まさか自分が。完全に予想外。

がんになるなんて、本当に考えられなかった。親戚にもがんになった人がいなかったので、自分とはまったく関係ないものだと思ってこれまで生きてきたんです。頭痛の治療で入院中、頭痛の方は楽になってきて時間があったのでエコーの検査を受けました。腎臓に影が見つかり、翌日再検査となりました。「造影剤を入れて詳しい検査をします」と言われました。病室に戻り、一人、ネットで調べたら腎臓がんという文字がすぐに出てきましたね。それでも、悪性ではないはずと思っていました。

検査のあと、診察室に呼ばれ、入ってすぐ「がんと思われます」と言われました。そこにいたのは、先生や看護師さん4人と自分。なぜかカッコつけて「はい、わかってますよ」と言いました。こんなに簡単に告知するんだな、と。それが最初の驚きでしたね。モニターで画像を見るのが怖かった。ステージⅠとのことで少しホッとしました。

そのあと、病室で一人になって恐怖が襲ってきました。これから、一生気にしながら生きなくちゃいけないんだという面倒くささのようなものも感じました。

おぎやはぎ小木博明さん

腎臓を1つとるか、がんだけとるか。そんなカンタンには選べない。

手術の話がどんどん進んでいきました。医師からは手術の選択肢の話がありました。ステージⅠでも腎臓って手術の方法がいろいろあるそうなんです。腎臓がんの種類によるそうなのですが、ロボットとか、腹腔鏡とか、他にも違う種類の手術もあるようでした。

僕の場合は2つある腎臓を1つ丸ごととるか、腎臓を温存し悪い部分だけ切除するか、究極の二択を迫られました。腎臓をとってしまえば、がんは全部とることができる。部分切除だととりきれず、がんが残ってしまう可能性もある。残っている腎臓に再発するリスクもある。腎臓は2つあるから1つとっても機能としては大丈夫とも言われました。家族の意見は腎臓1つの全摘だったけれど、どうしても腎臓を残したくてロボットを使う部分切除の手術を選択しました。

先生には「自分の希望はがんの部分だけとること。だけど、手術をはじめてみてちょっとでもリスクがあったら、腎臓ごととってください。そこは先生にお任せします」と伝えて手術に挑みました。どっちになるかわからないから、麻酔が効いて眠るまで不安でした。結果的には、がんの部分だけの切除となり、腎臓は3分の2くらい残りました。腎臓15センチ中、7センチの腫瘍でした。

両親になんて伝えよう、というためらい。がん保険に入っていたから、少し話しやすくなった。

奥さんには検査前、エコーで影が出たときに「がんかも」と言ってありました。検査結果を電話で伝えましたが、終始明るくしてくれていたからこちらも普通に話せました。

両親に報告したときの方が辛かったですね。なんて言ったらいいんだろうって。高齢で心配性の二人。車で30分の距離で、もともとはしょっちゅう実家に行っていたのですが、新型コロナの影響で全然行かなくなっていた時期でした。そんな中で「ご飯食べに行くわ」と突然訪問したものの、話を切り出すまですごく時間がかかりました。

早期発見でステージⅠだったこと、アフラックのがん保険に入っていること。このセットのおかげでやっと話せたって感じ。「20代から入っているがん保険がやっと使えるんだ」と冗談交じりに話せました。

一方で、同居の義母は「まあ大丈夫でしょ」という反応。11歳の娘もそんなおおらかな家庭にいるので、さらっと受け止めていました。泣いて抱きつかれる、みたいな体験もしてみたかった気もしますね。でもそういう世の中なのかもしれないですね。がんって、もうね。

もっといろんな人の意見を聞いてみたかった。

病院は、昔から知っているかかりつけ医からの紹介でした。いくつか紹介してもらったけれど、山が見えるから、という理由であえて遠くの郊外の病院にしました。自分の場合はたまたま信頼できるホームドクターがいたけれど、そうでなかったら手術までにもっといろんな人の意見を聞いてみたかったですね。

おぎやはぎ小木博明さん

20代から入っていたアフラックのがん保険。

入院は1週間程度。もっとかかるんだろうと思っていたけれど、がん保険もあったので金銭的な負担は感じませんでした。最新のロボットを使う手術なので、高額になると覚悟していたのですが。

実は僕、20代からアフラックのがん保険に入っていました。まだがん保険が珍しいころ。がん保険に入っているとかっこいいかなと思って職場で入りました。芸人になる前、旅行代理店に勤めていた時期です。友達の親ががんになって治療にお金がかかって家を売ったという話を聞いたこともありました。当時はタバコを吸っていたし、なるとしたら肺がんかなと思っていたけど、違った。がんになってから、「がん保険、俺もってんだぜ」とすごく言いたくなるんです。みんなから「よかったね」と言われます。

給付金の支払いは、笑っちゃうくらい早かったですね。保険って、掛け金を取るときは早いけど、支払いは遅いというイメージがあったから意外でした。手続きも簡単でした。

がん検診とがん保険は、どっちも大切。

みんなにはがん検診とがん保険、この二つで備えておこうって伝えたいです。がん保険は入っておかないとダメ。治療で痛い思いしているのに、その上治療代まで自分で払わなくちゃいけないなんて、大変だなって思う。がん保険に入ってたから自分はアフラックに助けてもらった感じです。

「小木は大丈夫でしょ」矢作の言葉は頼もしかったですね。

矢作は高校の同級生。18歳で知り合って、23歳からコンビを組んでいます。がんになって仕事を休むことになったけれど、「申し訳ない」とは思いませんでした。親に甘える感じなのかな。矢作から「こっちは大丈夫だから」と言ってもらえて、素直に「あとはそっちで頼むわ」と言えました。

手術の後も電話で話しました。「手術の次の日から歩かされるんだよ」「あー、そうなんだ」と。仕事の話は一切せず、会話が高校時代の友達に戻ったようでした。矢作は「小木は大丈夫でしょ」「がんでは死なない人」と言ってくれました。だよな、俺もそう思ってたんだ、と。矢作の言葉はなぜか頼もしかったですね。

SNSをやってこなかったから、ファンの人と直接コミュニケーションをとる手段がなかったのですが、入院中、若い女の子に声をかけられました。病院のコンビニで並んでいたら、「小木さんですか?」って。その子もがん治療中で「私も手術するんです。一緒にがんばりましょう」って言われました。自分も治療中なのに、人を励ましてくれるってすごいなって思って。きっと自分の存在も誰かに勇気を与えられるんだなと思えて印象に残っています。

おぎやはぎ矢作兼さん おぎやはぎ小木博明さん

がんを経験した人は仲間に優しい。

タレントやジャーナリストでがんを経験していても公表していない人もわりといます。がんを経験した人は仲間に優しい。公表していない人もこそっと話しにきてくれます。「ネットは見ちゃだめよ」と教えてくれた人もいました。治療後の状況は人それぞれで、ネットにはいろいろ書いてあるけれど信じた人についていくのがいい、と。いつか、がんを経験した人で集まって話してみたいです。

がんのこと、変に同情されたくない。今の倍おもしろくなろうと思っています。

芸人としてこの先を考えると、がんを発表するのはどうなんだろう、笑ってもらえなくなるのか、と思ったけれど公表しました。自分もがんを公表した人から勇気をもらっているから。

新型コロナもそうだけど、病気になって「謝罪」するのは違うな、とも思っています。だって俺のせいじゃないから。もちろんがん検診とがん保険でちゃんと備えたうえで、の話ですが。家族みんなで笑っていられたのは保険のおかげだと思います。

いつまでもふざけていたい、という想いがあって。がんであることをいじってもらえると自分は嬉しいです。変に同情されたくない、というか、みんなが描く通りの「小木」でいたいので。

2020年11月現在の情報を元に作成

※がんを経験された個人の方のお話をもとに構成しており、治療等の条件はすべての方に当てはまるわけではありません。