目の前が真っ暗なのか真っ白なのか
わからないほど驚きました。

2019年、33年間在籍したフジテレビを退社。フリーアナウンサーに転身して2か月後に悪性リンパ腫が発覚しました。もともと排尿が苦しくて、腰痛もあり、自分でも膀胱がんの可能性を疑い、2回検査を受けていました。検査結果は前立腺肥大、「がんではありません」と2回も違う病院で言われていたんですよ。

前立腺肥大の検査で下半身のCTを撮ったのですが、その時に骨盤に異変があるのを見つけてもらえたのです。驚きましたね。

それまで受診していた泌尿器科から腫瘍血液内科へ移りました。その時撮ったPET検査の映像は忘れられません。全身が黄色く光り、腰と肩が特に強く光っていました。カミナリに打たれたようなショックを感じました。「がんが全身に散らばっています」と医師から冷静に言われましてね。ステージⅣ。これからフリーとしてがんばっていこうという時に、どうしてこんなことになっちゃうのか。私には同じ元アナウンサーの妻と3人の息子がおり、近くに両親も住んでいたのですが、当面、ステージⅣのことは妻と社会人になっていた長男と3人だけの秘密にしました。みんなに心配かけたくなかったのです。

笑顔で話す笠井信輔さん

主治医からの治療の説明に
妻と二人でしっかりついていきました。

私の主治医は、ものすごく頭の回転が早い人。ホワイトボードを使って詳しく治療の説明をしてくれました。私も妻も、幸いなことに取材記者としての経験もありましたから、しっかり話についていきました。先生がおっしゃるには、私のがんは悪性リンパ腫のびまん性大細胞型B細胞リンパ腫の中でもちょっと変わったタイプとのこと。私と似た患者さんの例が書いてある論文を出して、それを参考にした調合法での抗がん剤治療の説明を受けました。

ほぼ予想通り、高額だった治療費。

4か月半入院して、抗がん剤を24時間連続5日間投与、それを6クールやりました。個室でしたし、これはすごくお金かかるぞと思ったら、ほぼ予想通り、高額でした。こうなったら有意義に入院生活を過ごそう、と部屋にいろいろ持ち込んで、クリスマスやお正月、節分など季節の行事も家族と楽しみました。家族は病室ではとにかく明るくふるまってくれましたね。

副作用は、最初はそうでもなかったのですが、3回目以降がキツかったです。個人差があるそうなのですが、私の場合は、倦怠感、手足のしびれ、味覚障害、食欲不振、不眠。良かったのは吐き気が少なかったことです。「食べることが闘いだ」と思って食事をとりました。といっても、量が半分のハーフ食ですが。薬の副作用で髪の毛も抜けました。それまで短髪にしたことがなかったのですが、抜ける前に短く切りました。

仕事がすべてキャンセルに。

フリーになってから、ありがたいことにテレビやラジオのお仕事も沢山いただいていたんです。講演会は半年先まで40件以上ご依頼いただいていました。がんになって、それらがすべてキャンセルになりました。「ちょっとやめてよ〜」という気持ちでした。でもね、クヨクヨしていても仕方ない。がんを乗り越えて、新たな人間として生きようと気持ちを切り替えたんです。ニュー笠井でいこうと…。

保険に入っていたので、
父親としての責任も果たせました。

サラリーマンからフリーになったとたん、がんになって無収入になりました。「ごめん、父さん収入なくなっちゃった」と思いましたが、その後調べてみたら、実はがんをカバーできる保険に入っていたんです。入っていることを忘れているくらいでしたが、本当に救われました。

それまで家族から「お父さん、しっかりしてよ」と言われがちだったのですが、俺、しっかりしてたじゃん、と自信がもてました。家庭内での株が上がりましたね。教育費がかかる年頃の息子もいますが、「ちゃんと保険に入っていたから、大丈夫だよ。治療で一時的に収入がなくても、お金に関しては心配しなくていいよ」と胸を張って言えたのです。滅多にありがとうと言わない妻からも「ありがとう。良かった。」と感謝されました。

がんになった人が心配することは3つあります。生きていけるのか、社会復帰できるのか、生活できるのか、ということです。そのうち、保険は「生活できるのか」という心配事やストレスから解放してくれました。その後、お見舞いに来てくれた人たちみんなにも「絶対がん保険には入っておいたほうがいいよ」と伝えました。

帰ってくるから、待っていてください。

番組でがんを公表した後、仕事仲間や後輩たち、みんなの前で「絶対に帰ってきます」と宣言しました。カッコつけて言うと、スポーツ選手がメダルを取る宣言をして自分を鼓舞する、あの感じです。約束をしてしまえ、と。自分の道をつくるしかない。病気に絶対に負けない入院生活を送ろうと心に決めていました。

笑顔で話す笠井信輔さん

入院生活をSNSで発信。
みなさんからの応援メッセージに励まされました。

4か月半の入院。主治医からは「仕事復帰は早くて半年後。1年かかるかも」と言われていました。これまで20年間毎朝テレビに出続けてきたのに、がんになってこのまま世の中から消えるかもしれない、と思いました。そこで治療中も発信し続けようとブログを始めました。当初はSNSのフォロワーも数百人程度でしたが、テレビなどメディアでがんが取り上げられて、今ではブログやSNSのフォロワーが47万人にもなりました。

これまで自分はアナウンサーとして、芸能人のいろいろな方が病気と向きあう姿をお伝えしてきました。入院生活をSNSで発信し始めたのには、いざ自分がなったときに、「そっとしておいて欲しい」というのはおかしい、という想いもありました。

がんになるのは特別なことではない。だから保険で備える。

SNSでメッセージをいただいて、ご本人やご家族ががんを経験されたという方が多いのに驚きました。がんがどれほど身近な病気になっているか、知りましたね。これまでがんというものをある種、特別視していたけれど、逆だな、と。特別なことではない。そう考えてがん保険で備えたほうがいい時代なんだなと思いました。

家族のあり方が豊かになりました。

入院中、妻は「そんなに甘える?」と言いながら身体を拭いてくれました。息子たちはむくんだ足をもんでくれたり、退院後は兄弟でコラボしてオムライスをつくってくれたり。いやー、変わりましたね。息子たちは滅多に料理なんてしたことがなかったんですから。がんになるのも悪いことばかりじゃない。がんになってよかったとは思いませんが、なったことで家族の会話が増えて、家族のあり方が豊かになったと思います。

結婚30周年の記念日までに退院するのが目標でした。当日は妻に30本の薔薇を贈りました。相当お金がかかりましたよ。それができたのも保険に入っていたからです。保険のお金は治療費だけでなく、生活費や、このような時の資金としても使うことができました。

笠井信輔さんと笠井信輔さんの奥様
©石川正勝

入院中に、新型コロナで世の中が一変してしまいました。

ちょうど入院している最中に、新型コロナウイルスの感染が世界中に広がりました。がん患者の方からは新型コロナを気にしてがん治療に行くのが怖い、延期したという話も聞きました。私も、意味ないかもしれないけれどマスクを2枚重ねたり。それくらい感染が怖かったです。

退院直後は、「セルフロックダウン」と称して、私も自室にこもりました。食事も運んでもらって家族とは別にひとりで食べていた時期もあります。ただ、世の中全体がリモートワーク体制になったおかげで、自分も、自宅に居ながらにして思っていたより早期に仕事復帰が可能となりました。この経験をもとに、ステージⅣでも完全寛解できる。生還して働けるんだ、ということを世の中に見せて行けたらいいなと思っています。

2020年6月現在の情報を元に作成

※がんを経験された個人の方のお話をもとに構成しており、治療等の条件はすべての方に当てはまるわけではありません。