健康が取り柄だったのに、白血病が見つかった。
頭の中が真っ白になりました。

2019年に6年ぶりのオリジナルアルバム発売とコンサートツアーを予定していた時期でした。疲れがとれにくいのは、年齢のせいかなと思っていました。イベントのリハーサルでは3曲すら歌いきれないことがありました。いつもコンサートでは20曲歌っているのに、です。ちょうど同じころ、家族で金沢旅行に行ったときにも、兼六園で疲れて足が上がらなくなったことがありました。

半年ごとに受けている消化器内科の健康診断では異常なし。次は半年後でいいと先生に言われましたが、一緒に行っていた母の勧めで3か月後に健診を受けたところ、血液検査で白血球の数値がかなり低いことを指摘されました。2日後には急性骨髄性白血病との診断を受け、すぐに入院となりました。病気に勢いがあり、早く悪くなってしまう、治療には半年かかるでしょうとのことでした。感染を防ぐため、その場で「マスクをしてください」と言われました。

その時の私は、白血病が血液のがんであることも知りませんでした。本当にショックで頭が真っ白になりました。出産以外で入院したことがないほど健康が取り柄だったのです。どうして私が10万人に2人という病気になってしまったの?と信じられない気持ちでした。

「私のために治療してほしい」と娘に泣かれました。

病院の先生から説明を聞くほどに、治療が怖くなってきました。入院してからも、まだ自分が白血病であることが信じられなかったり、このまま家に帰ってしまいたいと思ったりしました。そんな私のために、娘は大学の図書館などで情報を集め、先生に病気のこと、治療のことを冷静に詳しく聞いてくれていました。「かなり辛い治療になると思うけど、私のために治療してほしい」と言われて、私も治療に真剣になれました。娘は先生に「娘一人、母一人なので生きていてもらわないと困るんです」とも伝えていました。

岡村孝子さん

無菌室で、世の中から取り残されるような感覚でした。

5か月の入院生活は「クリーンルーム」という無菌室で過ごしました。6畳ほどの病室。景色も見えない、形ばかりの窓がひとつ。感染を防ぐため、廊下にも出られません。床に落ちたゴミも拾わないでくださいと言われました。春に入院して夏、秋と過ごしましたが、季節の移り変わりもわからないような状況でした。お掃除の方に「今日は暑いですね」と言われてもピンとこない感じでした。

治療は辛いものでした。抗がん剤の副作用による、吐き気、口内炎、むくみ、いつの間にか6か所も骨折していました。他の方にはあまりないそうですが、吐き気と携帯の着信音のような耳鳴りがジェットコースターのように絶えず襲ってきました。辛かったけれど、言われたことは全部やりました。毎日朝から晩までおびただしい量の薬を飲まなければなりません。薬が飲めなくなってリタイアする人もいると聞きました。身体を清潔に保つために、熱が39度あってもシャワーを浴びました。幸いなことに、元々お風呂好きなのであまり苦にはなりませんでしたが。

完治して再びステージに立つ可能性を信じる。

「音楽をやる方で治った方はいますか」と先生に聞きました。「います」とのお言葉をもらえて希望が持てました。スペインのオペラ歌手、ホセ・カレーラスさんは40歳で同じ急性白血病になり、現在75歳でご活躍中とのことです。完治して再びステージに立つ可能性がなくはないんだと思えました。

先生と相談して臍帯血移植を受けました。

治療には選択肢がありましたが、先生に包み隠さずお話しして決めました。骨髄移植はなかなか合う人が見つからないということもあり、臍帯血移植[*1]を受けました。臍帯とは赤ちゃんとお母さんを結ぶ「へその緒」のことです。臍帯血移植を受けてからは、提供してもらった臍帯血と仲良くすることがたいせつと聞いて、名前をつけて心の中で呼びかけています。同じ臍帯血から誕生した子が日本のどこかで暮らしているんだと思う瞬間もあります。携帯の着信音のような耳鳴りも不思議なことにピタッと止まりました。

[*1]臍帯血移植……胎児と母親を結ぶ臍帯と胎盤に含まれる胎児由来の血液(臍帯血)に造血幹細胞が豊富に含まれている。臍帯血の提供に同意した妊産婦がドナーとなり、分娩後に臍帯血を採取し、臍帯血中に含まれる造血幹細胞を移植する方法。

みなさんのおかげで
ひとりじゃない、待っていてくれる人がいる、と思えました。

岡村孝子さん

無菌室の何も見えない窓から外を眺めても、どこに向かって歩んでいけばいいのかわからなくなってしまい、目標が立てづらい状況の時期もありました。再びステージに立ちたいというのも、もしかしたら自己満足でしかないのかも、という気持ちもありました。そんな時ファンのみなさんがSNSの七夕企画で応援メッセージを送ってくれたのです。ファンのみなさんが光に見えました。自分はひとりじゃない。みんなが待っていてくれる。その光に向かって歩んでいけばいいのだと思えました。

一日も欠かさず病院に来てくれた母からは「あなたは強いんだから、絶対大丈夫」と何度も言われました。支えてくれている人がいるのだから、みんなが笑っている病院にしようと思いました。私が入院していた病院では主治医の先生をはじめ、7人の先生方がチームで診てくださっていました。先生のお人柄もそれぞれでバランスがとれていました。

「がん保険に入っているなら安心ですね」と
先生に言ってもらいました。

実は、何年か前にアフラックのがん保険に入っていました。親戚にがんになった人がいたので、いつか自分もなるかもしれないなと思って入ったものでした。白血病がわかったとき、先生から「何か保険に入っていますか」と聞かれました。がん保険に入っていることを伝えると「がん保険に入っているなら安心ですね」と言ってもらえて安心しました。保険のお金は早くもらえて驚きましたし、助かりましたね。

これまで病気と無縁だったので、病気になるとお金がかかるものだなあと思いました。ウィッグもみなさんの前に出る仕事なので2つ作りました。ひとつは白血病がわかってすぐ、入院するまで一日猶予があったのでその間に急いで作ったものです。医療用のウィッグはおしゃれ用と違って高価なんですよね。意外な出費でした。

今ここにいる時間が愛おしい。

岡村孝子さん

退院して自宅に帰ったとき、娘が私の寝室に来て、「ママがいると景色が違う」とポツリと言いました。治療前はどうなるかわからず、退院後、私が元の状態にならず寝ている状態になっても、それでもいてくれるだけでいい、と言っていました。昨日と変わらない日常が続くことが本当に幸せだと知りました。歌詞を書いた時にはわかっていたつもりだったけれど、あの頃の自分はまだまだだなと今、思ったりもします。

入院中に2、3時間の外出が許されてドライブしたときに、窓を少し開けてみたことがあります。その時に聞こえてきた鳥のさえずり、風の心地よさ、目に映る情景。今でも覚えています。

病室でたまたま自分の特集番組の再放送を見たことがありました。テロップで番組からの応援メッセージが流れて、夜中に一人で泣きました。自分で書いた曲の自分の言葉が心に刺さりました。ずっと音楽と一緒にいたいです。せっかく新しい命を受け取ったのだから、瞳に映ること、感じることを音楽に変えていきたいと思っています。

治療から2年が経ちました。毎月病院で検査は続けています。血液検査の数値が悪いとすぐ入院ということもあり得ます。3年目までは慎重に過ごした方がいい、と経験された方から伺いました。今は、無理はしないでおこうと思っています。歌うのもただただ楽しいです。みなさんの前に立つとついついはりきってしまうのですが102%くらいの自然体で、と思っています。

今、ここにいる時間が愛おしいと感じます。愛おしい時間を少しずつ重ねていって、この先10年になればいいなと思います。

2021年10月現在の情報を元に作成

※がんを経験された個人の方のお話をもとに構成しており、治療等の条件はすべての方に当てはまるわけではありません。また、加入いただいているがん保険のご契約内容により保障内容は異なります。