失うものもあるけれど、残るものもたくさんあるはず。

大変なことになった……。

それが29歳で子宮頸がんを診断されたときの率直な気持ちです。不正出血が続いたため病院には行きましたが、特に深刻には考えていませんでした。ある日出血が大量にあり、これはおかしいと大学病院で検査を受けました。

「どうか何もありませんように。」そんな願いとは裏腹に、検査の結果、がんと診断されました。その場で検査や入院のスケジュールを矢継ぎ早に告げる先生の緊迫した表情と情報量の多さに圧倒され、すぐには現実を受け止めることができず、「これからどうなってしまうんだろう……」とショック状態に。自分で自分をコントロールできなくなる気がして怖くなりました。

そのとき救いだったのは、周囲の人たちの対応です。病室を出て真っ先に電話した上司からは、即座に「仕事のことは気にしなくていいから、まずは落ち着いて。気が動転していて危ないと思うので、タクシーで帰りなさい」という言葉が返ってきました。両親からも「最高の治療を受けさせるから大丈夫」「心配はいらない」と言ってもらい、当時のパートナーにも温かく受け止めてもらいました。

やるべきことは明確なのだから治療に専念しよう。そう覚悟を決めることができたのも周囲の反応が心強かったからです。失うものがいろいろあっても、残るものもたくさんあるはずだと素直に思えました。

水田悠子さん

必要だと思えるモノはしっかりそろえた。

治療選択にあたり、私は別の病院でセカンドオピニオンを受けました。がんと診断されたとき、先生からは子宮を全摘出する必要があると言われましたが、将来子どもを持ちたいと思っていた私は自分で調べていく中で、妊孕性を残せる可能性のある子宮温存手術があることを知り、その方法に賭けてみたいと考えたからです。

でも、その病院で詳しい検査を受けた結果、私のケースには子宮温存手術が適用できないことが分かりました。もう一つ、判断しなければならなかったのが、卵巣を残すかどうか。先生からは「卵巣に転移する確率は非常に低いが、転移したときに見つけるのがすごく難しい」と言われました。卵子凍結なども考えましたが、日本では凍結した卵子の代理出産は認められていない。そのとき、私にとって最も優先順位が高かったのは、再発リスクを最小限に抑えることです。いろいろな情報を集め、自分なりに整理した結果、卵巣も取ることを決めました。今思えばもう少し粘って妊孕性を温存する可能性を探っても良かったかもしれません。その点は少しだけ悔いが残っています。

手術で腫瘍は取り除けたのですが、再発防止のため抗がん剤治療を約5か月間行いました。抗がん剤による副作用は、脱毛、吐き気、倦怠感などがありましたが、吐き気止めの薬も効いて、思っていたよりも軽く抑えられました。

治療費自体は高額療養費制度を利用して抑えることができましたが、病院の個室代や移動時のタクシー代、ウィッグ代などがかさみました。「今の自分は緊急事態の状況にいるんだ。必要だと思えるモノはしっかりとそろえよう」と考えて、入院時に知り合った友人にすすめられた療養に役立ちそうなモノをいろいろと購入しました。私は医療保険やがん保険などには入っていなかったので、経済的には両親に助けてもらう形でした。

「これからは脚のために生きていかなければならないんだ」という呪縛が解けた。

リンパ浮腫に気づいたのは、術後の抗がん剤治療を終えて4か月ほど経った頃です。リンパ浮腫自体の知識は術前からありました。病院で説明を受け、セルフマッサージの練習もしていました。がんは早期発見できなかったけれど、これからは予防できるものは何が何でも予防するんだと意気込んでいた矢先に発症したことは本当にショックでした。リンパ浮腫は必ずしも全員がなるわけではありません。それなのに自分は発症してしまった。早期に見つかったのでちょっと見ただけでは分からない程度ですが、気づいたときには呆然としました。

リンパ浮腫専門の治療院で教わったリンパ浮腫のケアの方法はとてもストイックで厳格でした。朝起きてから寝るまで1日中、医療用の弾性ストッキングを履かなければならず、しかもそのストッキングの質感も色もまるで段ボール。私は「これから脚のために生きていかなくてはいけないんだ。仕事もできないし、おしゃれもできない。友達とも遊べない。」そう思い詰めるほど、脚のためにやるべきことばかりにとらわれていました。

当時はまだリンパ浮腫との付き合い方の加減が分からず、教わったケアの方法をストイックに守ることに必死になっていました。でも、時間が経つにつれ、ちょっとした脚の変化にも気づけるようになり、最低限どのようなケアをしておけば大丈夫というのも分かってきたことで、「脚のために生きなきゃ」という呪縛から徐々に解放されていきました。

リンパ浮腫は生涯治ることのない症状なので、ケアは現在も続けていますが、今はお風呂上がりに保湿をしたり、足が疲れすぎないように注意をしたり、自分なりのペースでリンパ浮腫と付き合っています。もう生活の一部ですね。

弱いところもある自分のまま仕事を頑張ってみよう。

職場には1年半の休職を経て復帰しました。ただ、どうしてもモチベーションが上がらない。以前のように仕事に一生懸命になれずにいました。

がんになる前は、仕事が生活の中心でした。大好きな美容に関わり、商品開発を任されるようになって、自分のキャリアの中でも重要な時期だと考え、肩に力が入った状態でした。休憩する間も惜しんで毎日パソコンの前でおにぎりを食べるような生活です。復帰したら自分はまたそういう働き方をしてしまうかもしれない。無理をしたらがんが再発して、また戦線離脱するかもしれない。心配ばかりが先に立ち、口では「頑張ります」と言いながら頑張る気になれず、そんな自分に罪悪感が募っていきました。

ちょうどその頃、昇格試験にも落ち、「やっぱり私のネガティブな姿勢は見透かされているんだ。キャリアアップはあきらめて、静かに生きていこう」と、後ろ向きなことばかり考えていました。

モヤモヤした気持ちのまま4年ほどが経ったとき、そんな考えが変わるきっかけになったのが、患者会で知り合った同年代の乳がん経験者である鈴木美穂さんが共同代表をしている、認定NPO法人マギーズ東京[*1]でボランティアをした経験です。そこでチャリティグッズの企画に携わり、ポーラでの自分の経験やスキルをボランティアに活かせることに気づいたんです。

[*1]認定NPO法人マギーズ東京……がんを経験した人とその家族や友人など、がんに影響を受けるすべての人が気軽に訪れて、がんに詳しい友人のような看護師・心理士などに、安心して話せる場「マギーズ東京」を運営。個別での相談以外に、さまざまなグループプログラムも開催している。イギリスにある「マギーズセンター」の日本版。
アフラックは、がんに関わる社会的課題を包括的に解決するために、さまざまなステークホルダーと連携・協業する「キャンサーエコシステム」を構築することを目指しています。その取り組みの一つとして、がんを経験した方ががんになっても自分らしくあるため、「マギーズ東京」などの「開かれた相談の場」を支援しています。

その頃、ポーラ・オルビスグループの新しい経営方針が打ち出されました。A Person-Centered Management(個中心経営)といって、仕事においても、社会に生きる一人の人としての経験や価値観を大切にし、個を発揮することを尊重するという方針が採り入れられたのです。もともとそうした社風はありましたが、明確な方針に刺激され、がんを経験した私個人の感覚や価値観を、仕事の上でも発揮していけばいいと考えられるようになったんです。

水田悠子さん2017年頃、ポーラ商品企画部に勤務していたときの水田さん。罹患から5年後、新しい経営方針が打ち出され、仕事への意識が少しずつ変化した時期。(一番右)

A Person-Centered Managementの方針が打ち出された翌年にグループ会社のオルビスに出向になり、初めてマネジメント職に就いたことも大きかったですね。「弱いところもある自分のまま仕事を頑張ってみよう」と思っていた矢先の異動で、気負うことなく、新たな仕事に向かうことができました。そうして仕事への意識が少しずつ変わっていったんだと思います。

がん治療と仕事を
両立している人
の割合は?

79.8%79.8%

※ 回答数=425 東京都福祉保健局 2019年「がん患者の就労等に対する実態調査」をもとにアフラック作成
※現在休職中(復職予定)のデータも含む

経験を価値と捉え、人が美しくあることを応援したい。

ポーラ・オルビスホールディングスは、産学官民医の力をかけ合わせてがんの社会課題の解決に取り組んでいる「一般社団法人CancerX」が開催しているサミットに協賛していました。

このCancerXは、マギーズ東京の鈴木美穂さんが、発起人の一人として立ち上げたプロジェクト。
自分が所属する会社がCancerXを支援していることで、それまで別々に考えていた「仕事」と「経験を活かした外部での活動」は融合させられるんだということに気づき、目から鱗が落ちる思いでした。

このときの気づきが「encyclo(エンサイクロ)」の立ち上げにつながりました。ちょうど会社が社内ベンチャー制度の提案を募っていたので、ダメもとで現在のencycloのパートナーと一緒に応募してみました。

といっても、応募時の事業内容は漠然としていました。明確だったのは「がん経験後の人生も幸福になれるような何か」をすること。経験を価値として活かし、美を提供する企業として、その人が美しくあることを応援することです。

リンパ浮腫の方に向けた商品やサービスを提供することを決めたのは、新規事業の経営承認をもらった後。医療用弾性ストッキングの開発は手探りそのものでした。医療機器なので、クリアしなければならない基準がたくさんあります。また、一口にリンパ浮腫といっても症状も場所も程度も人それぞれ。自分一人の悩みや経験から開発が始まったストッキングが、自分一人にしか役に立たないものになることは絶対に避けなければなりません。そこで、できるだけ多くの人に話を聞きました。SNSも使ってリンパ浮腫の方を募り、Zoomや電話、ときには郵送手段も使って、たくさんの悩みに耳を傾けました。

今までこうした製品の開発は、医療機器メーカーと病院の先生方が主役だったと思いますが、私たちが展開するブランド『MAEÉ(マエエ)』はリンパ浮腫仲間も主役。当事者だからこそ分かることがある。この経験を価値にすることが私たちの事業の特徴なんです。

うれしいことに、製品完成後はたくさんの方から「こんなブランドを待っていた」という声が寄せられ、医療関係者からも高く評価していただきました。そして、事業を進めていく中で、リンパ浮腫に限らず、「むくみ」に悩み、何とかしたいという方が非常に多いことに気づきました。むくみケア効果と美しさを両立したMAEÉのストッキングは、一般の女性たちにも健康のためにぜひ使っていただきたいと考え、現在は一般の方向けの販路を拡大しています。ビューティービジネスの素晴らしい点は、人の気持ちや行動が前へ進むきっかけになれるところ。ブランド名にもその想いを込めました。ゆくゆくは世界にも発信していきたいと考えています。

水田悠子さん

自分を大切にすることが一番かっこいい。

がんと診断される前の自分を振り返ると、忙しさに追われ、無理をするのが充実の証のように考えていました。

でもそうじゃない。自分の体や心に目を向けて自分を大切にすることが一番かっこいいし、充実した毎日のために大切なことです。自分のための時間をつくることは絶対に欠かせません。何か変だ、体調が悪いなと思ったら、見なかったことにせず、大げさでもいいから周りに相談したり病院に行ったりしてほしい。その結果、何もないのなら、それが一番いいことですから。

保険について考えることも、自分を大切にすることの一つだと思います。先ほどお話ししたように、私はがんになったとき、保険にはまったく入っていませんでした。保険といえば死亡保険しか知らず、医療保険やがん保険など、病気になったときに治療してより良く生きるための保険があることを知らなかったんです。そうした保険についても知ったり考えたりすることが、自分自身をいたわることや大切にすることにつながっていくと思いますね。

保険は加入するもしないも最終的には本人の選択次第ですが、選択肢として知っているのと知らないのとでは全然違う。体調や健康を考える延長線上で、保険についても考える機会をつくることも大事なことだと思います。

治療前の検査から治療後の外見ケアまで
幅広く保障。
さらに、
さまざまながんの悩みの解決をサポートします。

いざというときに備えて、
がん保険について
考えることが
大切だと思いますか?

はい 79.4%はい 79.4%

※ 回答数=32,974(20-70代男女) 2020年4月アフラックネット調査

2023年5月現在の情報を元に作成

※がんを経験された個人の方のお話を元に構成しており、治療等の条件はすべての方に当てはまるわけではありません。