走りの異変がきっかけで体調の異変に気づいた。

長距離ランナーとして実業団に入って経験を積み、29歳、日本代表に選ばれるまであと一歩というところまできていた時期でした。練習の感覚がいつもと違うことに気づきました。熱もないし、身体は元気なのに、練習をしているときの感覚が風邪をひいているときと同じで、まったく力が入らない。走っている最中、なんでこのタイミングで苦しくなるのか、という感じ。翌日の疲労感もいつもと全然違いました。体調面は軽い腹痛くらいで、ほとんど気にならなかったので、陸上やっていなかったら、がんに気づけなかったかもしれません。

近くのクリニックに行ったら「これは絶対精神的な要因ですね」と言われましたが、僕はメンタル弱くないから絶対違うと思い、何度か通った後、大きな病院を紹介してもらいました。結果的に入院することになったその病院でも、最初は「精神的なものですね」と言われたので、「絶対違うから、全身上から全部調べてください」とお願いしたら、大腸と小腸の境目に腫瘍がありました。ステージⅡの悪性リンパ腫という診断でした。

がんが見つかったときにはそれまで精神的なものと言われてきたので「やっぱりね、俺の感覚が正しいじゃん」と思いました。瞬間的には事の重大性がわからなかったのです。少ししてから「ちょっと待ってください。これって命に関わる病気ですか」と先生に聞いている自分がいました。

手術の前後も周りを不安にさせないよう空元気を出して過ごした。

自分のがんが判明する直前、いとこががんで旅立ったばかりでした。兄貴と慕ってました。いとこの経過をリアルに見ていたので、自分もそうなるのかな、と思うと、もともと1秒でも長く生きたいほうだったのにそれと正反対なことになってしまって、夜が怖かった。

患者と見守るほうと両方を経験して、周りの悲しむ感覚というのもわかっていました。家族が心配するから、僕、空元気を出していました。弱いところ、見せたくなかった。いとこが旅立ったとき、いとこのかあちゃんもすごく泣いていたし、自分の親も泣いていたから、絶対親は不安にさせちゃいけないと思って「がんに1秒も負けてないから」と言っていました。

手術は8時間に及び、腸を切除し、その後抗がん剤治療を受けました。副作用で髪の毛が抜けましたが、そんなに気にならなかったです。マイケル・ジョーダンの引退試合を見に行くときにスキンヘッドにしたこともあるし、結構頭の形も良かったりするので。友達が麦わら帽子をお見舞いに持ってきてくれて、サングラスしてスカーフまいて「クレイジーケンバンドみたい」と写真を撮ったり、病室でも明るくしていたのでみんなに「病気じゃないだろう」って言われていました。

陸上脳が働いた。病気も陸上に例えて闘病へ臨んだ。

長距離走を走っている糟谷悟さん

僕の中には「陸上脳」というものがあります。陸上やっていると怪我をすることもあるんです。そのときに「怪我した」とずっと悩んでいても仕方なくて、怪我をしたときに何をするかが大切。それと同じで、がんになってしまったことは仕方ない。病気になったから抗がん剤治療を受ける。治すため、先に進むためにやるんだぞ、と目的、意味を考えていたので、抗がん剤に対する恐怖などはなかったです。闘うものがわかれば、それに向かって闘うだけ、と。

長距離は自分との闘いの部分が大きいスポーツ。がんとの闘いにも応用できました。抗がん剤のせいで気持ち悪くなっても、夏場40km走ったあとの気持ち悪さに比べたら、まだ食べられるな、と思いました。

真っ暗な中、すげー遠くのほうに光が見えた。

闘病中、競技者として戻ることを目標にしていましたが、医師からは厳しいと言われていました。それでも生きるために目標があったほうが、病気と闘う力になると思いました。30歳、競技者として戻るギリギリのライン。本当に戻れるかどうかわからないし、不安な部分もやはりありました。

そんなとき、病室で何気なくつけていたテレビでミルズ選手[*1]の走りを見ました。同世代の女子の短距離ランナーです。乳がんを経験して、手術をして抗がん剤治療も受けて、世界のトップレベルの競技に戻ってきていました。前例があるじゃないか。自分もがんばればもしかしたら戻れるんじゃないかと勇気が湧きました。

その瞬間、真っ暗な中、すげー遠くのほうに光が見えました。すごく真っ暗だったからこそ、ちょっとした光でも見えた。どれくらい距離があるかわからないけれど、方向さえわかってしまえば、あとは進んでいくだけ。その瞬間、ゾーンに入りました。ブレない自分にカチッとスイッチが切り替わりました。

手術から10カ月後に復帰できました。病気になる前は走っていて苦しいときには苦しい、だけでしたが、新しい感情に出会いました。苦しいけど、生きてる、走ってる、走れてるという喜び。苦しいけど、生きてる、これ意外と楽しいんじゃないか、とか。目標はマラソン。そのためにハーフマラソンに出たり、5000m、10000mに出たりします。身体の感覚は、病気になる前と違いました。今まで積み上げてきた経験、感覚が全然あてにならない。最初は手探り状態、今でもわからないことだらけです。

[*1]ノブレーン・ウィリアムズ=ミルズ ジャマイカ出身。2012年ロンドンオリンピック銅メダリスト。2009年世界陸上銀メダル、2011年世界陸上銀メダル獲得。

陸上競技場の観戦場所で笑顔で語る糟谷悟さん

夢の位置は変わらない。日の丸をつけること。

入社以来毎年出ていたニューイヤー駅伝にも、手術から2年4カ月後に出ることができました。そこに出場することを目標にしてやってきたので「戻ってこれたな」と思いました。走って結果を出すことで、みんなに感謝の気持ちを伝えて、元気になったアピールをしたかったのですが、アスリートとしては悔いが残る結果となりました。ありがとうという気持ちを伝えたかったし、みんなの勢いになる走りがしたかった、それができなかった悔しさがすごく強かったけれど、みんなが喜んでくれたことは嬉しかったです。

病気を乗り越えて強くなったかなと思っていたけれど、闘っていくうちに、全然俺弱いや、まだまだだ、人としてもランナーとしてももっと大きく強くならないと、と思っています。ランナーとしては30歳って、そんなに成長が見込める年でもないのですが、僕、「30になっても成長期」ってたまに言っちゃってます。自分が諦めなければ、夢の位置は変わらない。このまま会社がいらないって言うまで、がんばろうと思います。

病気になって、いろんな人が心配してくれて、どうしたら返せるかなと思うと、結果を残すしかない。一番多くの人に返せるのは、日の丸をつけること。頭で考える「がんばる」ではなく、湧いてくる感情として「がんばる」気持ちがあります。若いころより、一番上に行きたい、日の丸をつけたいという気持ちが強くなっている気がします。

がんという病気についてきた、大きなおまけ。

がんになって、終わりってあるんだな、と実感しました。命も、競技人生もいつか終わる。無限じゃない。限りある中で、どう行動するかが大切だと思います。そこに意味をつけるのは自分。たぶん普通に生きていたら、気づきませんでした。がんにならないなら、ならないほうがもちろんいいですけれど、なった結果、いろいろなことに気づくことができた。僕にとって病気についてきた、とても大きなおまけです。

病気のあとに、自己ベストは出せましたけど、このままじゃダメだと思っていて、この年齢になっても身体の動きを変えることに取り組んでいます。若い子と勝負するためには今まで通りやっていても戦えないとわかったので。でも思うように動かなかったりして、ポキッと心折れそうになることもあるんです。そんな中、なんで踏ん張れているのかなと思ったら、病気の経験があったからかな、という風に自分で意味づけしています。病気していなかったら、引退していたかもしれないですね。

陸上の練習って正直楽しくないんですよ。自分を苦しめるしかない。その中で何を楽しむか。強くなることももちろん目標としてやっていますが、病気のあとは何を楽しめるかという部分を追求してやっています。

がん保険に、ありがとうって気持ちです。

入院生活は3カ月でした。家族が来てくれて賑やかになるし、こっそり練習もしたかったので個室に入りました。それができたのは、アフラックのがん保険に入っていたからです。がん保険に、ありがとうって気持ちです。お金の心配をすることなく、治療が受けられたし、保険で出たお金で僕の場合は復帰に向けてパーソナルトレーニングを受けることもできました。

新入社員のときに、とりあえず入っておこうって感じで何も考えずに入ったのですが、保険のありがたさって、病気になって初めて実感するものですね。お金の心配がストレスになって生活や病気のほうにも影響がでることもあると思いますし、保険のおかげでストレスを感じることなく生活できてよかったです。

がんになっても、閉じこもらないで欲しい。

今、がんと向きあっている方やそのご家族に伝えたいのは「閉じこもらないで欲しい」ということです。 実際には難しいかもしれないけど、閉じこもらない、ということを意識するだけでも、見えてくるものが違うと思うから。僕は、陸上をやっていたから、そう思えたという部分はあるんですが、ぜひ、意識だけでも。

僕にとっては闘うのが自分にとって自然だったのですが、みんなが無理にがんばる必要はないと思います。無理をせずに弱音を言ってもいい。その中でどう生きていくか、だと思うので。病気も、それまで送ってきた人生も人それぞれ。自分にとって楽な方向を見つけられたらいいと思います。

2017年5月現在の情報を元に作成

※がんを経験された個人の方のお話をもとに構成しており、治療等の条件はすべての方に当てはまるわけではありません。