鼻毛出てますよ、というくらいサラリと「これは前立腺がんですよ」と言われました。
年に一度受けている人間ドックで前立腺がんの疑いが見つかりました。数値はグレーゾーンで自覚症状はなかったけれど、虫の知らせのようなものを感じて、少し前にドラマの取材でお知り合いになっていた頴川先生に相談しました。僕は人見知りをする方なのですが、取材で先生に会った瞬間、「この人は信頼できる人だ」と感じていました。言葉のチョイスや佇まいに波長が合ったんです。
先生のアドバイスで精密検査を受けました。後日、いつもの診察室で生検の結果を見ながら、先生が「これは前立腺がんですよ」とおっしゃいました。むちゃくちゃサラリと、鼻毛出てますよ、というくらいサラリと。よくドラマで告知の瞬間、頭が真っ白になるとか、膝から崩れ落ちるとかいろいろありますけど、全く違いましたね。
それまで大きな病気をしたこともないし、病気は自分とは関係のない世界のものだと思っていました。診察室を出たら、まず、とにかくみんなに言いたいという誘惑に駆られました。言いたい、そして反応が知りたい(笑)。実際には、妻と仕事でお世話になっている人たち3人だけに話しました。
大河ドラマ「真田丸」の執筆も控えていたので、手術を選択しました。
病気が見つかったのはちょうど「真田丸」の脚本を書いていて、翌年からオンエアが始まるという時期でした。僕の場合は治療の選択肢は2つありました。手術か、放射線治療か。いちばん気になったのは脚本の締め切りです。たまたまですが、大河ドラマのために仕事を絞っていたのは幸いでした。それぞれの治療法の特徴を先生から聞いて、毎日通院しなくていい手術を選択しました。長期間の休みは周囲に迷惑がかかる、降板するのも絶対に嫌だと思いました。男性機能のことも気になりましたが、先生からは「なんとかなる、自分がやれば」とも言っていただけました。
がんとわかってから半年後に手術しました。仕事に支障が出ないよう、世間が正月休みの時期にしました。半年も待って大丈夫なのか、待っている間に病気が進行するのではと気になりましたが、先生から「前立腺がんは進行が遅いし、早期の段階で見つかったので急がなくて大丈夫」と言われて安心しました。
お金のこと、身体のこと、家族や仕事のこと。
雑多な不安を1個1個消していく。
最初は何もわからなくて不安でした。未知の世界。自分がどんな運命を辿るのか。そもそも、前立腺とはどこにあるのか。検査や手術はどのくらい痛いのか。どんな手術をするのか。知らないことばかりだからこそ不安になるんですよね。検査のときはとにかく不安だった。お尻から針を刺して組織のサンプルをとるのですが、その機械の形が「チャッカマン」そっくりなんですよ。人生で一番怖かったかもしれません。でも、実際の痛みは意外とそうでもなかったりしました。カチャッという音は今も耳に残っていますが。
先生と話していくうちに、不安が消えて、手術の当日は全然不安はなかったです。朝の浣腸がちょっと辛かったくらいで。妻と息子に「じゃあ行ってくるねー」とサラリと伝えて手術室へ向かいました。当時1歳半の息子も明るく「行ってらっしゃーい」という感じでした。
がんになって、この7年間で感じたのは、やっぱりいろんなことが不安になるということです。お金のこと、自分の身体のこと、将来のこととか、家族や仕事のこととか。雑多な不安を一つひとつ消していく作業のような気がしています。
こんなにお金が出ていくんだ。
がんになるとお金がかかるなということを切実に感じました。治療もそうだし、検査にもかかる。ちょっと何かの数値が高かったら、また新たにMRIをとってお金がかかるし。
もともと趣味もないし、お酒も飲まない。そんなにお金を使わないから自然に残っていく感じで将来設計をちゃんと考えたことがありませんでした。自分が旅立った後、家族に何を残すかとか考えたこともなかった。180度人生観が変わりましたね。働き盛りのがん、子どもも小さかったし、家族にお金を残すことを考えなくてはと思いました。今もそればっかり考えています(笑)。
病気と向きあっていくだけで精一杯。がんを治すことだけに専念したい。
本音で言うと、がんになったらがんを治すことだけに専念したいんです。他の雑多なことは忘れて病気に向きあっていくのだけで精一杯。とはいえ、仕事もあるのでがん治療だけに専念するわけにもいきません。病気と向きあう時間ってそれまでの人生の生活習慣になかった時間。それが組み込まれていくだけでも大変で、それ以外のことって煩わしいと思う中でお金のことって結構大きいと思うんですよね。お金も、それ以外の悩みも保険にお任せできれば楽でいいなと思います。
変に心配されても困るのでがんのことはあまり人に言いたくないと思っていました。特に前立腺がんということでちょっと隠しておきたい思いもありました。でも、自分ががんになったとき、どの本を読んでもよくわからなかった。自分が心配していることはきっとみんなも心配していること。がんはちゃんと知れば怖い病気ではない。僕が代表して先生に質問してみなさんに安心してもらいたいと思って対談の本を出しました。すると、「私も同じ病気だったんですよ」という人が知り合いの中から何人も現れました。言わないだけで実はポピュラーな病気なんだなと思いました。
ひとりでは解決できないこともある。
脚本家ってものを知っている風に思われがちだけど、僕は社会の仕組みとか知らないことも多いんです。結婚するときも婚姻届の書き方がわからずなかなか受理してもらえなくて3回も書き直ししました(笑)。病気になったとき、家族の存在は嬉しいし、力にはなるけれど、他に誰か相談に乗ってくれる人がいるとありがたいですね。
30代、40代の頃に比べると精神的にいろいろと脆くなっている面もあると思います。人に言いづらいこともある。ひとりで解決できないこともある。僕はがんがどんな病気か知らないときの方が不安でした。人と話してわかることで不安がなくなっていく面もあると思います。無駄な不安は解消できたら、それに越したことはないんです。
心配かけたくなくて、当時80歳だった母には言いませんでした。初めからそう決めていました。手術が終わっていろいろ落ちついてから「実はがんだったんだよ」と話しました。父もがんで若くして他界しているので、母はショックだったみたい。「なんで教えてくれなかったんだ」とちょっと怒っていました。でも言わなくて正解だったと思っています。がんって、なった本人だけでなくまわりの人間も不安になるものです。
物語で言うと、まだプロローグだと思っています。
先生からは本当の意味での完治はないと言われています。半年に一度の検査は今もドキドキしちゃいます。誤差の範囲で数値が上がったり下がったりするだけなのですが、もうそろそろ悪くなるのではと思ったり。
一生続く心づもりでいます。先生が今後も付き合ってくださると思うと心強いですね。再発したらどうなるのか、そもそも再発するものなのか、先生と話すことで不安がなくなります。治療自体は終わりましたが、がんとは長く付き合っていくつもりです。物語で言うと、まだプロローグだと思っています。子どもも小さいし、先は長いですよ。
がんになった人が入れるがん保険、いいと思う。
がんを経験した人が入れる保険がアフラックにあると聞いたのですが、素晴らしいと思いました。普通に考えて、がんになった人の方が、再発や転移の不安を抱えるわけですからね。そこは、保険会社としてやっぱりちゃんとしてもらいたいなと思います。定期的に検診を受けて保険にも入って備えておけば、がんは怖がらなくてもいい時代だと思ってます。
うかうかしていられない。
無限の未来があると思っていたけれど、限りがある。
今思うと、あのタイミングで前立腺がんになってよかった。3週間入院して休んでリセットできました。全然痛くなかったし、それまで経験してこなかったことを経験できた。いい3週間を過ごした、楽しかったとすら思っています。自分の生命というものに向きあうきっかけになりました。
がんを経験してから、自分に与えられた時間に限りがあると思うようになりました。以前はスケジュールが厳しくても人間関係を優先していました。いくらでも仕事できるならやっちゃおう、と。仕事を選ぶときにもギャラを考えない感じでした。自分に仕事を持ってきてくれたこの人にどのくらい恩があるか、恩返しできていないのではと、ほぼ義理人情で考えて受けていました。
病気をしてからは、仕事で寿命を縮めるのは意味がない、自分が本当にやらなくちゃいけないこと、やるべきことをやろうと思うようになりました。自分の残された人生をどう生きていくか。気をつけろ、うかうかしていられないぞという感じです。
2022年9月現在の情報を元に作成
※がんを経験された個人の方のお話をもとに構成しており、治療等の条件はすべての方に当てはまるわけではありません。