寝ても寝ても疲れが取れず、あくびが止まらなかった。

2017年の5,6月から、だるさがとれませんでした。寝ても寝ても疲れが取れず、あくびが止まりませんでした。全体練習に入って身体を動かすとやっと少し楽になる、という日が続きました。

その後、2018年12月に受けた人間ドックで再検査となりました。大腸カメラでの検査中、医師の顔色が変わり、すぐに別室に呼ばれました。恐らくがんであること。早期のものだろう、すぐに手術を、ということが告げられました。

26歳。この年齢で、プロのスポーツ選手として運動もしている中でこんな大きな病気になるなんて思いもよりませんでした。まさか、自分ががんになるとは、と驚きました。

手術のこと、入院のこと。まったく想像もつかず、不安でした。

どんな治療になるのか、どのくらい入院するのか、お金がいくらかかるのか。まったく想像もつかなくて、不安でした。周りの人に聞いたり、「どうなるんだろう」と家で話したりもしました。もともと無頓着でがん保険にも入っていませんでした。入っておけばお金の心配もなく、治療が受けられたのに、と思います。

人生初めての手術は腹腔鏡手術、5時間かかりました。

入院は1週間でした。当初は「ステージⅠ、Ⅱの軽いものだろう」とのことでしたが、手術後の病理検査の結果、3カ所のリンパ節への転移が見られました。追加で抗がん剤治療が必要になったのです。

幸いなことにがんは遠くには転移しておらず、近くのリンパ節だったので手術で切除できたのですが、診断はステージⅢB。「そんなに、いってたんか」と少し怖くなりました。もともと、前向きに捉えていたので、切ったら終わりだと思いこんでいました。お腹の傷が治って、筋肉がくっついて、少しずつリハビリ強度を上げていけばすぐに復帰できる、と。

前を見つめる原口文仁さん

抗がん剤治療が6カ月続きました。

先生から、数種類の抗がん剤の説明があり、「この薬なら治療しながら体調に合わせて野球をやってもいいよ」と言われました。公にはしませんでしたが、選手として試合に復帰しつつ、治療を継続しました。その後、オールスター戦の3日前に全クールが終了しました。

抗がん剤の副作用は軽い方でしたが、それでも倦怠感やアレルギー反応などがあり、顔がパンパンに腫れてしまうことが3回ほどありました。試合に最高の状態で挑めるよう、監督やコーチに体調に合わせて練習内容を配慮してもらえたのは助かりました。

普段通り妻が接してくれて手術前ギリギリまで野球に没頭できました。

病気が発覚したとき、僕は自主トレ中。妻は小さな娘を連れて実家に帰省中でした。妻には電話で報告しました。翌日、娘と二人で西宮に帰ってきてくれました。一通り、想像できることをすべて想像して戻ってきたと言っていました。前向きにやっていこうと、一日で気持ちを切り替えたそうです。

妻が冷静に、普段と変わらず過ごしてくれたのがありがたかった。いつものようにご飯をつくって、練習に送り出してくれました。そのおかげで本当に病気なのかな、というくらい野球に没頭し、いい感覚をつかむことができました。手術の前々日まで練習を続け、シーズンが開幕したら勝負できるなという手応えをつかむことができました。

当時長女が生まれたばかり。「遅かれ早かれ命には限りがある」ことと向きあうことになり、改めて娘の成長していく姿を見守りたい、という気持ちも強くなりました。家族が近くにいてくれたというのは大きかったです。支えてくれてありがとう、と言いたいです。

「完治までは5年かかる」と医師から言われました。今は2カ月に1回検査。先は長いなあと思います。僕らの仕事は身体が資本です。結果を出さないと年俸も下がるのが当たり前の世界。疲れやアレルギー反応があると、正直不安な気持ちになることもあります。たまに、どうなっちゃうんだろう、とぼーっとしていると、妻が「目がどこかにいっちゃってるよ」と引き戻してくれます。妻は僕以上に前向きな人なんです。

原口文仁さんのご家族
原口選手のご家族 2019年撮影

矢野監督からの1本の電話。

がんとわかったとき、矢野監督から電話をもらいました。めっちゃ早かったですね。関係者に伝えて、すぐに着信があったので驚きました。それまで直接電話をもらうことなんてなかったので。「フミ、俺は信じているから」「本当に待っているからがんばってくれ」と言われて心強かったです。

監督とは、僕、プロに入って1年だけファーム(二軍)で一緒に過ごしているんです。ベテランになっても最後まで練習を一人で黙々とやっていて、すごい選手だな、という印象でした。監督は勝負に厳しい中にも優しさ、楽しさのある方です。監督の目指すチームというのは、僕の前向きな気持ちとリンクするところがあり、目指しているところは一緒だなと感じています。直接電話をいただいて嬉しくて、監督の一年目なので、とにかく早く戻ってチームの勝ちに貢献したいと思いました。

オールスター戦の大舞台で復帰後初のホームラン。

2019年1月に手術を受ける前から、「ゴールデンウイークには一軍に復帰」という明確なイメージが自分の中にありました。キャンプインのときは、まだベッドの上。「みんな野球やれていいなあ」と思いました。3月にファーム(二軍)へ、6月に一軍へ復帰しました。

6月4日のロッテ戦では、ネクスト[*1]に立ったときに大歓声をいただきました。タイガースファンもロッテファンも拍手で迎えてくれて、嬉しかった。妻や妻の両親も観に来ていて、タイムリーツーベースヒットを打ったときには、みんなで泣いて喜んでくれたそうです。

[*1]打席に入る前に次の打者が待機する位置

6月9日の日ハム戦では代打サヨナラタイムリーを打つことができました。サヨナラで自分に打席が回ってくる予感がしていて、そのイメージのまま、思い通りのバッティングができました。甲子園球場のみんなから「おかえり」と言われ、お立ち台では思わず「みんな、ただいま」という言葉がでました。

さらにはオールスター戦のプラスワン投票[*2]で1位に選ばれ、2試合で2打席連続ホームラン。オールスター戦に出られるとは思っていなかったので、ファンの人に感謝の気持ちでいっぱいでした。思いっきり振って、三振でも「元気にやれているよ」と見せられたらと思っていたら、最高の結果になって、嬉しすぎました。

[*2]出場選手決定後に、選ばれていない選手の中から、セ・パ両リーグ1選手ずつファン投票で選出。

試合で活躍する原口文仁さん

一軍で活躍して、周りを笑顔にしたい。

少年のころ野球を始めたときの「野球が大好き」という気持ちが、僕の中にはずっとあります。みんな、悩みごとや大変なことはあるけれど、前を向いて笑顔でいればいいことがある、というのが僕の信条です。

がんを経験して、応援してくれている人を笑顔にしたい、という気持ちがさらに強くなりました。野球ファンの方もそうですが、同じ病気の方や、そのご家族にも僕の活躍が耳に入れば少しでも励みになるかもしれない。

シーズンが終わってから、治療のことを公表しました。チャイルド・ケモ・ハウス[*3]を訪問し、院長先生の言葉に背中を押されました。がんの治療をしながら、ヒットやホームランを打っていることは他の病気の方の励みや勇気になる、と言ってもらいました。日本中の人に見てもらうためにも、一軍で活躍して結果を残すというのは自分にとって大きなテーマです。

[*3]小児がんをはじめとした医療的ケアが必要な子どもと家族のための施設。

バットスイングする原口文仁さん

野球も、野球以外の人生も両方充実させていきたい。

命にかかわる病気をして、これまでの自分の生き方はどうだったのか、一日一日を無駄にしていないか、振り返りました。一回原点に戻ることができ、成績がでないときも、この舞台に立っているだけでいい、と気にならなくなりました。普通に生活していることが、どれだけすごいことか。元気な身体があって練習できているじゃないか。野球で悩めて幸せだな、という想いです。

それまでは野球だけの人生でした。結果を残すために練習しなくては、と切羽詰まった状態でずっと野球をやってきました。今はオンオフの切り替えがうまくいくようになり、野球以外の人生も充実させたいと思うようになりました。誰かのお店が開店したら、花を贈ったり。家族といるときには、一緒に遊びに出かけたり。

人が喜ぶことをしたい。自分のことだけでなく、周囲の嬉しいことも一緒に喜びたい。自分にできることがあったらすぐ行動に移して、その気持ちを伝えていきたい。がんが見つかって、またこうやって元気に野球がやれているというのも、自分は運がいい人生だな、と思っています。がんの早期発見、早期治療の大切さを伝える活動も続けていきたいです。

2019年12月現在の情報を元に作成

※がんを経験された個人の方のお話をもとに構成しており、治療等の条件はすべての方に当てはまるわけではありません。