社会人2年目、25歳のときに全身にがんがあると宣告。

もともと、20代30代は修行して、40代50代で羽ばたきたい、世界を周りながら仕事をしたいと思っていました。大学卒業後IT関連の会社に就職し、「一番きついところに行きたい」と直訴して、アポ[*1]取りの電話から契約書作成、交渉などすべてを基本自分一人でやる部署に配属してもらいました。会社から徒歩90秒のところに住み、同僚や上司にも恵まれ、仕事も楽しくさせてもらっていました。

[*1]アポ=アポイントメントの略、面会の約束

社会人2年目の3月、首にぽこっとスーパーボール大くらいの腫れものができました。近所のクリニックに行ったら、風邪という診断で葛根湯を処方され、その後の5月の会社の健康診断でも結果は問題なしでした。でも秋になって週に1回以上体調を崩すようになり、再度クリニックに行ったら、いつもと違う女性の医師が診てくれて「もしかしたら首の腫れが悪さをしているかもしれないわね」と、大学病院を紹介してくれました。

大学病院で検査後、がんの疑いがあるということで、がん専門の病院へ行きました。そこで「残念ながら岸田さんのがんは首だけでなく、全身に広がっています」と宣告を受けました。その時点でがんは首の腫瘍だけでなく、肺と肺の間、腸のまわりにも転移していました。

手振りを交えてお話される、岸田さん

5年生存率は五分五分。それでも50%は生きられるんだ。

がんの告知を受け、両親はこの世の終わりのような表情をしていました。自分よりも両親の方がショックを受ける、これは若い世代のがん患者あるあるだったりします。両親には「大丈夫。なんとかなる」と言いながらも、医師に「どれくらい生きられるんですか」と聞いたら「5年生存率は五分五分です」と言われました。確かに少しの間はへこみました。でも、これだけ転移して五分五分ならまだ何とかなるかもしれない、治療に励もうと思い直しました。

すぐ入院して、抗がん剤治療を約3カ月。髪の毛も抜けた。

「ぼく、営業の仕事をしているのですが、社会復帰するときにこのままの姿で大丈夫でしょうか」と看護師に相談したら、アピアランス(外見)をサポートしている先生を紹介してくれました。その先生に相談してみると、ウィッグ(かつら)もいくつか種類があるみたいで、何個か試着させてもらいました。渋谷で仕事しているのだからと、なぜか金髪のウィッグまで被せられました。完全に社会復帰させる方向じゃないでしょ〜!と思いながら写真をとって笑いに変えてもらったり、みなさんに気遣ってもらっていたと思います。

大きすぎて摘出できなかった腫瘍も、抗がん剤が効いて小さくなったので、手術を受けてとることができました。10時間を超える大手術でした。

お見舞いノートに書いてもらった「Think Big」という言葉。

入院中はいろんな友達が毎日お見舞いに来てくれました。おかげで仕事をしていたときには一日最大でも3アポくらいだったのが、入院中は記録を更新して5アポになりました(笑)また、一人になったときが精神的にも辛かったりするので、「お見舞いノート」を作って、来てくれた人にメッセージを書いてもらって後で読み返したりもしました。

その中の大学3年生の就職活動のときに出会った人生の先輩から書いてもらった言葉で、「Think Big」という言葉が闘病中に胸に響きました。「大きく考えろ。長い目で物事を考えよう。人生で起こるすべてのことに意味がある」確かに25歳でがんになって、めちゃくちゃ辛いという一点しか見てなかったけれど、人生80年、90年と考えたら、今の25歳は人生の一点に過ぎない。だから、今を乗り越えたら、まだまだいいことたくさんあるぞと思いました。

笑顔でインタビューをご対応する岸田さん

以前のように働けず、収入激減。お金を借りることに。

約1年半休職して、職場復帰しましたが、頑張りすぎて体調不良となり、仕事を辞めざるを得ませんでした。がん経験者が大変なのは、実は退院後です。ぼくも、お金、仕事、後遺症の3つの問題と向きあうことになりました。もちろん、がん保険に入っていなかったし、社会人2年目、貯金も913円しかありませんでした。

消費者金融に借りる手前までいったけれど、結局は親や友達にお金を借りました。六畳、風呂なしエアコンなしの築38年のアパートへ引っ越し、家賃も3万5千円と切り詰めました。ただ、数カ月に1度ある大きな検査は家賃より高くて、1回4、5万円かかることもありました。そのため、検査前は一日一食にして節約したりしていました。体調のためには健康的な食生活を送りたいのに、それができないジレンマがありましたね。

がんが再発。兄も同じがんに。

その2年半後、がんが再発しました。今度は精巣でした。終わったかと思っていたのに、またなのかぁ…と落ち込みましたが、手術をしてなんとかなりました。その後、実は兄も同じ精巣腫瘍になったのですが、兄は社会人になるときに親がアフラックのがん保険に入ってくれていたみたいで、保険金がもらえたようです。ぼくの場合は入ってくれていなかったのに〜。兄弟格差ってこんなところにもあるのか、と思いましたね(笑)。

がん患者さんに生配信で情報をシェア。

AYA世代[*2]という言葉があります。15歳から39歳までの世代のことを指します。AYA世代のがん患者は、進学、就職、結婚、出産とライフスタイルが変わっていく時期に特に希少ながんにかかることも多く、情報がなくてとても困っている状況にあります。

ぼくも2回目の手術では、性機能に障害がのこりました。医師に相談しても欲しい情報がなく、ネットで、とあるブログにたどり着いて同じような症状を持った他の患者さんに関する情報をようやく得ることができました。治療や病気については医師に相談すればいいけれど、生きていくのに必要なのは治療だけではありません。仕事のこと、家族のこと、お金のこと、頼りになるのは、同じ経験をした患者さんの経験だと思うんです!

この経験をもとに今、「がんノート」という活動をしています。今のぼくらの姿を伝えていかなきゃ、という思いから、現在治療中で病院のベッドにいる方たちに向けて、がん経験者をインタビューしウェブで生配信を行っています。また、患者さんの集まりなどが近くになくて、参加したくてもできない方々への情報提供にもなればと考えています。その思いから、場所は離れていても時間を共有し、つながりを実感できるよう生放送にこだわっています。

がんノートのウェブ配信している岸田さん

[*2]AYAとは、Adolescent and Young Adultの略で15歳~39歳までの思春期(Adolescent)・若年成人(Young Adult)のこと。その世代の年代の人のことをAYA世代と呼び、その年代のがん患者や経験者のことをAYA世代のがん患者(経験者)という。

抗がん剤パーマでクセ毛に。人生オモロく生きたい!

抗がん剤治療を受けたことで髪質が変わり、クセ毛になりました。友達には「抗がん剤パーマ」と言っています(笑)。ユーモアって闘病でも、そのほかいろんな場面でも大事だとぼくは思っています。がんになって、本当に今を楽しまなきゃ損と思うようになりました。それも一人じゃなくて、みんなで楽しく、オモロくというのを意識し、がんノートの配信の中でもできるだけ笑える箇所をつくっています。

夢はがんのことをオープンに話せる社会。さらに海外のがん患者さんの情報、状況なども実際に病院などを訪問して、日本の患者さんに情報提供できたらいいなと思っています。がんになって時間の大切さを知り、自分のやりたいことに気づけました。一日一日を大切に、今を生きたいです。

2018年5月現在の情報を元に作成

※がんを経験された個人の方のお話をもとに構成しており、治療等の条件はすべての方に当てはまるわけではありません。