新たな共有価値を
創造し続けた
挑戦
の50年。
がんに苦しむ人々を経済的苦難から救いたい―
その想いから始まったアフラックの歩みは、がん保険をはじめとする
いくつもの新たな共有価値を創造してきた歴史でした。
お客様一人ひとりの「生きる」を創るために、いつの時代でも、
どんなに激しい変化のなかでも脈々と受け継がれたコアバリュー
(基本的価値観)と、パイオニア精神による先進的な取り組みによって
ステークホルダーの皆様とともに、これまでにない価値を
創造し続けてきました。
これまでも、これからも、
「生きる」を創るリーディングカンパニーとして
アフラックの挑戦は続きます。
HISTORY
アフラックダックとめぐる
挑戦の軌跡
PROLOGUE
アフラックの
日本誕生
1970年、アフラックを創業したエイモス3兄弟の次男であるジョン B. エイモス社長は、大阪万国博覧会を訪れるため初来日しました。そこで目にしたのは、風邪予防のためにマスクをしている日本人の姿でした。その健康や衛生に対する意識の高さに着目するとともに、がんが日本人の死因の2番目にまで増加していたことから、日本への進出を決意しました。当初、複数の生命保険会社に提携を打診しましたが、アフラックが日本では無名の存在で、がんは“不治の病”として話題すら避けたがる風潮だったこともあり、提携交渉は不調に終わりました。
そこで単独進出に向けて、がん保険の必要性に共感した大竹美喜(第4代社長)や松井秀文(第5代社長)らが協力者となり、事業の立ち上げに奔走することになりました。しかし、がん保険は前例のない保険商品であったため、複数の省庁から承認を得ることを求められたほか、がんの入院に関する全国的な統計がなく、保険商品設計のための基礎データは、宮城、岡山、鳥取など独自に調査を行っていた各県の病院や役所などから一つひとつ集めなければならないなど、事業認可取得への道のりは困難を極めました。
そして、1974年10月1日、日本進出の決意から実に4年の歳月をかけてついに事業認可を取得し、11月15日に日本におけるアフラックと日本初の<がん保険>が誕生しました。当局との折衝の長期化から米国のアフラックは日本進出を一度はあきらめかけましたが、がん保険の必要性に対する日本の創業メンバーの信念によって、新しい価値がもたらされました。