもとに構成しており、治療等の条件はすべての方に当てはまるわけではありません。