アフラックの軌跡

1985年~1994年

  • プロローグ
  • 1974年から1984年
  • 1985年から1994年
  • 1995年から2004年
  • 2005年から現在

時代の先を読む経営

<痴ほう介護保険>発売時のパンフレット
<痴ほう介護保険>発売時の
パンフレット

日本では遺された家族の生活保障を目的とした生命保険が主流でしたが、アフラックは、お客様自身が“生きるための保険”に特化した独自路線を歩みました。

創業から丸10年を経た1985年には、<痴ほう介護保険>と<医療保険>を相次いで発売。特に介護問題の到来をいち早く予見し、世界に先駆けて開発した<痴ほう介護保険>は、当時まだ発症率など認知症に関するデータがほとんどないなか、地方自治体や海外のデータを精緻に検証しながら開発したもので、同年、保険商品としては初めて「日経・年間優秀製品賞」において最優秀賞を受賞しました。

また、<がん保険>においても、この分野のパイオニアとして不断の商品改良を重ね、1990年、がんと診断された時点で一時金を支払う「診断給付金」と通院治療をカバーする「通院給付金」を新たに加えて保障内容を大きく充実させた<スーパーがん保険>を発売。
年月の経過に伴うがん治療の環境変化に的確に対応するとともに、がん治療に対する経済的負担をよりきめ細かく支援することが可能となりました。

アフラックスクエア(東京都調布市)
アフラックスクエア(東京都調布市)

そして、1992年には<がん保険>の保有契約件数が1,000万件を突破し、世帯普及率(保有契約件数/全国世帯数)も25%にまで拡大しました。

保有契約件数の拡大にともなって、地域に根ざしたきめ細かなお客様サービスに向けた社内体制の強化にも取り組みました。迅速な保険金・給付金のお支払いのために給付部門を大阪、名古屋、広島にも設置。1994年には、東京都調布市に初めての自社ビル「アフラックスクエア」を完成させ、本社部門およびコンピュータセンター等を統合、業務効率を格段に向上させました。

この時代、バブル景気とバブル崩壊を経験した日本。バブル経済の活況呈す1987年、アフラックはそれまで運用資産として保有していた株式をすべて売却し、それによって得た資金を国債などの安全性の高い長期確定利付資産に振り向けました。お約束した保険契約を確実に守るための冷静な判断でした。このまま株価は上昇し続けると誰もが疑わなかった当時において、この決断はさまざまな批判も受けましたが、その後バブルが崩壊し、日本中が大不況に見舞われるなか、アフラックは運用資産をほぼ無傷で守り続けることができました。この保守的な運用方針は現在も受け継がれ、アフラックの健全な財務内容を築く礎となっています。

アフラック全国アソシエイツ会 設立総会
アフラック全国アソシエイツ会 設立総会

また、創業以来、<がん保険>の普及に向けて使命感と情熱を持ってアフラックとともに歩んできた販売代理店。創業15周年に当たる1989年には、アフラックと“共通の目的に向かって進む仲間”との思いを込め、代理店の呼称を「仲間」を意味する「アソシエイツ(Associates)」に変更しました。同年、アフラックとアソシエイツ相互のさらなる発展を目指して「AFLAC全国アソシエイツ会」を設立。アフラックとアソシエイツはまさに相利共生のパートナーとして、また、ひとつの目標に向かって進む運命共同体として、お互いの連帯感を一層深いものとしていきました。

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