「仕事を辞める」という選択肢はなかった

松さんが乳がんを告知されたのは、2007年3月。父親を肝臓がんで亡くしたちょうど1年後、情報誌の編集部員として、社員採用された矢先のことでした。

「乳がんを告知されたときは、正直、『終わったな』と思いました。ちょうどTV番組の『余命1ヶ月の花嫁』が話題になっていた頃で、20代でがんになるってこういうことなんだ、と同世代の事例を見て思い込んでいました。ただ、医師に『あれはあくまでも一部のがんで、多くの場合、会社を辞めて治療に専念するような病気ではない』と言われたんです。驚きました。当事者になるまでニュースやドラマなどで見たがんのイメージと自分を、必要以上に重ねていたと気づきました。

実際、私には仕事を辞めるという選択肢はありませんでした。民間の医療保険に入っていなかったので、自分で治療費を稼ぐしかなかったということもひとつ理由にあります。告知されたのは、あこがれていた雑誌で編集者として働き始めたばかりの頃。まだ、試用期間中で働き方のイメージもつかめていませんでしたが、上司は『さや香はどうしたいのか』と私の希望を尊重し、柔軟に対応してくれました。私もまた、医者や会社に任せるのではなく、治療と仕事にどう向き合うべきなのかを考える貴重な対話になりました」

治療を続けたい一心でへばりついていただけ

不安を抱えながら、抗がん剤の投与と仕事との両立をスタートさせた松さん。抗がん剤を受ける病院に仕事道具を持参し、ウィッグをつけながら会社に通いました。半年にわたる抗がん剤と分子標的薬[*1]・ハーセプチン[*2]投与が功を奏し、腫瘍は消失。当初、乳房全摘の予定だった手術は、乳房温存手術に変更になりました。

[*1] 分子標的薬
がん細胞の増殖にかかわる特定の分子を狙い撃ちし、がん細胞の増殖を抑える薬。従来の抗がん剤より比較的副作用の管理がしやすいとされている。

[*2] ハーセプチン
2001年に承認された、乳がんにおける代表的な分子標的薬「トラスツズマブ」の製品名。がんの増殖に関わる「HER2(ハーツー)タンパク」の働きを阻害し、がんの増殖を抑える。

「病院側は、私の都合のいいタイミングで抗がん剤を受けていいと言ってくれたので、金曜日に投与することにしました。もっとも体調が悪くなる、投与の翌日、翌々日を、週末に合わせて自宅で過ごすことができるので。ただ、半年間の抗がん剤治療は想像以上に過酷で、仕事との両立はいま思い返してもつらかったです。

仕事を続けながら化学療法を受けていたというと、『松さんは強いからね』とおっしゃる方もいますが、私、別にスポ根体質ではないんですよ。体調が悪い時は日々、(仕事を)辞めてしまおうかなと思いながらも、治療を続けたい一心でへばりついてやっていただけです。

ただ、仕事を続けることで外の世界とつながることができ、自分の意識をがんだけにフォーカスせずにすみました。社会に何かしらの役割や居場所があることは、お金を得る以上に大きな意味がありました。治療中、陥りやすい自己否定にはまらないですんだのは、仕事で得られた自己肯定の実感が大きかったと思います」

真剣な表情で語る松さん

「病気の人とは働きにくい」と思われたくない

治療しながら仕事を続けるにあたり、松さんは自身にいくつかのルールを課したといいます。

「“会議・定例会は欠席しない” “早退はしても遅刻はしない” “自分で見切りをつける” “仕事仲間には病状の報告はするけど愚痴らない”などといったマイルールです。

これまでの社会人生活で、早退は割と容認されるけれど遅刻は理由問わず大罪のように扱われるのを見てきましたし、顔面蒼白な状態のまま会社にいて、周囲の人に気を遣わせることが続けば、結局『一緒にはやりにくいな』と印象付けてしまいます。また、企画は10本提出と言われたら、2割増しの12本出してやる気を姿勢で示すようにしていました。『やっぱり病気の人とは働きにくい』と思われるのが怖かったんです。

その結果、手術の3日前まで仕事をし、術後もスムーズに復職できました。自分なりに工夫もしましたが、働き続けることは職場の協力なくしては叶えられなかったことです。自分の希望を臆せず伝え、厚意に頼り切るのではなく感謝を口にし、行動することの大切さも学びました。

がんに罹患したというと、多くの人は『ゆっくり休んだら?』と言ってくれました。やさしさからの言葉ですし、気持ちもわかるのですが、私は治療費の為にも働きたかった。大切なのは一般的な患者がどうしているかではなく、当事者自身がどうしたいか、だと思うんです。本人が仕事を続けたいというのなら、会社や家族、周囲の人は何ができるかを一緒に考えてあげてほしいです。

がんという言葉が及ぶ範囲はとても広く、原発巣もステージも人それぞれ。治療法も多岐にわたります。人が思い描いているがんのイメージは、実際にがん患者が体験しているリアルとはかけ離れている場合がほとんどです。周囲の方は既存のがんのイメージにまどわされず、その人自身に向き合ってあげてほしいなと思います」

独り歩きしがちながんのイメージにまどわされないで

手術と放射線治療のため1ヵ月の休職を経て、職場に復帰した松さんは、さらに忙しくなった新たな部署での仕事に戸惑い、同僚から悔しい言葉を投げられたこともありました。そんな中で新しい仕事を打診されます。そして、その仕事が、やがて自身の体験をブログでつづることにつながっていきました。

「上司から、社内リレーション促進用のメールマガジンを書く仕事を依頼されました。それまで文章など書いたことがなかったので戸惑いましたが、『いつも企画書が面白いから、そんな感じで書いてくれればいい』と言ってくれたので、編集後記に短いエッセイを書いてみたところ、思った以上に反響があったんです。会社ですれ違った上司や同僚に、『今回も読んだよ』『面白かったよ』と声をかけられはじめました。

突然、突破口が開けたような気がしました。“私らしさ”がお金に代わる可能性があること、根拠なく意識していた、結婚、出産という選択肢は、たくさんある価値観のなかのひとつでしかないことに気づくことができました。

書くことの楽しさを知り、ファッション誌の公式ブロガーとして乳がんのことを書きはじめたのは、33歳のときです。6年半付き合っていた恋人と別れ、時間を持て余していたことも大きかったと思います。

思いっきり笑う松さん

がんを告知されたとき、情報が欲しくて本を探したのですが、参考になる本は見つかりませんでした。むさぼるようにネットを検索しましたが、本当に知りたい情報には行きあたりません。

ですから、当時、自分が知りたかった情報──、お金のことや性生活のこともつまびらかに書こう、そんな情報を求めている人はきっといる、と確信がありました。抗がん剤は体重によって投与量も異なりますし、種類によっても料金が違います。そうした当事者にならないと知りえなかったことを実際ブログに書き始めてみて、自分でも消化しきれていなかった20代でがんに罹患するという経験も、伝え方によっては汎用性が高いものになるのだなと実感しました。

ただ、ブログや本に書いたことはあくまでの私のケースです。一個人の一事例でしかありません。今闘っているがん患者の方も周囲の人たちもまた、世間で独り歩きしがちながんの事例やイメージにまどわされないでほしいと願います」

治療後も普通に仕事ができることを証明したい

松さんはがん宣告から5年目の35歳のときに広告会社を退社。自分のやりたいことをしようと、台北、パリに遊学をします。そして、37歳のときに航空会社に、客室乗務員(以下、CA)として就職しました。

CAとして機内で働く松さん

「帰国後、本格的に社会復帰しようと就職活動をすると、必ずといっていいほど、『本当に体は大丈夫か』と聞かれるんです。大丈夫だから就活しているわけですが、言葉を尽くしても既存のがんのイメージが根強くなかなか信じてもらえない。そこで、『CAのような体力が要り身体検査が必須の健康な人がやるイメージの強い仕事ができたら、もう体のことは何も言われなくてすむはずだ』と考えたんです。来歴を黙って入社しても意味がないと思ったのでエントリーシートには、『がんの治療後も、普通に仕事ができることを証明したい』と思いの丈を書きました。

面接に来て欲しいという連絡をもらったときは、内定をもらったとき以上にうれしかったです。あのエントリーシートを読んだ上で、面接に呼んでくれたんだ、って。社会にはまだまだたくさんの希望や未知の可能性があることを感じることが出来ました。

CAの仕事は楽しかったですが、それはもう大変でした。訓練でも空の上でも怒られてばかり。今までの社会人人生で学んだ経験をまったく活かすことが出来ません。それまでの自分の視野の狭さを感じると同時に、世界の広さを痛感しました。がんになったことは私にとっては人生を揺るがす大事件でしたが、誰の身にでも起こりうることであり、その経験を価値に変えられるかどうかもまた自分次第なんだ、とも思うようになりました。

がんを告知されてから10年以上が経過しました。人生は予期しなかったことの連続ですが、最近、少しずつ先のことが考えられるようになりました。告知された当時、思い描いていた未来をぐしゃっとつぶされたような感覚があり、それ以来、意識的に先のことは考えないようにしていました。再発してまた未来の予定をつぶされることが怖かったんです。でもそろそろ考えてもいいのかなって。

自分が40代の女性として、社会人としてどのくらい機能するのか。会社に属して働くのか、フリーランスとして働くのか、まったく別の道が拓くのか──、その選択肢がほかでもない自分にあることや、改めて今をスタート地点だと思えることをとても幸せに感じています」

取材・文/長谷川あや 撮影/柏原力

2018年5月現在の情報を元に作成

※がんを経験された個人の方のエッセイをもとに構成しており、治療等の条件はすべての方に当てはまるわけではありません。