「経済的なことは、一切心配するな。とにかく治さなきゃダメだ」
言い方はぶっきらぼうですが、父の気持ちは痛いほど私に伝わってきました。
私は離婚後、子供二人を連れて両親が住んでいる都営住宅に戻っていました。病気がわかったとき、上の娘は小4、下の娘はまだ4歳になる前でした。
母子家庭でのがん発覚。医療費や生活費のことを考えて、途方に暮れた
ある夜、お風呂上がりに体を拭いていて、胸にコリコリしたものがあるのに気づいたのが最初でした。当時、38歳。そういえば検診も受けていないし、ちょっと調べてもらおう、と近所の産婦人科に行きました。その後、別の病院でもう一度調べてもらいましたが、診断結果は乳がん。左胸をすべて取ることになりました。
病気になったことも、ショックだったのですが、実は病気と同じくらい心配なことがありました。それは、仕事のこと。銀行で派遣スタッフとしてフルタイムで働き、実家に住まわせてもらうことでなんとかやっていけていたので、自分の少ない収入すら途絶えてしまったら、治療費と生活費をどうしたらいいんだろうと途方に暮れてしまいました。
親身になってくれた上司と同僚のおかげで、治療に専念できた
手術の前は、ギリギリまで働きました。先生とお話して、乳房再建をすることも決まっていました。いよいよ手術のために休暇をとるにあたり、上司は、「なにかいい方法があるはずだから、とにかく自分の体をまず治すことを考えようよ」と、会社の休暇制度や、健康保険組合の高額療養費制度のことを教えてくれました。仕事で忙しい中、いろいろなところに出向いたり、自ら問い合わせてくださったのです。
「仕事は大丈夫。とにかく治しておいでよ」という言葉がありがたくて、私も何が何でもがんばって、また復帰しなくちゃ、という気持ちになりました。病気のことは、みんなには隠していたのですが、こっそり打ち明けた、親しい同僚は職場でさりげなくフォローしてくれて、本当に助かりました。
手術が終わるまで、子どもにがんだと言えなかった
子どもには、「お腹が痛くて、病院で悪いところを取ってもらわなきゃいけないから、入院してくるね」という言い方をしていました。下の娘とはそれまで一緒にお風呂に入っていたのですが、手術後は、それもやめました。乳房再建中の体を誰にも見せたくなかったのです。
子どもに病気を隠していると、嘘を重ねることになり、いつしか子どもとの間に壁ができていくような感覚がありました。子どもって、大人の不穏な動きに気づいているようなところがあるんです。病院のソーシャルワーカーの方にも相談して、夏休み、子どもに初めて伝えました。
そのころは、乳房再建もうまくいって、ちょっと落ち着いた時期でした。「おかあさんね、乳がんっていう病気なんだ。でも、もう悪いところは取ったし、注射もしているけど、いい先生がいるし、すぐ死なないつもりだし」と。娘は泣きましたが、「おかあさん、話してくれてありがとう」と言ってくれました。
がんを告白してから、娘たちと何でも言い合える関係になれた
その後、リンパに再発し、ショックでしたが、抗がん剤治療を受けるときには、娘に「いいじゃん、髪の毛抜けたって、すぐまた生えてくるんだから」と明るく言われ、「それもそうよね!」という気持ちになれました。病名を伝えるまでは、具合悪そうだけど、触れちゃいけないのかな、と遠慮があったそうなのです。今は、治療のことも正直に話せるし、子どもに愚痴を言って、子どもから勇気や元気をもらっています。
このところ体調もいいので3カ月前から仕事も始めました。乳がんは長く付き合っていく病気です。少しずつ、自分の体調をみながら働く時間や日にちを増やしていきたいな、と思っています。