まだ知られていないことを、世の中に伝えたい。

小5のときに学校の先生に「鈴木さんはテレビの向こう側の世界が向いている」と言われました。大学時代はバックパッカーで世界30カ国以上を旅しました。きらびやかなところというよりは、貧困の地でボランティアをしたり、インドのマザーテレサの家を訪れたり、社会が抱える課題の現場を選ぶことが多かったです。まだ知られていないことを世の中に伝えたい。その夢を叶えるためにテレビ局に入社。社会部の記者として毎日忙しく働いていたときに、乳がんが見つかりました。社会人3年目の5月のことでした。夏にバルト三国とブラジルへの海外出張も決まっていました。

朝シャワーを浴びて下着をつけるときに、胸に何かがあることに気づき、会社の診療所に行きました。「悪いものではない。1カ月くらいで消えるでしょう」とのことでした。もし、1カ月後まだ残っていたらちゃんと調べようということで、別の病院の乳腺科で1カ月先の予約をとってもらいました。1カ月たっても、やはりしこりはあったので、受診。「9割方悪くない。触診の感じも悪くない」と言われたので安心して帰宅しました。検査の結果はハガキでもいいと言われましたが、念のため仕事の合間に病院へ結果を聞きに行きました。

診察室に入った瞬間、不穏な空気が漂っていました。

先生からは「悪いものが写っていました。あまりよくない状態と思われます」と言われました。そして「2時間後に検査をするので、外でお昼を食べて戻ってきてください」と。とてもお昼どころではありません。上司に電話して検査のことを伝え、その後の仕事は他の人に変わってもらいました。病院の外、隅の壁にもたれ、体育座りで泣いていました。銀行に勤めていた母も職場からタクシーで駆けつけてくれました。タクシーを降りる姿が目に入ったのですが、おつりを地面にばらまいたことにも気づかず、座り込んでいる私にも気づかず、病院へ入ろうとしていました。母もそのくらい気が動転していたのだと思います。

会社のみんながそれぞれ知っているお医者さんを一斉に紹介してくれて、複数の医師に診断を受けました。手術前に抗がん剤で腫瘍を小さくしてから手術するか、先に手術して抗がん剤治療を受けるか。乳房温存の可能性はないか。エビデンスに基づく治療方法の選択肢を用意して、納得のいく治療を受けることが大切だと思いました。

正面を向いて笑顔をみせる鈴木美穂さん

子どもを授かる可能性を残す。

主治医になってもらった先生は、あるボードを見せてくれました。お母さんと赤ちゃんと先生が一緒に写った写真がたくさん貼ってありました。「ここに写っているのは、乳がんの治療後に結婚したり子どもを産んだりした元患者さん。鈴木さんも諦めないで治療して、いつか子どもを産んだ時には一緒に写真を撮らせてね。この瞬間がすごく幸せでさ。それまで一緒に寄り添うのが主治医だと思っている」という言葉をいただきました。他の先生は、子どものことは、まあ置いておいて、という感じだったので、全然違いました。私の病気だけでなく、生き方まで見てくれたのはその先生だけでした。

当時は「妊よう性(妊娠するための力)」という言葉も聞いたことがなかった時代でしたが、主治医の先生が不妊対策にリュープリン[*1]というホルモン注射を打っておいてくださり、おかげさまで無事生理も戻ってきて、今の私には子どもを授かる可能性が残されています。私のように若くしてがんを経験した人にとって、「妊よう性」はとても大切な問題です。

[*1]性腺刺激ホルモンの分泌を抑制し、ホルモンの働きをコントロールする薬。

勝手にトリプルポジティブと呼んでいるのですが、ホルモン受容体もHER2も陽性。抗がん剤も効くタイプの乳がんでした。[*2]ステージ3、がんは2つあり、合わせて5cmの大きさでした。治療はフルコース。手術、抗がん剤2種、分子標的薬[*3]、放射線、ホルモン治療を受けました。ホルモン治療は、3カ月に1度2年間続けたリュープリンの注射に加え、1日1錠のホルモン剤を、10年間飲むことになっていました。

[*2]乳がんはホルモン受容体やHER2が陽性か陰性か、がん細胞の増殖能力が高いかどうかによって5つのサブタイプに分類され、推奨される治療方針が異なります。ホルモン受容体もHER2も共に陰性のものがトリプルネガティブと呼ばれ、抗がん剤が効きにくいタイプであるのに対し、鈴木さんは共に陽性だったので、「トリプルポジティブ」と呼びました。
[*3]がん細胞がもつ特定の分子に作用する薬。

抗がん剤治療が辛すぎて…。

7、8月の抗がん剤治療の時は本当に辛かったです。眠れない状態が3日続いた後、眠ったときに見た夢の中で、美しい島に行きました。そこで、他界したはずの大好きだったおばあちゃんに会えました。不思議なことに、生きているはずの両親、友人たちもそこにいました。2カ月間、眠るたびに美しい島に行く夢を見ました。病床で抗がん剤の副作用で髪もなく、力も出なくて車椅子という現実が苦しくて、夢の中で島に行くことが救いでした。

でも、毎晩夢を見ているうちに、私は考えるようになりました。私のがんは「お知らせのためのがん」なのだ、と。がんになった経験を活かして発信しよう。ちょうど抗がん剤治療も終わるタイミングで、そのときから前向きになることができました。その後、研究者や医療者、さまざまな立場でがん患者を支える人や、がん経験者仲間との出会いがあり、協力して活動することができています。

母は、銀行を退職し、バンコクに単身赴任してバリバリ働いていた父も帰国し、1カ月休職。家族は全面的にサポートしてくれました。私自身は会社を8カ月休んで、復職。会社の復帰プログラムに則って、最初は9時~14時の時短勤務。徐々に時間を延ばしていきました。

がんのイメージを新しくしたい。

がんになってかわいそうと同情されるような状況を変えていきたいと思っています。がんになったことを経験のひとつとして、人生勉強になったと思えるようなイメージに変えていけたら。自分のときにはがんを克服した同世代のロールモデルがいなかったので、若年性がん経験者の集まりである「STAND UP!!」を立ち上げました。2009年から始めて、今ではメンバーが600人になりました。

笑顔で語る鈴木美穂さん

2016年、「マギーズ東京」がオープンしました。

がんになった人やその家族が気軽に行ける場所をつくりたいと思っていたところ、国際会議でイギリスの「マギーズセンター」の存在を知りました。これこそまさに闘病中の自分が欲しかったもの、このまま東京にもってきたいと思いました。クラウドファンディングで資金を集め、仲間の協力もあり、実現しました。みなさんには、病気になる前、元気なときにマギーズの存在を知っておいてもらって、病気になったときに「そういえば」という感じで来てもらえたらいいなと思っています。

本当に落ち込んでいるときって、テレビやネットも見たくない。なんで笑ってるの、ってテレビの中の人にまで嫉妬してしまう。そんな段階の人でも来てもらえるような場所になればと思います。病院で説明されたことを、一緒に理解する。ただ泣くだけでもいい。マギーズ東京のコンセプトは「HUG YOU ALL」その人すべてを抱きしめるという意味です。がんになると、「なんで私だけが」って思ってしまうのですが、ひとりじゃないよ、たくさんいるよ、と伝えたいです。

がん保険には入っていませんでした。

若かったこともあり、私はがん保険には入っていませんでした。身内にもがんになった人はいなくて、長寿の家系なので、自分は200歳まで生きるのではないかとさえ思っていたほどです。今は、がんを経験しても入れるがん保険もあるということなので、検討したいと思っています。がんになったとき、自分を支えてくれるいろいろなサポートのひとつが、がん保険なのではないでしょうか。

今考えられる夢を、将来の自分は超えるはず。

実は、2008年から10年後、2018年に生きていたら世界一周旅行に行こうと決めていました。もともとは可能な限り休みをかき集めて、弾丸で実現するつもりでした。ですが、今年のバレンタインデーに夫から「美穂の世界一周旅行は、観光地をただスタンプラリーするような旅でいいの?」と言われました。夫は私が会社を辞めるのであれば、自分も同じタイミングで辞めて一緒に世界一周する覚悟を決めてくれていました。

昨年の結婚式は大好きな人たちに祝ってもらって、入院中に夢で見た美しい島をこえた素敵なものでした。想像さえできれば、どこまでも行ける。そして、現実の世界ではその想像も超えていけると思います。会社を辞め、5月から夫と世界一周してきます。海外でいろいろなものに触れ、取材し、発信し、マギーズの先に広がるものを見つけてきたいと思っています。あの人が生きていてよかったよね、と後世の人に思ってもらえるようなものをつくるのが今の夢です。

2018年10月現在の情報を元に作成

※がんを経験された個人の方のお話をもとに構成しており、治療等の条件はすべての方に当てはまるわけではありません。