恋愛も結婚も考えても仕方ないので
オモロく生きようと思っていた。

(徹)がんの手術が終わって復職したとき、みんなには「おかえり、仕事は徐々にがんばればいいよ」って言ってもらったけれど、周りにおいていかれるような感覚がありました。このまま仕事を続けていける体力があるのか、とか、若くてお金ないけれどどうやって工面していこう、と。がんの治療とその後の療養のために百万円以上のお金を借り、2年前にやっと返済できた感じです。もちろん彼女もいませんでした。20代、社会人になったばかりでがんになって、キャリアも恋愛も結婚も、元々想像していたのとはだいぶ変わってしまいました。考えても仕方ないから、とりあえずオモロく生きようと思っていましたね。

がんを経験してからは、女性とお付き合いするまでに2つのことを伝えなければならないというハードルがありました。一つは病気のこと。もう一つは性のこと。ぼくはがん治療の後遺症で妊よう性[*2]を失ってしまいました。ただ、抗がん剤治療のときに、医師から提案を受け、精子を凍結保存していました。

[*2]妊娠するための力のこと。女性にも男性にも関係する。がんの治療により、妊娠するための力が弱まったり失われたりすることがあるため、治療前に「妊よう性温存」の選択肢が検討されることがある。

がん経験者の2人が出会って結婚しました。

(徹)そんな2つのハードルが最初からなかったのがえりかさんです。自分と同じように20代でがんを経験していて、細かく話さなくてもわかってもらえる安心感がありました。気をつかわなくていい。自然体でいられる相手です。

(えりか)AYA世代の患者会で知り合い、徹さんから「ブログ書いてるから、良かったら読んでみて」と言われたことが、彼に興味を持ったきっかけです。がんの辛い経験を笑いに変えて明るく表現していることに衝撃を受け、もっと、この人と話してみたい!と思うようになりました。その時は好きとか嫌いとかではなくて、純粋に人としての興味でした。

(徹)いやいや、もう恋愛が始まるきざしというか、フラグは立っていた。あとはどう回収するか(笑)

岸田徹さん

25歳のとき、がんが見つかりました。

(えりか)私も夫と同じ25歳のときにがんが見つかりました。幼いころからあったほくろが盛り上がったような形になり、病院での生検の結果、悪性黒色種(メラノーマ)という希少がんだと言われました。日本における発生数は10万人に1.5人~2人と言われているそうです。年齢も若く進行が早い可能性があるためすぐに治療することを勧められました。左上腹部の腫瘍の切除と、転移の可能性があるリンパ節の一部切除です。

「君はまだ若いし、これからの人生がある」と言ってくれた主治医に感謝しています。

(えりか)手術の傷跡はびっくりするほどきれいなんです。手術前に主治医が「君はまだ若いし、これからの人生がある。手術で身体に傷をつけるけれど、傷跡はきれいにするから」と言ってくれました。傷跡って気にしてしまうものなので、医師には今でも感謝しています。当時メラノーマは治療法が限られていましたが、現在は新しい薬(分子標的薬等)ができて治療の選択肢が広がりました。医療の進歩を実感しています。

がん保険には入っていませんでした。

(えりか)がんになったのは東日本大震災の翌年でした。当時、転勤で宮城県に住んでいたのですが、震災とがん、2つの大きなストレスが重なり、精神的にも肉体的にも辛い日々が続き、1年間、仕事を休職することになりました。若かったので、まだがん保険には入っていませんでした。傷病手当から社会保険料が引かれると手元に残るお金はわずか。奨学金の返済もありました。実家にも頼れなかったので生活費にとても困ったことを覚えています。

若い人ほど、お金がないから逆にがん保険に入った方がいいと思う。

(徹)同世代のがん経験者の話を聞く機会が多いのですが、お金が足りなくて治療を変更した、とか治療を断念した、という人もいます。すごく残念なことだと思います。お金を借りることができる人はまだ恵まれています。若いからまだいいや、と先送りにしてしまいがちですが、貯蓄ができていない若い人ほど、いざという時のためにがん保険に入った方がいいとぼくは思っています。公的な高額療養費制度で治療費が賄えても、そのあと生活が大変になるなど、若い世代ほど未来を生きるための資金が必要です。病院を出た後の生活のことも考えておかなければなりません。

(えりか)先日青森に住んでいる母が脳出血で倒れて救急車で運ばれたのですが、母は保険に入っていたおかげで治療費をカバーできて、安心して治療を受けることができました。お金の心配をしなくて良いということは、精神的な安定にも繋がると思います。個室で治療を受けることもできました。私も再発に備えてがん経験者用のがん保険に入りました。アフラックにはがん経験者も5年たつと入れるがん保険があるんですよね。[*3]

[*3]過去5年以内に「がん(悪性新生物)」の診断・治療を受けておらず、また治療を受けるようにすすめられていないことが条件となります。また、健康状態などによっては、ご契約をお引受けできない場合があります。

岸田えりかさん

「がんになっても子どもを持つという夢を諦めたくない」
がん治療前に凍結した精子を使って妊娠・出産をめざしています。

(えりか)現在は、夫婦で支えあいながら不妊治療をしています。夫が抗がん剤治療の前に精子凍結をしてくれたおかげで、二人の子どもを持つという夢が残っています。本当に感謝しています。

(徹)ぼくは彼女ができて、結婚して、子どもを授かるという生活に憧れる気持ちがありました。でも、凍結した精子を使って妊娠することは妻の身体に負担をかけることになります。なかなか自分からは切り出せませんでした。

(えりか)大阪の夫の実家に帰省したとき、親戚の子と手を繋いだ徹さんの後ろ姿がとても素敵だったんです。でも、不妊治療にはお金がかかります。凍結した精子を使う場合、体外受精の中でも顕微受精という方法になるのですが、私たちの通院する病院では1回の採卵から移植まで約70万円かかりました。[*4]
2回目に妊娠することができましたが、妊娠10週で流産してしまいました。「赤ちゃんの心拍が動いていません」と医師に告げられた時は、がんの告知をされた時と同じくらいのショックでした。私たちの元に来てくれた赤ちゃんのことは、一生忘れません。現在は、夫が側にいて支えてくれたおかげで、少しずつ前を向けるようになりました。

(徹)不妊治療や流産の手術にはやはりお金がかかります。不妊治療については、若年性がん患者の生殖機能温存治療費助成事業から助成金をいただくことができました。

[*4]費用は、採卵数、凍結する胚の数等により変動します。

「がんも乗り越えてきたんだから」って
明るい未来を勝手に信じてます。

岸田徹・えりかさん

(えりか)がんになった時に、人はいつ死ぬかわからないと死を身近に感じた想いがあるので、後悔しないように、今を楽しもう、という気持ちが常にあります。些細なことですが、夫と旅行に行ったり、美味しいものを食べたり。体を動かすことも好きなのでヨガのインストラクターの資格もとりました。迷ったらやる!と決めています。

(徹)ぼくは結婚したことで人として成長したなと思います。以前はだらしない部分もあったのですが、成長させてもらっています(笑)独身でがんを経験したときには絶望しかなかったのですが、再発時にはえりかさんに毎日のように看病に来てもらいました。つらいときに一緒にいてくれて、ありがたかった。
妻は「いつでも徹さんの味方だよ」と言ってくれます。ようやく頼れる人ができました。『頼ることも愛すること』だと思うんです。こんな自分でも一緒にいてくれてありがとう、という気持ちです。夢は普通に生きること。夢が「普通」って何やねんって感じですけど、子どもと3人で手をつないでぶらんぶらんするみたいな、それが理想です。

(えりか)私は元々、ポジティブな性格ではありません。でも、今はどんな辛いことがあっても「これまでがんも乗り越えてきたし、絶対明るい未来が待っている」と信じています。徹さんには「未来に向かって一緒に歩いてくれてありがとう」という気持ちです。がんを経験したことで看護師になることもできました。つらい経験をしたからこそ、新たにできた夢や広がった世界ってあると思うんです。今は妊娠・出産・子育てという夢に向かって二人で歩いていけていることが嬉しいです。人生は思い通りにいかないことの連続だなと思います。がんになったことも想定外でした。もし、今後、その夢が叶わなかったとしても、二人で支えあって胸を張って生きていきたいなと思います。

2021年9月現在の情報を元に作成

※がんを経験された個人の方のお話をもとに構成しており、治療等の条件はすべての方に当てはまるわけではありません。